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フィリピン史 フィリピンし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フィリピン史
フィリピンし

フィリピンは数千の島々からなり,有史以前から移動によってここに住みついた民族は,最古のニグリト族からマレー系諸族まで多岐にわたる。フィリピン社会の基本単位であるバランガイ(氏族)はこの移住のとき用いた小帆船を意味する語といわれる。
1521年にフェルディナンド・マゼランの船隊が到達し,1542年にスペイン皇太子フェリペ2世にちなんでフィリピンと名づけられた。1571年にミゲル・ロペス・デ・レガスピはルソン島のマニラを首府とし,以後 3世紀にわたってキリスト教布教(→フィリピンのキリスト教)と貿易に力を注ぐスペインの直接統治が行なわれた。農業生産においては,開拓功労者に土地を払い下げるエンコミエンダ制が知られる。これにより大土地所有は促進され,先住民は賦役労働の重圧に苦しんだ。特にカトリックの修道会は広大な教会領を有し,フィリピン人の神父を差別したため,民族主義運動が 19世紀後半から高まり,しだいに社会の各層に及んだ。先住民・中国系混血の医師ホセリサールは文筆活動を通じて民族意識を鼓舞し,貧民出身のアンドレス・ボニファシオは秘密結社カティプナンを組織して 1896年にマニラ郊外で蜂起した。勢力争いでボニファシオが殺されたのち,エミリオ・アギナルドが指導者となったが,1898年のアメリカ=スペイン戦争でスペインが敗れると,アメリカ合衆国は最初援助していた革命軍を攻撃し,1902年4月までに全土を平定して植民地とした(→フィリピン革命)。その後 1930年代までにアメリカの世論は独立許容の方向に傾き,憲法も制定されたが太平洋戦争が始まり,初代大統領マヌエル・ルイス・ケソンはアメリカに亡命した。3年間の日本軍占領期を経て,1946年7月4日独立。
その後も政情不安は続き,1965年から大統領となったフェルディナンド・E.マルコスは,1972年9月戒厳令を布告して独裁的権力を握り,1981年1月の解除後も政権の座にあった。しかし 1986年2月政変によって,国外亡命を余儀なくされ,代わってコラソン・C.アキノ政権,1992年にはフィデル・V.ラモス政権が誕生した。1998年ジョゼフ・エストラダが大統領に就任したが,2001年不正疑惑により弾劾裁判にかけられ,任期途中でその座を追われた。副大統領を務めていたグロリア・マカパガル=アロヨが大統領に昇格し,2004年の選挙で再選された。

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