イタリアの画家。本名Guido da Pietro。ほかにベアート・アンジェリコBeato A.、フラ・ジョバンニ・ダ・フィエーゾレFra Giovanni da Fiesoleの通称をもつ。トスカナ地方の、フィレンツェに近いベッキョ・ディ・ムジェッロに生まれる。1407年にフィレンツェ郊外フィエーゾレのドミニコ僧会修道院に見習僧として入った。画家としてひとり立ちするまでの修業状況はほとんど不明だが、おそらくミニアチュール作者としての修業から出発したものと思われる。緻密(ちみつ)で繊細な彩色法にはロレンツォ・モナコの影響が指摘されているが、しばしば背景に金地が用いられ、ほっそりした湾曲する人体像が好んで描かれるのは、ゴシック絵画の伝統が彼の画法に伝承されていることを物語る。制作時の確かな最初の作品は1433年に亜麻(あま)商人組合から委嘱された通称『亜麻商人の聖母子』(フィレンツェ、サン・マルコ美術館)であるが、これには人体の彫塑的な把握や三次元的空間表現といった15世紀フィレンツェ美術の基本的課題に、彼がよく精通していたことがうかがわれる。1430年代に相次いで制作されたと推測される『聖母戴冠(たいかん)』(パリ、ルーブル美術館)、『聖告』(コルトーナ司教区美術館)、および『十字架降下』(サン・マルコ美術館)は、人物、建築、風景描写において、この画家が新時代に即した絵画表現にきわめて意欲的であったことを物語る。
1436年にフィエーゾレのドミニコ僧会の修道士たちのサン・マルコ修道院への移動が決まったとき、僧会の後援者コジモ・デ・メディチは建築家ミケロッツォに修道院の改築を委嘱した。内部の装飾を任されたアンジェリコは助手を使いながら、約10年をかけて45年に完了。修道士たちの各居室その他の壁面に描かれた絵画群は、単なる装飾というよりも、修道士たちの瞑想(めいそう)の糧(かて)となりうる主題によって、内部の空間を敬虔(けいけん)な宗教的ビジョンで満たしている。なかでも廊下の壁面に描かれた『聖告』と参事会員室の『キリスト十字架像』が傑出している。45年に教皇エウゲニウス4世に招かれてローマに赴いたが、47年に教皇が死去したため、ローマでの制作は次のニコラウス5世の後援によって実施された。しかし、その大部分は失われ、現存するのはバチカン宮のニコラウス5世礼拝堂を装う壁画のみである。ローマ滞在中に彼はオルビエートに赴き、大聖堂のサン・ブリツィオ礼拝堂に『栄光のキリスト』と『16人の預言者』を描いた。しかしこれらは礼拝堂の装飾の一部分にすぎず、約半世紀後にルカ・シニョレッリによって完成された。55年2月18日にローマで没。その遺骸(いがい)は、ローマのパンテオンに近いサンタ・マリア・ソプラ・ミネルバ聖堂に埋葬されている。
[濱谷勝也]
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…〈受胎告知〉や〈聖母戴冠〉を主題とする作品に,その典型例が見られる。フラ・アンジェリコ(〈天使のような僧〉の意)の名は,死後に冠せられたもの。サン・マルコ修道院は,現在アンジェリコの作品を収蔵・展示する美術館となっている。…
※「フラアンジェリコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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