ハリファックス(読み)ハリファックス[こう](英語表記)Halifax, George Savile, 1st Marquess of

精選版 日本国語大辞典 「ハリファックス」の意味・読み・例文・類語

ハリファックス

  1. ( Halifax ) カナダ、ノバスコシア半島南岸の中央部にある港湾都市。天然の良港で、不凍港。造船・石油精製水産加工などの工業が盛ん。一八四〇年イギリスとの間に初の大西洋横断定期船が就航した。海軍基地がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリファックス」の意味・わかりやすい解説

ハリファックス(侯)
ハリファックス[こう]
Halifax, George Savile, 1st Marquess of

[生]1633.11.11. ヨークシャー,ソーンヒル
[没]1695.4.5. ロンドン
イギリスの政治家。 1660年王政復古の際,仮議会に選出された。 68年子爵,79年伯爵,82年侯爵に昇進。トーリー党ホイッグ党の創成期にあたり,どちらの極端さにも賛成せず,王位継承排除法案には反対したが,王の旧教政策には批判的で,日和見主義者と評された。 85年ジェームズ2世即位により枢密院議長となったが,審査法の廃止に反対して免職。 88年名誉革命に際してウィリアムの招請には加わらなかったが,貴族会議を主宰してジェームズ2世逃亡後の治安確保に尽力し,翌年上院議長としてウィリアム3世とメアリー2世に王冠を奉呈した。同年国璽尚書に任じられたが,90年辞任。『日和見気質』 Character of a Trimmer (1684) その他の政治論や時評を残した。

ハリファックス
Halifax

イギリスイングランド中北部,ウェストヨークシャー地域西部,コールダーデール地区の都市。リーズ西南西約 20km,コールダー川の支流ヘブル川に沿う丘陵地帯に位置する。アングロ・サクソン時代に建設され,ウィリアム1世による土地調査書『ドゥームズデイ・ブック』(1086)に記されている。早くから織物業が始まり,15~18世紀にはこの地方の織物生産の中心地であった。紡毛織物梳毛織物ウーステッド),絨毯を中心とする繊維工業のほか,ビール醸造,菓子製造,特殊工作機械などの工業がある。人口 8万3570(2001)。

ハリファックス
Halifax

カナダ,ノバスコシア州の州都。ノバスコシア半島中央部大西洋岸の深い入江にある。入江は長さ 7.2km,幅 3.2kmで岩がちの地形を呈する。 1605年サミュエル・ド・シャンプランが上陸した土地で,1749年 E.コーンウォリスにより都市建設が行われるまでは,フランス漁船の停泊地であった。イギリス陸・海軍の駐屯地としても有名。 1906年カナダによる接収後もカナダ海軍の最も重要な基地がおかれた。 17年船の衝突から起った大爆発で 2000人の死者を出し,市街の北部が破壊された。モントリオールバンクーバーに次ぐ代表的な商港で,冬季も凍結しない。鮮魚,水産加工物,木材,農産物を積出す。工業は鋳物,石油精製,造船,水産物加工,自動車組立て,電気製品,家具製造などが行われる。教育,文化の中心地で,ダルハウゼー大学 (1818) をはじめ5大学が集中。カナダ最古のプロテスタント教会であるセントポールズ教会 (1750) ,総督官邸,州議事堂などの歴史的建造物も多い。人口 39万96(2011)。

ハリファックス(伯)
ハリファックス[はく]
Halifax, Charles Montagu, 1st Earl of

[生]1661.4.16. ノーサンプトンシャー,ホートン
[没]1715.5.19. ロンドン
イギリスの政治家。 1689年下院議員,以後ホイッグ党の有力メンバーとして,92年以降大蔵総裁,大蔵大臣を歴任し,国債発行,イングランド銀行創設,貨幣改鋳など財政の近代化に尽力。トーリー党政府の出現により 99年下野。ハノーバー朝の実現に努め,1714年国王ジョージ1世から初代大蔵総裁に任じられ,伯爵を授けられたが,翌年病没。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハリファックス」の意味・わかりやすい解説

ハリファックス(1st Earl of Halifax, Edward Frederick Lindley Wood)
はりふぁっくす
1st Earl of Halifax, Edward Frederick Lindley Wood
(1881―1959)

イギリスの政治家。初代ハリファックス伯、本名はエドワード・ウッド。オックスフォード大学を卒業。1910年に保守党下院議員となった。1925~1931年インド総督を務め、急進化するインド民族運動を抑えようとしたが失敗した。1930年代には教育相、陸相、国璽尚書(こくじしょうしょ)、枢密院議長を経て、1938年外相に就任、首相N・チェンバレンの宥和(ゆうわ)政策を支えた。第二次世界大戦中は駐米大使(1941~1946)として、英米関係の緊密化に努力した。

[木畑洋一]


ハリファックス(カナダ)
はりふぁっくす
Halifax

カナダ、ノバ・スコシア州の州都。ノバ・スコシア半島の大西洋側、ハリファックス湾の湾頭に位置する。人口35万9111(2001)。北緯44度45分にある不凍港として古くから知られ、カナダの最重要港の一つに数えられる。干潮時にも16~17メートルの水深がある天然の良港で、冬期結氷するセント・ローレンス水路の代替港として、また、アメリカと北西ヨーロッパを結ぶ大圏航路に近いため、中継港、待避港としても重要である。カナダ太平洋および国有鉄道の基点でもあり、交通の要地として知られる。木材加工、製鉄、醸造などの工業があり、穀物、小麦粉、リンゴ、木材、魚類を輸出する。

 1749年、フランス軍のルイブール基地(ノバ・スコシア北東部)に対抗するため、イギリス軍の要塞として建設された。この要塞は現在史跡として保存されている。ほかに大学、博物館、資料館などがあり、行政・経済・文化の中心地でもある。1910年以降カナダ海軍基地がある。1996年近隣のダートマス、ベッドフォード、ハリファックス郡と合併した。

[山下脩二]


ハリファックス(Marquis of Halifax, Sir George Savile)
はりふぁっくす
Marquis of Halifax, Sir George Savile
(1633―1695)

イギリスの政治家、著述家。チャールズ2世治下に国璽尚書(こくじしょうしょ)などを歴任し、名誉革命に際してはジェームズ2世に委任されてウィリアム(ウィレム)との交渉にあたり、新国王即位の陰の立役者となった。『日和見(ひよりみ)主義者の性格』The Character of a Trimmer(1688)で独自の保守主義論を展開し、党派対立激しい時代にあって行動、思想ともに絶妙の平衡感覚を発揮した。

[大久保桂子]


ハリファックス(イギリス)
はりふぁっくす
Halifax

イギリス、イングランド北東部、ウェスト・ヨークシャー大都市県の都市。ペニン山脈西麓(せいろく)の丘陵地帯に位置する。人口9万4200(2002推計)。15世紀以来の毛織物工業地。中心部に残るピース・ホールは1770年代の建造物で、毛織物業に従事していたマニュファクチュア業者がその製品を取引したところ。この種の建築物としては国内で唯一残存しているものである。綿製品、工具、ボイラー、敷物も産する。

[久保田武]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ハリファックス」の解説

ハリファックス
Edward Frederick Lindley Wood, 1st Earl of Halifax

1881~1959

イギリスの政治家。保守党の下院議員として出発し,文相,農相をへて,1926年より31年まで第24代インド総督を務めた。25年貴族となり,アーウィン(Baron Irwin)の称号を得た。27年,インド統治法の調査のためにサイモン委員会を任命すると,インドで激しい反対運動が起こったが,31年,ガンディー‐アーウィン協定を締結し,民族運動の切り崩しに一応の成功を収めた。38年イーデンのあとを受けてチェンバレン内閣の外相となり,対ドイツ宥和政策を進め,ミュンヒェン会談を実現させた。第二次世界大戦中は駐米大使としてアメリカとの提携に努力した。

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367日誕生日大事典 「ハリファックス」の解説

ハリファックス

生年月日:1633年11月11日
イギリスの政治家
1695年没

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