フワーリズム(ホラズム)出身のイスラムの数学者、天文学者、地理学者。アッバース王朝第7代カリフのマームーンal-Ma‘mūn(在位813~833)のころに活躍した。とくに数学では当時最大の学者で、たとえば、原書は失われたがラテン語訳が残っている彼の著書『インド数字による計算法』Algoritmi de numero Indorumの題名からもわかるように、彼はアラビア数字をヨーロッパに伝えた一人である。彼の名アル・フワーリズミーがラテン語に変化してアルゴリトミとなり、それがさらに「アラビア数字による計算法」を意味する普通名詞アルゴリズムalgorismになった。
彼にはさらに重要な著書『復元(移項)と対比(同類項)の整理』isāb al-jabr wal-muqābalaがある。そしてこの原題中の「アル・ジャブル」al-jabrが今日の「代数」algebraになっている。この書で、一次と二次の方程式を解いている。二次方程式では、今日の表記では、x2=5x,x2=4,x=2,x2+10x=39,x2+21=10x,x2=12x+188 の6形式になり、これらはax2+bx+c=0のそれぞれc=0,b=0,a=0,c<0,b<0,a<0の場合に相当し、正根に限られ負根の場合は扱っていない。また、この書は応用数学の入門書のようなもので、そのためか、代数記号を用いず、具体的な数字だけで通している。このほか、天文表や三角法の表を作製し、『地球の表面の書』Kitāb s.ūrat al-ard.を書いてプトレマイオスの地理学のテキストと地図の双方を改正した。
[平田 寛]
アラビア代数学の出発点をつくった数学者で,また天文学者,地理学者。アラル海の南ホラズムの出身で,アッバース朝のカリフ,マームーン治下のバグダードで活躍した。われわれが今日用いているアラビア数字は,彼がインドから導入したもので,アラビア記数法やそれに基づく計算を意味する〈アルゴリズム〉という語は,彼の名前が転訛したものである。彼の著作のうち最も有名なものは《代数学》で,これはアラビア数学の嚆矢をなすばかりでなく,後のヨーロッパに初めて代数というものの存在を教えたものであることは,アルジェブラalgebra(代数学)という語がこの本の書名の一部al-jabr(移項して負の項をなくす操作)に由来することからもわかる。この書は,12世紀にラテン語に2度も翻訳され,西欧世界の数学に大きな影響を及ぼした。また彼のつくった天文表も同じときにラテン語に訳され,大いに尊重された。プトレマイオスの地理学の本文と地図も改良している。
執筆者:伊東 俊太郎
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780頃~850頃
バグダードで活躍した代数学者,数学者にして天文学者,地理学者。中央アジアのホラズム出身。アラビア数字をインドから導入し,代数学の基礎を固めた。主著『代数学』は12世紀に2度ラテン語に訳され,西欧の数学に大きな影響を与えた。天文表や,プトレマイオスのものに改良を加えた地理書ものこしている。
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…ペルシアやシリアやインドから優れた学者がこのアッバース朝の首都に雲集し,多くの第一級の科学文献がギリシア語やシリア語からアラビア訳され,アラビア科学は華やかに咲きいでた。ギリシア科学の精華の大部分を翻訳したフナイン・ブン・イスハークやサービト・ブン・クッラをはじめ,アラビア錬金術の祖であるジャービル・ブン・ハイヤーンやアラビア代数学の出発点をつくったフワーリズミー,正確な観測によりルネサンスにいたるまで西欧天文学にも大きな影響をもったバッターニー,さらにはイスラム圏のみならず,中世全体を通じて最大の臨床医家だったラージーなどが,この期に属する代表的な学者である。 第2の〈全イスラム期〉では,かつてアッバース家によって滅ぼされたウマイヤ朝の王族がスペインに逃れて建てた後ウマイヤ朝においてしだいに文化が興隆し,その勢いは東イスラム圏と覇を競うほどになり,さらにエジプトではファーティマ朝が栄え,ここでも大いに科学文化が振興された。…
…なおm<nの場合は,商が0で余りがmと考えればよい。
[アルゴリズムの語源]
アルゴリズムの語は,アラビアの数学者フワーリズミーに由来する。12世紀に彼の著作がラテン語に訳されたとき,その書名にアル・フワーリズミーから採ったアルゴアリスミalghoarismiなどの語が冠せられた。…
…神学と法学は相互に補完し合うシャリーアの学問として,ほぼ時を同じくして出発したが,法学がシャーフィイーによって方法論的完成をみたのに対し,神学はヘレニズム思想の洗礼を受けて,初めて方法論的完成にいたった。 10世紀の後半,フワーリズミーAbū ‘Abd Allāh Muḥammad al‐Khwārizmīは《学問の鍵Mafāfīḥ al‐‘ulūm》という書物を著し,当時行われていたイスラム教徒の学問を分類した。この書によればイスラム教徒の学問は,(1)アラブ起源の学問,(2)異民族起源の学問とからなり,(1)に属するものは,(a)法学,(b)神学,(c)文法学,(d)書記学(行政文書作成法),(e)詩学と韻律学,(f)歴史学であり,(2)に属するものは,(g)哲学,(h)論理学,(i)医学,(j)算術,(k)幾何学,(1)天文学,(m)音楽理論,(n)機械学,(o)錬金術であった。…
…ギリシアでは上述のように理論的な数学が進歩したが,記数法が不便であり,計算技術については古くから十進法を用い,空位を表す0をも知っていたインドに及ばなかった。9世紀のバグダードで活動したフワーリズミーは,インド数学の影響を受けた計算法や代数学の書物を著し,一次方程式や二次方程式を解く算法を記述した。代数学の原語algebraはその書名に由来しており,算法を意味するアルゴリズムalgorithmもフワーリズミー(アルは冠詞)の名を語源としている。…
… さて,インドで確立した記数法はゼロも含めて9世紀にアラビアに伝えられた。そのころフワーリズミーは〈ヒンドゥー式計算法〉についての本を著した。これは多分ブラフマグプタの本をもとにしたものと思われる。…
… ギリシア科学を吸収することに熱心であったイスラム世界の指導者たちの奨励によって,プトレマイオス地図学も9世紀には翻訳の段階を経て,しだいに新たな経緯度観測値を加えている。バグダードで活躍した数学者・天文学者フワーリズミーの経緯度集《大地の形態》(830ころ)によると,アフリカとアジア東南部との連続否定をはじめ,プトレマイオス数値の修正がなされている。イスラム地図学の完成期を代表する学者は,シチリアのノルマン宮廷に仕えていたイドリーシーで,その世界図はカスピ海,アラビア半島の形状においてプトレマイオスをはるかに凌いでいる。…
※「フワーリズミー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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