ローイ(読み)ろーい(英語表記)Otto Loewi

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローイ」の意味・わかりやすい解説

ローイ(Manabendranāth Roy)
ろーい
Manabendranāth Roy
(1893―1954)

インドの革命理論家。本名Narendranāth Bhattāchārya。ベンガル農村のバラモンの家に生まれる。第一次世界大戦中に革命的民族運動に参加し、渡米。共産主義思想に触れ、1917年メキシコに入り、そこでコミンテルン(第三インターナショナル)によって派遣されたボロディンと会って交友が始まる。メキシコ共産党員として1920年のコミンテルン第2回大会に出席。そこでレーニン要請で書いた民族・植民地に関する補足テーゼは民族運動内のブルジョアジーの役割に関してレーニンと評価を異にしたが、これによって彼の名は一躍有名になった。1926年にコミンテルンの幹部会員となり、同年末中国に渡る。モスクワに戻ったあとスターリンと対立し、1928年コミンテルンを除名される。ドイツに入り、1930年末インド帰国。ネルーらの支持も受け、社会主義者ともときに提携するが、第二次世界大戦中イギリスの戦争行為を支持し、民族運動から離脱戦後は政治を離れ急進的人道主義運動に専念著書は『過渡期のインド』(1922)など多数。

[内藤雅雄]

『J・P・ヘイスコックス著、中村平治・内藤雅雄訳『インドの共産主義と民族主義――M・N・ローイとコミンテルン』(1986・岩波書店)』


ローイ(Otto Loewi)
ろーい
Otto Loewi
(1873―1961)

オーストリア薬理学者。ドイツのフランクフルトに生まれ、ミュンヘン大学ストラスブール大学医学を学ぶ。1898年マールブルク大学薬理学教授マイヤーHans Horst Meyer(1853―1939)の助手となり、薬理学を専攻。1905年オーストリアのウィーン大学薬理学教授となり、1909年グラーツ大学薬理学教授に就任して、自律神経系と化学物質との関係について研究を進めた。1933年カエルの心臓の実験の結果、神経の末端から特殊な化学物質アセチルコリンの放出を確認した。1936年「神経刺激の化学的伝達に関する発見」により、イギリスのデールとともにノーベル医学生理学賞を受けた。彼はユダヤ人で、ナチスに追われ、1940年アメリカに渡り、ニューヨーク大学教授となった。

[根本曽代子]


ローイ(Raymond Loewy)
ろーい
Raymond Loewy
(1893―1986)

フランス出身のアメリカのデザイナー。パリ生まれ。パリ大学工学部を卒業。1919年アメリカに渡り、イラストレーターとして活躍したのち、29年にニューヨークにインダストリアル・デザインの事務所を開いてからは、文字どおり「口紅から機関車まで」(彼の自叙伝の副題)を網羅するあらゆるデザインの分野で活躍した。おもなものに、ペンシルベニア鉄道の流線型機関車(1937)、たばこ「ラッキー・ストライク」(1940)、自動車「スチュードベーカー」(1947)、日本のたばこ「ピース」(1952)のデザインなど。

[高見堅志郎]

『藤山愛一郎訳『口紅から機関車まで――インダストリアル・デザイナーの個人的記録』(1981・鹿島出版会)』

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