翻訳|Chrysler
ゼネラル・モーターズ(GM)、フォードに次ぐアメリカの自動車会社で、「ビッグ・スリー」を形成してきたが、2018年時点ではイタリアのフィアット社と統合したフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)の完全子会社の一ブランドである。
クライスラー社は1925年W・P・クライスラーWalter Percy Chrysler(1875―1940)がGMから独立して設立した会社で、第二次世界大戦前の絶頂期には25.8%の全米シェアを占め、フォードを抜いて自動車業界の第2位メーカーになったこともある。戦後、フォードがフォード2世Henry FordⅡ(1917―1987)のもとで立て直しを図り復活すると、ふたたびクライスラーは第3位に転落した。同社はGM、フォードに倣って、1960年代に入ってから積極的な海外進出を図り、1963年フランスのシムカ、1964年イギリスのルーツ、1965年スペインのバレイロスに資本参加し、1967年にはルーツを完全支配下に置いた。しかし、資金力と技術において弱点を抱えていたクライスラーにとって海外進出は大きな負担となったうえ、経営陣内部の混乱も加わって、その後経営不振に陥った。
1970年代に入り、1973年の石油危機とそれ以降の一般消費者の小型車志向は、アメリカ自動車産業全体にとっての大打撃となった。同社は1978年以来、5期連続赤字を出し、破産の危機に直面したため、元フォード社長リー・アイアコッカを社長に迎え、経営立て直しを図った。1980年には15億ドルの連邦政府融資保証を受け、日本車の対米輸出自主規制の効果も加わって、1983年には黒字に転じ、からくも倒産を免れた。クライスラーは1998年に、海外戦略の強化と営業基盤の安定を図るため、ドイツの自動車メーカーであるダイムラー・ベンツとの合併に合意して、新会社ダイムラー・クライスラーを設立。その大規模な合併は大きな反響をよんだ。合併時の売上高は611億ドル(1997年12月期)。日本では1969年(昭和44)に三菱(みつびし)自動車工業に資本参加し、1985年(昭和60)に同社との折半出資による合弁でダイヤモンド・スター・モーターズ・コーポレーション(DSM)を設立したが、1993年(平成5)に資本提携を解消した。
[佐藤定幸]
2007年5月、ダイムラー・クライスラーは業績不振のクライスラー部門をアメリカの投資会社に売却、クライスラーはふたたび独立会社として運営されることになった。しかしリーマン・ショック後、クライスラー社は世界的な金融危機の影響を受けて業績が悪化し、2009年4月30日、アメリカ連邦破産裁判所に連邦破産法11条の適用を申請した。同年6月にはイタリアのフィアット社から20%の出資を受け入れ、経営支援を受けた。2014年には、全株式を取得したフィアット社の傘下に入り、経営統合してフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)となった。同年、ニューヨーク証券取引所に上場。登記上の本社をオランダのアムステルダム、実質的な本社機能(含む税務上の本社機能)をイギリスのロンドンに置く。従来のクライスラー社(アメリカ・ミシガン州オーバーンヒルズ)はFCA傘下のFCA US LLCに改称した。
[矢野 武 2019年8月20日]
オーストリア出身のアメリカのバイオリン奏者、作曲家。20世紀前半を代表する名手であり、気品と格調の高さで世界中の音楽愛好者に敬愛された。1875年2月2日ウィーンに生まれ、同地音楽院とパリ音楽院に学び、12歳で音楽教育を終える早熟ぶりをみせたが、一時音楽から遠ざかって医学と美術を修めた。1899年ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と協演、本格的な演奏活動に入る。第一次世界大戦後にオーストリアの陸軍士官として従軍、負傷したが、戦後ただちに楽界に復帰、世界的な名声を博す。1923年(大正12)の春に来日。ナチスを逃れて38年にフランス市民権を、さらに39年アメリカに移住して、43年アメリカ市民権を取得。47年ニューヨークのカーネギー・ホールの演奏会を最後に引退し、62年1月29日、同地で没。情緒豊かな温かい表現で聴き手の心に訴える演奏を行い、一世を風靡(ふうび)した。作曲にはオペレッタ作品もあるが、ウィーン情趣をたたえたバイオリン独奏用小品『愛の喜び』『愛の悲しみ』『ウィーン奇想曲』が名高い。またベートーベンをはじめとするバイオリン協奏曲のカデンツァは、多くのバイオリン奏者によって愛奏されている。
[岩井宏之]
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オーストリアが生んだ20世紀最高のバイオリン奏者の一人で作曲家。のちアメリカに帰化。生地のウィーン音楽院,およびパリ音楽院で神童ぶりを発揮,12歳で音楽教育を終了。1899年ニキシュ指揮のベルリン・フィルハーモニーと協演し,独奏者としての地歩を固めた。第1次世界大戦に将校として従軍,負傷したが,その後も活発に演奏活動を続けた。彼の手にかかると,大曲も小品も親愛感あふれるものになり,そのため幅広い人気を博したが,とりわけ自作の小品の甘美な表現は絶品であった。1923年来日。おもな作品に《愛の喜び》《愛の悲しみ》《美しいロスマリン》《ウィーン奇想曲》がある。
執筆者:岩井 宏之
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…第1巻1820年,第2巻1822年刊。正式の題名は〈ならびに偶然まじり込んだ楽長ヨハネス・クライスラーの伝記断片〉という添書きをともなう。学をつんだ牡猫ムルは若い世代のために自分の生涯の回想録を書くが,その際,《楽長クライスラー伝》なる書物のページをやぶいて吸取紙もしくは下敷きとして使い,それがそのまま原稿にまじって印刷されたために,ムルの回想はしばしばクライスラー伝の断片によって中断される。…
…
[日本のバイオリン]
日本にバイオリンが導入されたのは明治時代にさかのぼる。大正時代にはジンバリストEfrem Zimbalist(1889‐1985),F.クライスラー,J.ハイフェッツなどの名演奏家が多数来日し,バイオリンへの関心が高まった。しかしバイオリンが一般化したのは昭和にはいってからであり,第2次世界大戦直前の時期には諏訪根自子,巌本真理,江藤俊哉,岩淵竜太郎などの演奏家が活躍している。…
※「クライスラー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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