コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ブラウン事件判決 ブラウンじけんはんけつ

2件 の用語解説(ブラウン事件判決の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

ブラウン事件判決【ブラウンじけんはんけつ】

1954年米国最高裁が,公立学校における黒人と白人の別学を定めた州法を違憲と認めた判決。カンザス州で白人校への転入を拒否された黒人生徒の父親オリバーブラウンが,市の教育委員会を告訴。
→関連項目全米黒人地位向上協会

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ブラウンじけんはんけつ【ブラウン事件判決 Brown v.Board of Education】

1954年,アメリカ合衆国最高裁が公立学校における白人と黒人の別学を定めた州法を違憲とした判決。当時,南部を中心に20余りの州が,南北戦争後の人種隔離政策segregationに根ざす別学制度をとっていた。1896年の最高裁先例〈プレッシー対ファーガソン判決〉は,白人と黒人の設備が同等であれば,人種の違いを理由に隔離することを認めていた。事件は黒人であることを理由に娘の入学を拒否されたカンザス州トピーカのオリバー・ブラウンが,教育委員会を告訴したもので,本判決は,先例の〈分離しかし平等〉という法理は公立学校教育の分野に適用されないとし,〈分離された教育は本質的に不平等である〉と判断した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のブラウン事件判決の言及

【アメリカ合衆国】より

…この制度は憲法に明文をもって特に規定されているわけではなく,1803年のマーベリー対マディソン事件によって確立された。その後奴隷制拡大を認めた1857年のドレッド・スコット事件判決,連邦所得税法を違憲とした判決,ニューディール立法に関する判決,1954年の黒人差別をめぐるブラウン事件判決など,アメリカの政治を大きく左右した違憲立法判決がある。〈9人の老人〉(最高裁判所裁判官)によって,国民の代表機関である議会の立法が否定されることは反民主的であるという批判もあり,事実,裁判所はその制度的保守性のゆえに,一時代前の思想を代弁することが少なくない。…

【黒人問題】より

…(5)黒人革命時代 第2次大戦に多数の黒人が参加してから,黒人大衆の自覚が非常に高まった。1954年に最高裁が公立学校での人種別教育を違憲としたブラウン事件判決を下し,55年末から深南部の中心アラバマの州都モンゴメリーでキング牧師らがバス・ボイコット闘争を開始したのを契機に,後に黒人革命Black Revolutionと呼ばれるようになる大変化が始まる。初めこの黒人革命は,公民権運動という形をとった。…

※「ブラウン事件判決」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ブラウン事件判決の関連キーワードアングロアメリカ北アメリカアメリカン合衆国ネバダネブラスカ北米亜米利加アメリカ連合国アメリカン・ヘアレス・テリア