改訂新版 世界大百科事典 「ブリュッケ」の意味・わかりやすい解説
ブリュッケ
Die Brücke
表現主義の先駆となったドイツの画家グループ。〈橋派〉と訳される。パリのフォービスム成立と同じ1905年にドレスデン工科大学建築科学生のキルヒナー,ヘッケルErich Heckel(1883-1970),シュミット・ロットルフKarl Schmidt-Rottluff(1884-1976)らが当時の自然主義,象徴主義さらには印象主義に対する反発から,新しい表現を求めて結成した。〈橋派〉の名はシュミット・ロットルフがグループの結束を願って命名したものだが,後に彼らの作品が新しい芸術に向けての橋の役割を意味するものと考えられるようになった。彼らは共同生活を営んで生活と芸術の一致を目ざした。しかし様式上の流派を形成したり,主義主張を宣言することはなかった。後にベルリンのミュラーOtto Mueller(1874-1930)を加え11年ベルリンに移住。ほかにブライルFritz Bleyl,ノルデ,ペヒシュタインMax Pechstein(1881-1955)や外国の画家たちなど,何人かのメンバーの出入りがあった。しかし13年にキルヒナーが執筆した《ブリュッケ小史》が,明確な宣言をもたないというブリュッケの基本姿勢に反するとして意見が対立し,解散した。
この間ゴッホやムンクの影響を受けながら,彼らはドレスデン郊外のモーリッツブルク湖畔で少女の裸像を共々に描くなど,共同の生活と制作により,色彩に感情的価値を託した平面様式を発展させ,また中世版画や未開人の彫像に触発されて素朴な木版画を復活させた。そこには人間とその欲望を解放させるという社会的動機があったが,大都市ベルリンへの移住後,それは疎外された人間や街に向けられ,様式も色彩を抑えた鋭角的フォルムに変わり,悲劇的様相を帯びるにいたった。
→表現主義
執筆者:土肥 美夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報