近代インドの宗教・社会改革運動に最も重要な役割を果たした宗教団体。1828年R.M.ローイがカルカッタにブラフマ・サバーを結成した時点をもって,ブラフマ・サマージの創設とみなすのが通説である。唯一・無形・遍在の神を礼拝し,偶像崇拝を排し,普遍的信仰を標榜するブラフマ・サバーの活動は,ローイの渡英(1830年末)以降振るわず,43年タゴールDevendranāth Tagore(1817-1905)が20名の青年を率いて入門儀礼を受けることによって復活した。事実上ブラフマ・サマージを組織し,ブラフマ信仰を神学的に基礎づけたのはタゴールである。
ブラフマ・サマージはヒンドゥー教と近代合理主義の間を普遍的信仰を求めて苦闘した。その闘いから近代インドの精神が形成された。タゴールの信仰はヒンドゥー教に傾斜し,キリスト教の伝道に対抗したが,ベーダ無謬説を否定する近代的側面もあった。タゴールは不在大地主であり,社会的には保守的であった。台頭する中間層はこれを不満とし,66年ケーシャブ・チャンドラ・セーンの指導下に分裂し,インド・ブラフマ・サマージが設立され,70年代半ばまで社会改革運動を展開し,インドの他地域にも影響を与えた。70年代後半セーンがヒンドゥー行法へ傾斜すると,社会改革をより強力に推進しようとする青年層が分裂,78年シャダロン・ブラフマ・サマージを結成した。60年代から80年代にかけてブラフマ・サマージはインド社会改革運動の前衛を形成し,多くの青年知識人を傘下に収めた。民族運動の形成をはじめ,ブラフマ・サマージはインド近代化に寄与するところがきわめて大きかった。
執筆者:臼田 雅之
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近代インドの宗教・社会改革団体。ラーム・モーハン・ローイによって1828年にカルカッタ(現コルカタ)で創設された。ローイはヒンドゥー教に基盤を置きつつ、その偶像崇拝や寡婦殉死の悪習に反対、キリスト教やイスラム教とヒンドゥー教の融和を主張した。しかし、彼の渡英(1830)後、運動は一時沈滞したが、42年にD・タゴールの創設した「真理にめざめる会」と合併し、社会教育活動の面での活発な運動が展開された。ついで57年にはセーンが加わり、タゴールと2人による指導が続けられたが、両者の考え方の差はどうしようもなく、66年にはセーンが分派をつくった。それ以後は社会福祉面での活動が中心となっている。
[増原良彦]
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