翻訳|Buenos Aires
アルゼンチンの首都。連邦直轄下にある首都部の面積は200km2,人口278万(2001)。近郊を含む首都圏の面積は1700km2,人口1205万(2001)で,国の総人口の3分の1を占める。大西洋から240km川上のラ・プラタ川南西岸,川幅50kmの地点に位置し,古くからの重要な貿易港で,市民は〈港の人〉を意味するポルテーニョと呼ばれる。〈南アメリカのパリ〉といわれ,国の政治,経済,社会,文化の中核であり,また南アメリカの文化的中心地としても栄えてきた。ブエノス・アイレスはスペイン語で〈良い空気〉を意味し,温暖な気候と適度な降水量に恵まれる。年間平均気温は16℃,6~7月が最も寒くて平均11℃,1月がいちばん暑くて平均24℃,年間降水量は1000mmで,3月が最多雨月で月間降水量は120mm。
パラグアイ川,パラナ川,ウルグアイ川の各支流が合流するラ・プラタ川水系のかなめの地点に位置するブエノス・アイレス港は,ラ・プラタ川支流のリアチュエロ川の河岸と五つの港区を運河で結ぶ整った港湾施設をもち,国内および近隣諸国からの輸出産品の積出しで活況を呈してきた。しかし近年その老朽化が著しく,大がかりな改修工事の必要性に迫られているが,資金難で作業は遅延している。陸上輸送網はブエノス・アイレス市を中心に放射線状にはりめぐらされ,とくに鉄道は1857年に開通して後,ラテン・アメリカ諸国の中で最もよく発達している。同市はアンデス山脈を越えてチリのバルパライソ港,アントファガスタ港と,またボリビアの首都ラ・パスとも鉄道で結ばれている。市内には地下鉄も5線走っている。近郊には大規模なエセイサ国際空港があり,南アメリカにおける国際航空路の一大中心地となっている。
世界の食糧庫と呼ばれる肥沃な大草原パンパを後背地にもつブエノス・アイレス港は,穀物,食肉,亜麻,羊毛,皮革など伝統的な輸出産品の積出しで世界的貿易港の地位を維持してきた。また1930年代以降パンパ以外の地域で特産物の生産が伸び,そうした新たな農産物品目の積出しに加えて,工業化の進展にともなう工業製品の輸出向け積出しも増加している。他方,同港から輸入されるおもな品目としては機械,輸送機械,石炭をはじめとする鉱産物,化学製品,鉄鋼などがあげられる。交通の便を利用して首都近郊には衛星工業地帯が広がっている。パンパの農牧業と結びついた冷凍業,製粉業や製糖業など伝統的農産物加工業に加えて,繊維,皮革,製紙,陶業,印刷,そして金属,機械,輸送機械,化学,精油,エレクトロニクスなど新興産業が盛んである。
同市は1536年スペイン人のペドロ・デ・メンドサによりリアチュエロ河岸に創設されたが,41年原住民の襲撃にあって崩壊し,同市の入植者はアスンシオン(現在パラグアイ領)に移住した。その後1580年スペイン人フアン・デ・ガライJuan de Garayにより再建されたが,後背地がメキシコやペルーのように貴金属や熱帯産品などスペイン本国が欲する産物に恵まれず,ペルー植民地の辺境地にとどまっていた。すべての貿易は太平洋岸のリマを通さなければならなかったため,ブエノス・アイレス港は密輸の基地となっていた。しかし18世紀に入り,スペインの植民地貿易独占政策が緩和される中で,1776年ラ・プラタ副王領が設置された。ブエノス・アイレス市はその主都および正式の貿易港に指定され,経済活動が盛んになっていった。同市は1806年と07年にイギリス軍の侵略を受けるところとなり,その攻防戦を契機としてスペインからの独立運動の拠点となった。独立後の建国の過程で同市は首都およびブエノス・アイレス州の州都として発展してきたが,連邦主義派と中央集権主義派との対立が深まる中で,同市の行政上の地位が政治論争の焦点になっていった。連邦主義派が主導する1853年の諸州連合結成に際して,首都は一時ブエノス・アイレス市からパラナ市へ移った。62年首都に復帰したブエノス・アイレス市は,首都と州都との分離政策に基づいて80年連邦直轄の首都となり,ブエノス・アイレス州の州都は82年ラ・プラタ市に決定された。
19世紀後半以降の開放的自由経済主義に依拠した近代化の過程で,移民,外資,技術などが広くヨーロッパに求められ,その受入れの窓口となったブエノス・アイレス港を通して同市はヨーロッパ的な都市として急速な発展を遂げた。1855年には人口10万,62年には20万,1905年には100万,27年には200万と急成長を続けた。計画的な都市建設が進められ,碁盤目状の街路に沿ってヨーロッパ風の高層建造物が建ち並び,大統領府と連邦議事堂とを結ぶ五月(マージョ)通りは,アメリカ合衆国のワシントン市の都市づくりを採り入れて市の中央を走る。五月広場を中心に祖国解放の英雄サン・マルティンの眠る大聖堂,ラ・メルセー教会,コロン劇場,高級商店街のフロリダ通りやサンタ・フェ通りなどがあり,南へコロン通りを下ると,古い港町のボカに至る。また市内には約40の大学がある。近年,首都圏への人口集中により都市問題が深刻化し,近郊の宅地開発や道路拡張計画が実施されている。
執筆者:今井 圭子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南アメリカ、アルゼンチンの首都。同国中東部、大西洋岸からラ・プラタ川を240キロメートルさかのぼった南西岸に位置する。人口296万5403、大都市圏人口1129万8030(1991)。国の政治、経済、文化の中心地であるとともに南アメリカの文化の中心で、「南アメリカのパリ」とよばれる。地名は「よい空気」を意味し、温暖かつ適度な降水量に恵まれ、年平均気温は17℃、年降水量は975ミリメートルである。パラグアイ川、パラナ川、ウルグアイ川の各支流を集めるラ・プラタ川水系の要地にあるため、国内および近隣諸国の水運の結節点となり、世界的な大貿易港がある。ラ・プラタ川支流のリアチュエロ川沿岸と五つの港区が運河で結ばれ港湾施設も整っているが、近年老朽化が進み、大規模な改修工事が必要とされている。水運に加え鉄道、道路が放射状に張り巡らされている。とくに鉄道網の発達は南アメリカ随一で、チリ、ボリビアへ至る鉄道のほか市内には地下鉄も通じている。また、近郊にはエセイサ国際空港があり、南アメリカにおける国際航空路の中心となっている。
後背地の肥沃(ひよく)な大草原パンパでは、「世界の食糧庫」と称されるほど豊かな農牧畜業が営まれ、ブエノス・アイレス港からは食肉、穀物、皮革、羊毛、亜麻(あま)など伝統的輸出産物が積み出される。さらに、パンパ以外の地域の特産物に加えて、近年は工業製品の輸出も増加してきた。一方、同港からのおもな輸入品は、機械、石炭をはじめとする鉱産物、化学製品、鉄鋼などがあげられる。交通の便に恵まれ、近郊には衛星工業地帯が広がり、冷凍、製粉、製糖などの伝統的食品加工業に加えて、繊維、皮革、製紙、陶業、印刷、そして金属、機械、化学、精油などの工業も発展している。
市街は、ラ・プラタ川に沿って碁盤の目状に区画された美しい街で、道路にはプラタナスやジャカランダの並木が茂り、広場や公園が多い。市の中心部には、大統領府と国会議事堂を結ぶ5月大通りと、それと交差する道幅が144メートルもある7月9日大通りがある。ほかに、独立運動の英雄サン・マルティンを祀(まつ)る大聖堂、世界三大劇場の一つであるコロン劇場、フロリダ通りやサンタ・フェ通りの高級商店街、アルゼンチン・タンゴの発祥地で植民地時代の古い建物の残るボカ地区など観光名所が多い。
[今井圭子]
1536年、スペイン人のペドロ・デ・メンドサによって建設されたが、41年に原住民の襲撃によって崩壊し、入植者はアスンシオン(現パラグアイ首都)に移った。1580年、スペイン人のフアン・デ・ガライにより再建されたが、みるべき発展はなかった。1776年、ラ・プラタ副王領が設置され、その首都となり、内陸部とヨーロッパを結ぶ中継港として発展し、経済活動も盛んになった。1806~07年にイギリス軍の侵略を受け、それを契機として独立運動の拠点となった。独立後は首都およびブエノス・アイレス州の州都となり、1853年首都がパラナに移ったが、62年首都に復帰した。その後、1880年には首都と州都の分離政策により、ブエノス・アイレスは連邦直轄の首都となり、82年州都はラ・プラタに移された。19世紀後半以後、外国人移民、外資、技術を積極的に導入し急速な発展を遂げ、ヨーロッパ風の近代都市が建設された。近年、首都圏への人口集中により都市問題が深刻化し、近郊の宅地開発や道路拡張計画が実施されている。また、パタゴニアのビエドマへの首都移転も計画されている。
[今井圭子]
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南アメリカ,アルゼンチンの首都。1536年ペドロ・デ・メンドーサが建設したが一時放棄され,ファン・デ・ガライが80年に再建した。1776年ラ・プラタ副王領の首都となり,1816年の独立後も政治,経済,文化の中心として発展した。19世紀後半多数のヨーロッパ移民を受け入れる過程で,「南米のパリ」と呼ばれる大都会となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…正式名称=アルゼンチン共和国República Argentina面積=278万0400km2人口(1996)=3499万5000人首都=ブエノス・アイレスBuenos Aires(日本との時差=-12時間)主要言語=スペイン語通貨=アルゼンチン・ペソArgentine Peso南アメリカ大陸の南東部に位置する連邦制共和国。新大陸の探検時代に到来したスペイン人が,当地に住む原住民の銀の装身具にちなんで国土の中央部を流れる大河をラ・プラタ(スペイン語で〈銀〉の意)川と命名,同川流域一帯はラ・プラタ地方と呼ばれるようになった。…
…〈ポルテーニャ〉は〈港の〉を意味する女性形の形容詞であるが,この場合,港とはとくにブエノス・アイレスを指している。すなわちタンゴを主にしてミロンガ,バルスvals(南米風ワルツ)などを含め,港町ブエノス・アイレスのちまたに行われた大衆的な音楽をこのように総称する。…
…puerto(港)からの派生語で〈港の〉もしくは〈港の住民〉を意味する。南アメリカではアルゼンチンの首都ブエノス・アイレス市の市民を指すことが多い。スペインの植民地時代から同市は貿易港として重きをなし,市民がポルテーニョと呼ばれるようになり,これに対して内陸部の住民はプロビンシアーノprovincianoと呼ばれた。…
…ただし,ブラジルはおもにアマゾン水系に属し,ボリビアはアンデス諸国との結びつきが深いので,ラ・プラタ諸国に含めないのが普通である。 ラ・プラタ川流域のヨーロッパ人による植民は,1516年ソリスによる探検によって先鞭がつけられ,36年メンドサがブエノス・アイレス市を建設したが,原住民との抗争から41年に放棄された。この間メンドサの部下のサラサールがアスンシオン市を建設し,以後ラ・プラタ地方の植民活動の中心地となった。…
※「ブエノスアイレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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