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イギリスの政治家。初代ハリファックス伯、本名はエドワード・ウッド。オックスフォード大学を卒業。1910年に保守党下院議員となった。1925~1931年インド総督を務め、急進化するインド民族運動を抑えようとしたが失敗した。1930年代には教育相、陸相、国璽尚書(こくじしょうしょ)、枢密院議長を経て、1938年外相に就任、首相N・チェンバレンの宥和(ゆうわ)政策を支えた。第二次世界大戦中は駐米大使(1941~1946)として、英米関係の緊密化に努力した。
[木畑洋一]
カナダ、ノバ・スコシア州の州都。ノバ・スコシア半島の大西洋側、ハリファックス湾の湾頭に位置する。人口35万9111(2001)。北緯44度45分にある不凍港として古くから知られ、カナダの最重要港の一つに数えられる。干潮時にも16~17メートルの水深がある天然の良港で、冬期結氷するセント・ローレンス水路の代替港として、また、アメリカと北西ヨーロッパを結ぶ大圏航路に近いため、中継港、待避港としても重要である。カナダ太平洋および国有鉄道の基点でもあり、交通の要地として知られる。木材加工、製鉄、醸造などの工業があり、穀物、小麦粉、リンゴ、木材、魚類を輸出する。
1749年、フランス軍のルイブール基地(ノバ・スコシア北東部)に対抗するため、イギリス軍の要塞として建設された。この要塞は現在史跡として保存されている。ほかに大学、博物館、資料館などがあり、行政・経済・文化の中心地でもある。1910年以降カナダ海軍基地がある。1996年近隣のダートマス、ベッドフォード、ハリファックス郡と合併した。
[山下脩二]
イギリスの政治家、著述家。チャールズ2世治下に国璽尚書(こくじしょうしょ)などを歴任し、名誉革命に際してはジェームズ2世に委任されてウィリアム(ウィレム)との交渉にあたり、新国王即位の陰の立役者となった。『日和見(ひよりみ)主義者の性格』The Character of a Trimmer(1688)で独自の保守主義論を展開し、党派対立激しい時代にあって行動、思想ともに絶妙の平衡感覚を発揮した。
[大久保桂子]
イギリス、イングランド北東部、ウェスト・ヨークシャー大都市県の都市。ペニン山脈西麓(せいろく)の丘陵地帯に位置する。人口9万4200(2002推計)。15世紀以来の毛織物工業地。中心部に残るピース・ホールは1770年代の建造物で、毛織物業に従事していたマニュファクチュア業者がその製品を取引したところ。この種の建築物としては国内で唯一残存しているものである。綿製品、工具、ボイラー、敷物も産する。
[久保田武]
1881~1959
イギリスの政治家。保守党の下院議員として出発し,文相,農相をへて,1926年より31年まで第24代インド総督を務めた。25年貴族となり,アーウィン(Baron Irwin)の称号を得た。27年,インド統治法の調査のためにサイモン委員会を任命すると,インドで激しい反対運動が起こったが,31年,ガンディー‐アーウィン協定を締結し,民族運動の切り崩しに一応の成功を収めた。38年イーデンのあとを受けてチェンバレン内閣の外相となり,対ドイツ宥和政策を進め,ミュンヒェン会談を実現させた。第二次世界大戦中は駐米大使としてアメリカとの提携に努力した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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