ラーム・モーハン・ローイ
Rām Mōhan Rōy
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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ラーム・モーハン・ローイ
らーむもーはんろーい
Rām Mohan Roy
(1772/1774―1833)
近代インドの宗教・社会改革運動の指導者。ベンガル地方のヒンドゥー教ビシュヌ派のバラモンの家に生まれたが、キリスト教の影響を受け、ヒンドゥー教に内在するカースト制度や寡婦殉死などの悪習に反対し、インド社会の改革を目ざした。そのため1828年にはインド・ユニテリアン教会を設立。のちにこの会はブラフマ・サマージに発展した。1830年に渡英し、ブリストルにおいて客死。
[増原良彦 2018年5月21日]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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ラーム=モーハン=ローイ
Ram Mohan Roy
1772(74)〜1833
近代インドの宗教・社会改革者
ベンガルのバラモン出身。ウパニシャッドに説かれている純粋な一神教を理想としてヒンドゥーイズムの改革を追求,ウパニシャッドを英語・ベンガル語に翻訳し,1828年にはカルカッタで宗教団体ブラーフマ−サマージを設立した。また寡婦殉死(サティー)廃止にも奔走し,社会改革運動を盛り上げた。英語教育を中心とする近代教育にも力を入れ,イギリスに渡ったが客死。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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世界大百科事典(旧版)内のラーム・モーハン・ローイの言及
【ベンティンク】より
…彼は,赤字だったインド財政を黒字化する一方,行政,警察,裁判の機構の改革や地税の課税基準の緩和を行い,行政や裁判へのインド人の採用を増大させた。さらに,インド人への英語教育を推進するとともに,ラーム・モーハン・ローイなどに協力して,寡婦焚死([サティー])の慣行を禁止(1829)したことは有名である。また,マイソール藩王国の行政権を掌握し,クールグを併合した。…
※「ラーム・モーハン・ローイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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