イタリアの画家。僧名フラ(フラーテ)・ジョバンニ・ダ・フィエゾレ,俗名グイド・ディ・ピエトロ。フィレンツェ近郊のビッキオ・ディ・ムジェロ生れ。1417年にはいまだ俗人であったが,すでに画家となっていたことが知られる。おそらく18-20年に,フィレンツェ北郊の町フィエゾレFiesoleのドミニコ会の修道士になったのであろう。画家として本格的な活動を始めるのは30年代に入ってからで,《リナイオーリの祭壇画》(1433ころ),コルトナの《受胎告知》(1434ころ),ルーブルの《聖母戴冠》(1435ころ)などを描く。38-45年フィレンツェのサン・マルコ修道院の回廊と僧房に壁画を描く。45年にローマに赴き,エウゲニウス4世とニコラウス5世の依頼で祭壇画や壁画を制作するが,そのほとんどが消失し,わずかにニコラウス5世の礼拝堂を飾る《ステパノとラウレンティス伝》のみが残存する。ローマ滞在中の47年に,ゴッツォリらとオルビエト大聖堂内サン・ブリツィオ礼拝堂の穹窿に壁画装飾を行う。50-52年,フィエゾレのサン・ドミニコ修道院の院長。53-54年ころに再びローマに行き,同地で没。アンジェリコの芸術形成期は,初期ルネサンスを特徴づける伝統的なゴシック様式とマサッチョの自然主義絵画との二つの大きな流れの中にあり,彼は双方の要素を吸収しつつ独自な画風を確立した。すなわちそれは,明快な空間に純化された形態を配し,明るく純粋な色彩を華やかに賦して,時に厳しさもそなえた典雅な絵画世界である。〈受胎告知〉や〈聖母戴冠〉を主題とする作品に,その典型例が見られる。フラ・アンジェリコ(〈天使のような僧〉の意)の名は,死後に冠せられたもの。サン・マルコ修道院は,現在アンジェリコの作品を収蔵・展示する美術館となっている。
執筆者:生田 円
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1400?~55
イタリアの画家でドミニコ修道会の修道士。キリスト教の信仰を清純な絵画に描き続けたが,ゴシック様式から脱皮し,初期ルネサンスのフィレンツェ派の画家として多くの傑作を残した。代表作はフィレンツェのサン・マルコ修道院の壁画。
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