ドイツ北部,ニーダーザクセン州の都市。人口24万5872(2004)。オカーOker川の両岸にまたがり,古来重要な東西方向と南北方向の遠距離交通路が交わる地点に位置する。周囲には肥沃な農業地帯が広がり,また各種鉱物資源を産するハルツ山地にも近い。通常の行政・司法官庁のほか,農林業に関する全国規模の中心的官庁と研究所があり,1745年設立のコレギウム・カロリーヌムは1968年に総合大学に昇格した。産業的には農産物加工業と金属・化学工業が盛んで,電気・光学分野の精密機器製造も行われている。
ブラウンシュワイクの古い時代の歴史は闇に包まれているが,最近の考古学的研究によれば,アルトシュタット市区の集落遺構は9世紀に属し,二つの教会も9~10世紀に建てられたことがわかった。この宿営地型非農業集落(ウィク)と,ほぼ1000年前後にオカー川の中州につくられたブルクとを二つの核として,12世紀に急速な都市的発展がなしとげられる。すなわち,ザクセン大公ハインリヒ獅子公がここに,王城をしのぐ宮殿と大聖堂とを造営した。13世紀に入ると,商人・手工業者市区の住民たちは,共同体的結集を強めて都市君主から自治権を獲得し,14世紀にはハンザ同盟に加わったほか,ザクセン都市同盟の中心として活躍した。その間,大公領の首都機能は12km南方のウォルフェンビュッテルWolfenbüttelに移り,中世末期には都市内部の深刻な争いが繰り返されて衰えたが,三十年戦争後に再び大公領の首都となり,18世紀中葉には新たな隆盛期を迎えた。
執筆者:山田 欣吾
ハインリヒ獅子公によって1173-95年,3廊式バシリカとして建立された大聖堂は,ニーダーザクセンにおける最古のボールト架構建築であった。堂内に安置された獅子公夫妻の墓碑彫像(1240ころ)は,ザクセン朝初期ゴシック彫刻の代表作である。ブルク・ダンクワルデローデもハインリヒの宮殿として築かれた(1173-1203)。その前に立ついわゆる〈ブラウンシュワイクの獅子〉(1166)は,やはりハインリヒが,みずからの力の象徴として建てたもので,西欧でははじめての大型ブロンズ丸彫像である。
執筆者:勝 國興
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ドイツ北部、ニーダーザクセン州ブラウンシュワイク県の県都。ブラウンシュワイク県は、1918年までは公領、46年までは一共和国をなし、市はその首都であった。市の人口は24万5800(2000)。ハルツ山地の北方約40キロメートル、黄土沃野(よくや)の北縁に位置し、ミッテルラント運河が通じる。19世紀なかば以来工業が発展し、農業機械や農産物缶詰から、機械、自動車、電子機器などに分野を拡大した。官公庁、工業大学その他の学校があるほか、アントン・ウルリヒ公美術館(絵画)、自然博物館、ブラウンシュワイク地方博物館などの文化施設が整備されている。12世紀にハインリヒ獅子(しし)公(1129ころ―95)の本拠地となり、公自身を象徴する獅子像(1166)、居城ダンクワルデローデ城(12世紀)、公が建て、自身の墓のある壮大なロマネスク様式の大聖堂(12世紀)が残されているが、第二次世界大戦の戦災のため、歴史的建築物は少ない。旧市街の街路が複雑なのは、中世に七つの市区が別々に発達したことによる。
[齋藤光格]
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