ドイツの社会学者、社会哲学者。エートス科学の立場から、現実科学としての社会学の樹立を図り、形式社会学をロゴス科学として批判して実践科学へ強い志向性を示した。基本的立場は、社会形象を「生からの形式」としてとらえ、歴史的な生ける現実とみるところにあった。主著『現実科学としての社会学』(1930)はこうした主張を表したものであり、当時、問題作として高い評価を受けた。ただ現代の変革の方向を国家社会主義に求め、その政治的意思を右翼革命に託したところから、ナチズムとの結び付きが問題とされることになるが、今日でもなおその関係についてはさまざまな論議がある。『右翼からの革命』(1931)はこうした立場を示したものといってよい。第二次世界大戦後はとくに産業社会に対する理論の構築を目ざすとともに現代の文明批評を試みたが、その社会学的体系は未完成のままに終わっており、評価も定まっていない。
[秋元律郎]
『福武直訳『現実科学としての社会学』(1944・日光書院)』
紡績で繊維束に撚り(より)をかける装置。すでにレオナルド・ダ・ビンチの設計図のなかにこれを描いたものがあり(1500ころ),サクソニー紡車にも使われている。またアークライトの水力紡績機にも使用されており,加撚(かねん)方法としては古いものであるが,いくぶん太い繊維束,あるいは麻のように剛直な繊維束に撚りをかけるのに適しているので,現在でも各種粗紡機,麻用の精紡機に使用されている。綿紡用粗紡機のフライヤーは,2本の腕の片方は中空で,外側は縦方向に割れており,他方の腕はバランスをとるためのものである。粗糸は中央の穴,中空の腕,その先端にあるプレッサーを経てボビンに巻かれる。プレッサーは粗糸に適当な張力を与えて巻き取るためのものである。麻や毛の紡績では,一方の腕に糸を2~3回巻きつけてプレッサーを通す。スピンドルにはめ,かなり高速で回転されるが,他の方式のように回転数を上げることはできない。
執筆者:近田 淳雄
イギリスの教育家。中国名は傅蘭雅。1861年(咸豊11),セント・パウロ・カレッジの教師として香港へ赴き,のち上海に移り英華書院の校長となる。1866-67年《上海新報》編集長。67年(同治6)から江南製造局付設の繙訳館につとめ欧米技術書の中国への紹介につとめた。76年(光緒2)に上海格致書院(科学技術の教育機関兼展示場)の設立に関係し,不定期刊の《格致彙編》を発刊するなど科学技術教育に力を注いだ。90年,中国教育会を設立,執行委員会議長となる。1915年カリフォルニア大学の初代東洋語学教授に就任するため中国を去り,以後アメリカで生活した。
執筆者:春名 徹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 パラグライダー用語辞典について 情報
…1865年(同治4),李鴻章は上海に江南機器製造総局(江南製造局)を,南京に金陵機器局を設立し,銃弾,火薬,銃砲などを製造した。また68年には江南製造局が繙訳館を設立し,アメリカ人宣教師フライヤーJ.Fryer(中国名は傅蘭雅)やワイリーA.Wylie(偉列亜力)らを招き,《汽機発軌》《泰西採煤図説》ほか自然科学,技術,歴史,国際法などに関する外国書が翻訳された。(2)実業。…
…1865年(同治4),李鴻章は上海に江南機器製造総局(江南製造局)を,南京に金陵機器局を設立し,銃弾,火薬,銃砲などを製造した。また68年には江南製造局が繙訳館を設立し,アメリカ人宣教師フライヤーJ.Fryer(中国名は傅蘭雅)やワイリーA.Wylie(偉列亜力)らを招き,《汽機発軌》《泰西採煤図説》ほか自然科学,技術,歴史,国際法などに関する外国書が翻訳された。(2)実業。…
※「フライヤー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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