オーストリアの神経病学者,精神分析の創始者。オーストリア・ハンガリー二重帝国に属していたモラビア地方の小都市フライベルク(現,チェコのプシーボル)にユダヤ商人の息子として生まれる。4歳のとき一家をあげてウィーンに移住。1881年ウィーン大学医学部を卒業。
はじめ,すでに学生時代から出入りしていたブリュッケE.W.von Brückeの生理学研究室で神経細胞の組織学についての研究に従事,ついで臨床に転じウィーン大学付属病院Das Wiener Allgemeine Krankenhaus(日本の翻訳書はすべて〈一般病院〉または〈総合病院〉と直訳しているが適切ではない)でさまざまな科の臨床実習に従事した。精神科教授マイネルトT.Meynertのもとでは5ヵ月間臨床に従事したが,むしろ基礎研究が主で,延髄の伝導路に関する組織学的研究を行う。したがってフロイトの精神科医としての基礎修練は無に等しいといってよい。
大学付属病院で,フロイトが最も興味を抱いたのは神経疾患である。彼はそこで局所診断の的確な神経病学者として知られるようになる。85年,神経病理学の講師の資格を取得。85-86年,約5ヵ月間,パリの高名な神経病学者J.M.シャルコーのもとに留学。そこではヒステリーの問題に関心を寄せる。帰路,ベルリンのバギンスキーA.D.Baginskyの病院で小児神経疾患を見学し,帰国後,30歳にして神経病医として開業。同時にカソウィッツ公立小児病研究所の小児神経科科長を兼ねる。この時期の《失語症の理解のために》(1891)は,当時支配的であった言語中枢を万能視する局在論を批判したきわめて先駆的な業績であり,また脳性小児麻痺に関する三つの論文(1891,1893,1897)は,今日の神経学の水準からみても完璧な症状論を提出している。つまり精神分析学者フロイトの前身は,第一級の神経病学者であった。
ヒステリー患者の根本的治療を模索する開業生活の中で,催眠術とは決別した自由連想法と称する精神分析療法が誕生する。これは精神病理学者・精神療法家フロイトの誕生をも意味する。J.ブロイアーと共著の《ヒステリー研究》(1895)では,おもにブロイアーの催眠浄化法がとり上げられているが,症例エリーザベト嬢(エリーザベト・フォン・R)に対しては,未熟な形ながら自由連想法が採用されている。この書の中では〈抑圧〉〈無意識〉〈転換〉の機制がとり上げられ,ヒステリーは抑圧された性的契機が大きな意味をもつ性的神経症であると主張されている。この書があたかも一編の小説のように読めることについて,フロイトみずからそれは対象の性質によるものだと弁解しており,従来の神経病学研究とは異質な心の深層すなわち無意識の探求という領域に踏みこんだある種のとまどいをみせている。
フロイトの症例報告は,このヒステリーの症例研究以後も,患者の示す現象の忠実・精緻な観察に終始しているが,同時にこうして把握した心理現象は,可能なかぎり自然科学的・生物学的・精神物理学的なモデルに整理した。これは,反生気論的・物理化学的生命論の推進者の一人であったブリュッケのかつての忠実な弟子であり,脳の器質病変の精密な研究者でもあったフロイトにとっては必然の思考形式でもあった。フロイトがメタ心理学と名付けた力動的・局所論的・経済論的な無意識に関する心理学と,フロイトの直接経験との間のへだたりや飛躍が繰り返し指摘されることがあるのは,上記のフロイトの思想形成の特徴に基づいている。《ヒステリー研究》の発刊年に書かれたノート《科学的心理学草稿》は,フロイト自身は発表する意図を放棄した論考だが,〈心的諸過程を明示しうる物質的要素によって量的に規定される諸状態として記述する〉と冒頭で明言している。この草稿はフロイトの思想の機械論的な一面をはっきり示している点でも,後年のメタ心理学の基本構想が展開されている点でも貴重である。
しかし精神分析療法という新しい治療的人間関係から得られる知見は,このような生理学的心理学樹立の意図とはつねに背馳(はいち)するものとなる。例えば,患者の幼少時期の対人態度の様相が治療状況の中でいきいきと再演される〈感情転移〉の発見はその最たるものである。フロイトが治療上は〈転移〉〈逆転移〉を最も重視したのは,彼が治療の局面においては対人関係論者,対象関係論者であったことを示している。
フロイトはやがてブロイアーと理論的・感情的齟齬(そご)を来したのち,フリースW.Fliess(ベルリンの耳鼻科医。有能だが偏執的な理論を唱えた人物)にはなはだしい傾倒を示し,1887-1901年にかけて両者の間に頻繁な文通が行われる。フリースあてのフロイトの手紙の中には,あまたの自己分析が含まれており,失錯行為と夢の意味,エディプス・コンプレクス,攻撃性の問題,空想や創作の心理的意味といった彼のその後の主要な思想の萌芽がすべて見いだされる。これをみれば,フロイトの心理的発見は,自己分析と患者の精神分析との照合に由来する産物であることがわかる。フロイトはフリースをはじめ過大評価し,やがて彼の実像がみえてきて幻滅する(これはフロイトの同性の友に対する反復される基本的対人態度でもある)。
この間,フロイトはいわば患者の側に自分を置き,フリースをいわば主治医とみなしてさまざまな感情転移をフリースにさし向けていたということができる。フロイトは手紙の中に事実,当時多彩な神経症様あるいは心身症様の訴えを書きつけてもいる。この〈フリース期〉において,フロイトは自己の理論の展開に対する体験的基盤を獲得したといえる。
フリースへの傾倒の終焉(しゆうえん)のさなかに書かれた大著《夢判断》(1900)には,自己分析に終始したこのフリース体験が生かされている。フロイト自身,夢は一種の可逆的な精神病であると述べているが,夢の象徴や夢の形成理論は,当時のチューリヒ学派(E. ブロイラーとC.G. ユング)によって,精神分裂病(統合失調症)の理解のための有力な武器とされた。夢解釈に続いて失錯行為や機知に関する考察もなされるが,いずれも健康者がいかに自己の無意識的欲求に支配されているかを豊富な実例を挙げながら解明したものである。神経症者にも健康者にも共通の心理機制を見いだすというのはフロイトの一貫した姿勢である。
1902年ウィーン大学員外教授となる。05年には《性欲論三篇》を発刊する。その中で展開される幼児性欲とその段階的発達理論は,神経症者の幼児期体験,性倒錯の存在ならびに自己分析を資料とし,進化論的発想を下敷きとした人格発達論でもある。フロイトの一貫した乳幼児期の重視は,彼がかつて小児神経病学の第一人者であったこととも無関係ではあるまい。性とならんで,フロイトは人間の抑圧された攻撃性にも深く注目した。性的発達の中に含まれるサディズム的要素,治療者によせる患者の敵対感情,強迫神経症,うつ病ならびにパラノイアにおける病因としての攻撃性の意義,エディプス・コンプレクスにつきものの愛と憎しみ--いずれも攻撃性への着目である。もっとも,フロイトが独立した攻撃欲動(〈死の本能〉)の存在を認めたのは晩年である。
1904-20年にかけては13の精神分析技法論を発表し,精神分析療法の基本理念を確立する。エス(イド),自我,超自我という三分割の心的装置論は,《集団心理学と自我の分析》(1921),《自我とエス》(1923)において展開され,自我の分析に比重が移っていく。《悲哀とメランコリー》(1917)と《制止・症状・不安》(1926)とは後期の臨床論文として重要である。前者はうつ病の精神力動論の礎石をなすものだし,後者は,不安を中心に論じて彼の神経症論のひとつの到達点を示したものといえよう。
フロイトは《ヒステリー研究》のほかに五つの詳細な症例研究を発表している。《症例ドラ》(1905。ドラ)では夢分析と感情転移の問題が論じられ,《症例ハンス》(1909。少年ハンス)は児童精神分析のさきがけであり,《強迫神経症の一症例に関する考察》(1909。ねずみ男)と《ある幼児期神経症の病歴より》(1918。狼男)とはともに強迫状態に関する考察,《症例シュレーバー》(1911。シュレーバー)は精神分裂病者の手記に対する精神分析的解釈の試みである。
フロイトは芸術愛好者だが,創作活動を快楽を生み出す白昼夢と等価なものとみなし,《ハムレット》や《カラマーゾフの兄弟》の中にみられるエディプス・コンプレクスを指摘し,他方,レオナルド・ダ・ビンチの創作の秘密やミケランジェロのモーセ像の意味について論じている。《ある幻想の未来》(1927)では,宗教は人間の未熟な心理の外界への投影,つまり幻想にすぎず,一種の集団的な強迫神経症(その根底にあるのは父なる神に対するエディプス・コンプレクスである)とみる宗教論を展開しており,《トーテムとタブー》(1912-13)では,原始群族の間でオイディプスの惨劇が現実に行われたと推測している。《文化への不満》(1930)においては,人類の幸福追求にはおのずから限度があること,ならびに有史以来不変の攻撃本能の根強さを指摘し,私有財産制の否定が人性の向上にもつながるとする共産主義の心理的前提は幻想にすぎないと述べている。ここに一端を紹介した芸術論,宗教論,文化論は,いずれも臨床知見から得られた人間の深層心理の壮大な拡延の試みであり,根拠の乏しい思弁の産物ではない。例えばマルクス主義の実践に対する予見は,今日の世界情勢をみれば的中したといえる。
フロイトの手になる精神分析の総合的解説書としては,《精神分析入門》(1917),《続精神分析入門》(1933),絶筆となった未完の《精神分析概説》(執筆1938,刊行1940)がある。前2著は啓蒙書でもあるが,後者は簡潔ながら専門家向きで,しかも〈作業同盟〉〈自我分裂〉といった臨床的に重要な新概念が取り上げられており,フロイトの思考力の衰えはみじんも感じられない。
フロイトははじめ独力で精神分析研究を推進したのだが,1902年からは自宅での研究会を開始,08年にはウィーン精神分析学会を設立するとともに,第1回国際精神分析学会をザルツブルクで開催した。09年にはアメリカのクラーク大学に招かれて講演。一方,精神分析学は,ドイツ,膝下のオーストリアの大学精神医学からはまったく受けいれられなかった。〈心的流行病〉(A.E.ホッヘ),〈今後10年を経ずして滅びる〉(O.ブムケ)などとおとしめられ,K.ヤスパースは第2次世界大戦後もフロイトを〈悪しき天才〉とよんでいた。
フロイトの弟子には,K.アブラハム,S.フェレンツィ,ユング(のち離反),A.アードラー(のち離反),O.ランク(のち離反),L.ビンスワンガー,H.ザックス,P.フェダーンらがいる。
研究誌としてフロイトは,《精神分析学・精神病理学研究年報》(1909-13。チューリヒ学派と協同),《精神分析学中央雑誌》(1910-12),《国際医家精神分析学雑誌》(1913-38),《イマーゴ》(1911-38)を企画・発行した(この後の2雑誌は合併されて31-41年ロンドンで発行)。23年上顎癌に罹患,以後,癌に対する33回の手術を受ける。30年ゲーテ賞受賞。38年ナチスの迫害を逃れてロンドンに亡命,39年同地で客死。死の直前まで患者に対する診療(2ヵ月前まで)と執筆活動をやめなかった。
中井久夫は《西欧精神医学背景史》(1979)において,フロイトはまだ歴史に属していない,彼の影響はなお今日も測深しがたい,巧みに無限の思索に誘い込む強力なパン種を20世紀の中に仕込んでおいた一人だといった趣旨を述べている。至言である。フロイトには《自伝》(1925),《精神分析運動の歴史》(1914)があり,〈正史〉としてはE.ジョーンズ《フロイトの生涯》(1957)がある。
→精神分析
執筆者:下坂 幸三
精神分析学者。S.フロイトの末娘。1938年父とともにウィーンからロンドンへ移住。精神分析を児童に適用し,M.クラインと対抗して児童分析の一方の代表者となり,児童向けの遊戯療法を考案。また,個人の精神発達,神経症の発生および治療における自我の役割を重視し,さまざまな衝動に対して自我がどう防衛するかの観点からそれらの問題を説明しようとした。主著には《児童分析入門》(1926)と《自我の防衛機制》(1936)がある。
執筆者:岸田 秀
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
オーストリアの精神科医で、精神分析の創始者。5月6日、モラビアのフライベルク(現在のチェコのプリボール)に生まれる。父はユダヤ人で羊毛の商人。異母兄が2人いるが、8人兄弟の長子。4歳のときウィーンに移住するが、このころ経済的には困窮状況にあった。1874年ウィーン大学に入学。最初はブレンターノの講義に出席し、その志向性の考え方に影響を受ける。入学後3年目になりブリュッケErnst Wilhelm von Brücke(1819―1892)教授のもとで神経解剖学の研究を試みる。経済的理由で学究生活を続けることができず、ブリュッケの勧めで1881年に医学の学位をとり、翌1882年マルタMartha Bernays(1861―1951)との婚約で経済的な安定を得るためウィーンの総合病院に勤める。1885年、その間の延髄の伝導路に関する研究業績によりウィーン大学の私講師のポストを得、奨学金を得てパリに留学。シャルコーのもとでヒステリーの催眠・暗示による治療を見、大きな感銘を受けて1886年その著書を独訳する。ウィーンに帰りシャルコーのところで観察した治療法を報告するが受け入れられず、開業医となる。先輩の神経科医のブロイエルJosef Breuer(1842―1925)に刺激されて催眠による治療を始める。1895年には、後年の心理学の背景となっている『心理学の草稿』が書き上げられる(この草稿は1950年になって初めて公刊された)。催眠治療中の患者の示唆により、催眠にかわる方法として自由連想法を使うようになり、治療技術としての精神分析を確立する。夢の分析的解釈を始めるようになり理論的にも整ってくる。そのころ(1902年以降)からフロイトに関心を寄せる人たちがフロイトのもとに集まり(心理学水曜会と称する)、1910年国際精神分析協会が結成された。ユングを初代会長として選ぶが、アドラーやユングはリビドーの考え方の違いからフロイトと決別する。ナチスの迫害を受けるが、1938年ルーズベルトやムッソリーニなどの助力によってロンドンに亡命。翌1939年9月23日、上顎癌(じょうがくがん)で死亡した。
[外林大作・川幡政道]
フロイトの研究業績は、大別して1920年の『快感原則の彼岸(ひがん)』を境にして前期と後期に分けられ、前期のものを深層心理学とよぶのに対して、後者は自我心理学とよばれている。前期の考え方は1890年代のヒステリーの治療経験に基づくもので、抑圧の概念を中心にして構想されたものである。こうした無意識の考え方をもっともよく示しているものは1900年の『夢判断』、1901年の『日常生活の精神病理学』、1905年の『性理論のための三篇(へん)』『機知――その無意識との関係』などである。1915年になると衝動、抑圧、無意識などの概念を理論的にまとめようとする諸論文が公刊されるが、1910年代には、レオナルド・ダ・ビンチの幼児記憶についての論考をはじめ、シュレーバーDaniel Paul Schreber(1842―1911)の病歴の回想録の分析的論考を試み、同性愛をもとにして精神病の分析的解釈を試みるようになる。こうした関心は1914年の『ナルシシズム入門』に展開されるが、この考え方は、後期に入り、1923年の『自我とエス』の論文が書かれるまで放置されたままになったものである。前期と後期の考え方の違いは、場所論と衝動論に典型的に示されている。前期の場所論では、心という装置は意識、前意識、無意識に分けられるが、この根底をなしている考え方は、意識をもとにして人間を理解しようとする意識心理学の立場を捨てて、意識は無意識から理解されるべきものであることを主張しようとするものである。これは同時代の哲学者フッサールの現象学と軌を一にするものである。
[外林大作・川幡政道]
後期の場所論では、エス(イド)、自我、超自我の三つの審級(場所)から考えられる。エスはドイツ語の非人称の代名詞であるが、およそのところ前期の無意識に対応するものである。しいていえば自我は意識に、超自我は前意識に対応させて考えられないこともないが、その意義はまったく異なり、ナルシシズムを考慮に入れたものである。衝動論についていえば、前期のものは自己保存の自我衝動と性衝動から構想されている。しかし、この衝動論は衝動の二元論を意味するものではなく、性衝動を導き出すために自己保存の衝動が仮定されたようなものである。この意味で汎(はん)性欲説といわれることがある。ナルシシズムの論考では、性衝動(リビドー)は対象リビドーと自我リビドーとして考えられるようになるが、後期の衝動論では、自己保存の自我衝動と性衝動を包括して生の衝動(エロス)とよび、これに対して死の衝動(タナトス)が仮定されるようになる。死の衝動という考え方は親しみにくい語感をもつために、精神分析家にも容易に受け入れられないものであったが、フロイトにいわせれば、これ以外には考えようのないものであった。用語の違いだけからいえば前期と後期ではかなりの相違があるように考えられるかもしれないが、フロイトの考え方そのものからいえば一貫した分析的態度が認められる。その点を明らかにすることが今後のフロイト研究の課題でもある。
[外林大作]
『『フロイト著作集』全11巻(1968~1984・人文書院)』▽『『フロイド選集』改訂版・全17巻(1969~1974・日本教文社)』▽『『フロイト全集』全23巻(2006~・岩波書店)』▽『ロンドン・フロイト記念館編、マイクル・モルナール解説・注、小林司訳『フロイト最後の日記 1929~1939』(2004・日本教文社)』▽『J・A・C・ブラウン編、宇津木保・大羽秦訳『フロイドの系譜――精神分析学の発展と問題点』(1963・誠信書房)』▽『アーネスト・ジョーンズ著、竹友安彦・藤井治彦訳『フロイトの生涯』(1964・紀伊國屋書店)』▽『O・マノーニ著、村上仁訳『フロイト――無意識の世界の探求者』(1970・人文書院)』▽『L・マルクーゼ著、高橋義孝・高田淑訳『フロイト――その人間像』(1972・日本教文社)』▽『ロバート・ウェルダー著、村上仁訳『フロイト入門』(1975・みすず書房)』▽『ピエール・ババン著、小林修訳『フロイト――無意識の扉を開く』(1992・創元社)』▽『ピーター・ゲイ著、鈴木晶訳『フロイト1・2』(1997、2004・みすず書房)』▽『鈴木晶著『図説 フロイト――精神の考古学者』(1998・河出書房新社)』▽『小此木啓吾編『フロイト』(講談社学術文庫)』▽『小此木啓吾著『フロイト思想のキーワード』(講談社現代新書)』
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1856~1939
オーストリアの精神病理学者で精神分析学の創始者。心理現象を性欲と自我との葛藤とみるその理論は,従来の精神病理学,心理学に大きな衝撃を与えただけでなく,広く人文・社会科学にも影響を及ぼした。主著『夢判断』(1900年)。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…精神分析とは,創始者であるS.フロイト自身の定義に従うと,(1)これまでの他の方法ではほとんど接近不可能な心的過程を探究するための一つの方法,(2)この方法に基づいた神経症の治療方法,(3)このような方法によって得られ,しだいに積み重ねられて一つの新しい学問的方向にまで成長してゆく一連の心理学的知見,である。ここでフロイトの述べている方法とは,主として自由連想法である。…
…また,〈合一の欲求〉が,本来の利己性を超えて,対象の利益の顧慮から,〈自己犠牲〉にまで進むことも,強烈な〈情緒〉と〈苦楽〉をともなうことも,納得がゆく。 しかし,フロイトの説く〈リビドー〉と異なり,万有の本源から発して,全存在に遍満しなければならない,〈ある単一の力〉とは,いったいなにか。それが,なぜ,いかにして,〈合一の欲求〉を生じさせるのか。…
…気の合った同性愛者が共同生活をしている分には問題がないが,同性愛者が異性愛者と結婚生活を送れば,早晩,問題を起こしてくる道理である。 フロイトは人間の幼児時代は多形倒錯的であると主張した。のぞく,露出する,大小便に興味をもつ,サド・マゾヒズム的傾向などが幼児期に明瞭にみられる。…
…人間男女がのぼせ上がる恋愛は〈種族の意志〉としての性衝動の発現による悲喜劇的幻影にすぎないと彼は説いている。しかし,このエロスの問題に科学的にメスを入れ,現代思想に大きな衝撃を与えたのは,フロイトの〈エロスの心理学〉,精神分析であった。フロイトは意識的思考と無意識世界の矛盾的力動関係を究明し,無意識世界に支配的なのは快楽原則にのみ忠実な性的衝動であるとして,幼児性欲の展開過程をも白日のもとにさらけ出したのである。…
…強迫思考や強迫行為に悩んでいる状態で,精神病や脳器質性の障害を否定することができる場合をいう。強迫神経症という名称を理論的な根拠に基づいて使用したのはS.フロイトである。彼以前には,パラノイアと強迫状態との類似がもっぱら考えられており,フロイトがはじめて強迫とヒステリーとの共通点をあげて,これを神経症とみなしたのである。…
…S.フロイトの用語。親が幼児の性行動を威嚇したり制限したりすることに対する心理的反応で,去勢の幻想を中心とするコンプレクス。…
…このように,人類は同一の種に属しながら,近親相姦の扱いに多様性を示しているのは,文化の次元で対処していることの表れである。外婚制【末成 道男】
[フロイトの理論と犯罪学的知見]
精神分析学者S.フロイトは,3~5歳の年齢に達した男児は,母親に対して性愛的感情を抱き,それゆえライバルとみなされる父親に敵意を感じるとして,これをエディプス・コンプレクスと名づけた。女児ではこれと反対に,父を愛し母を憎むので,エレクトラ・コンプレクスという。…
…S.フロイトの用語。夢では覚醒時にくらべて無意識的内容が浮上しやすくなるが,それでも無意識的内容が前意識―意識系に到達することを禁止したり抑制する機能が働いている。…
…S.フロイトの用語。患者または子どもが,実際に観察したり,いくつかの手がかり(物音とか動物の性行為)から推測したり,または想像したりした両親の性関係の光景のこと。…
…S.フロイトの用語。フロイトによれば,精神活動は,〈快楽原則〉と〈現実原則〉という二つの原則によって支配されている。…
…S.フロイトの提唱した精神分析の概念。彼は神経症を現実神経症と精神神経症とに区別したが,小児期からの心理的葛藤ではなく,現実の性的活動が不適切なことによる生理的緊張の集積の結果,自律神経症状や情動障害を呈する一群があると考え,それを現実神経症とした。…
…S.フロイトのリビドー発達理論における第1段階。口愛期とも言う。…
…S.フロイトのとなえたリビドー発達理論における第2段階。大便の通過による肛門部への粘膜刺激が性感刺激となりうるが,このような快感の獲得が支配的となる年齢は,およそ2歳から4歳までである。…
…ただし,19世紀末までの心理学はすべて〈意識の学〉で,心の全体を意識現象と等価とみなして疑わなかった。その後,ヒステリーなどの神経症で,意識されていない心のなかの傾向に支配されて行動することがS.フロイトらにより確かめられ,こうした臨床観察や夢の分析を契機として心の範囲は無意識の分野にまで拡大され,同時に,エス(イド),自我,超自我といった層構造や,エディプス・コンプレクスなど各種の〈観念複合〉,投影(投射)や抑圧などの防衛機制がつぎつぎと見いだされた。こういう視点に立つかぎり,現代の心の概念はひじょうに複雑化しているといえるが,心という素朴な主観的イメージそのものは未開人と文明人とでそれほど違っているとも思えない。…
…広義には性的満足は伴わなくても,残酷さの中に喜びを見いだす傾向は広くサディズムとみなされる。S.フロイトならびにK.アブラハムの精神分析的人格発達理論においては,乳児が母親の乳房をかむことに満足を感じる時期(口唇サディズム期oral‐sadistic stage)および幼児が親の意に反抗して大便を貯溜したり排泄したりすることに満足を感じる時期(肛門サディズム期anal‐sadistic stage)にこの用語をあてている。このように精神分析的発達理論においてはサディズムなる概念は人間に普遍的な現象に対して用いられ,何ぴともこれを通過していくものとみなされている。…
…S.フロイトの用語。従来〈自我本能〉と訳されてきたが,Trieb(英語ではdrive)の原義からいって〈自我衝動〉ないし〈自我欲動〉とするのが正確である。…
…ダダ時代にはじまり,アルトーのうちに新たな展開を見る演劇面の活動や,ブニュエルらの作品に結実する実験的な〈シュルレアリスム映画〉の試みもまた,同様の傾向を呈していたと見ることができよう。
[思想的・文学的源泉]
シュルレアリスムはその初期の理論化の過程で,しばしばフロイトを援用した。もと精神科の医学生だったブルトンによる精神分析学,とくにその無意識説の文学への導入は,フランスでも最も早い例に属する。…
… ところで,20世紀に入って,西欧近代の理性主義的観念体系の根底が批判され,また人間諸科学がめざましく発展すると,言語学や精神分析ないし心理学,民族学=人類学や社会学,美学,芸術学や宗教学などの分野で,〈象徴〉という用語は,以下の記述にみられるように,いっそう多様に用いられるとともに,重要な探究の対象となった。とくに言語学(ソシュール,ヤコブソン,バンブニストら)と精神分析(S.フロイト,ユング,ラカンら)の影響の下に,象徴するものとされるものの自然的対応関係の解釈だけでなく,自然的関係を超えた象徴作用(シンボリズムsymbolism)そのものの探究が深められた。こうして,たとえばレビ・ストロースが,〈社会は,本性として,その慣習,その制度のうちにみずからを象徴的に表出する〉といい,〈すべての文化は,諸々の象徴体系からなる一個の統合体であり,その最前列に言語活動,婚姻規則,経済関係,芸術,科学,宗教が位置する〉(モース《社会学と人類学》への序文)と述べたように,象徴作用の探究は,構造主義や記号論的方法の深化とともに,人間的諸事象(流行や広告,都市化現象や政治言語などにまでいたる)の解明の中心課題の一つとなっている。…
… 以上述べてきたさまざまな心理学のほかに了解心理学の流れがある。了解心理学はW.ディルタイにはじまるが,了解を直接経験の直観的把握にとどめず,精神構造の理論に裏打ちさせたのがS.フロイトの精神分析である。彼の理論は,神経症者の心を扱わなければならない開業医としての必要性からつくられた理論で,アカデミックな心理学とは無関係であるが,一つの心理学理論として見れば,はじめは自我本能と性本能,のちには〈生の本能〉と〈死の本能〉の二つの基本的本能の表れとして精神現象を説明する本能論心理学である。…
…当時の精神医学は,W.グリージンガーの〈精神病は脳病である〉という周知の言葉がよく象徴するように,疾患の本態を脳内に求める身体論的方向をめざし,他方で,遺伝・素因・体質などの要因を重視する内因論の方向を歩んだが,こうした方向は19世紀の末にE.クレペリンが精神病の記述と分類をなしとげて一応の完成にいたる。20世紀に入るとともに,精神分析のS.フロイト,それを容認して力動的な症状論を展開するE.ブロイラー,現象学の導入により方法論を整備したK.ヤスパースら,新たな勢力が台頭して,19世紀の精神医学に深さと広がりと高さを加える。これらがヨーロッパ全域で豊かな開花をみせるのはとりわけ20世紀の20年代で,ヤスパース,H.W.グルーレ,マイヤー・グロースW.Mayer‐Grossを擁するハイデルベルク学派,R.ガウプとE.クレッチマーを擁するチュービンゲン学派,そしてクロードH.ClaudeとH.エーを中心とするフランスのサンタンヌ学派などがその重要な拠点となった。…
…精神分析とは,創始者であるS.フロイト自身の定義に従うと,(1)これまでの他の方法ではほとんど接近不可能な心的過程を探究するための一つの方法,(2)この方法に基づいた神経症の治療方法,(3)このような方法によって得られ,しだいに積み重ねられて一つの新しい学問的方向にまで成長してゆく一連の心理学的知見,である。ここでフロイトの述べている方法とは,主として自由連想法である。…
…また,同性愛については《精神障害の診断と分類の手引》1980年版以降では削除されている。 S.フロイトによると,性倒錯は幼児性欲期の諸衝動が成人期にいたるまで統合・解消されることなく残存したもので,部分本能への固着ないし退行とみなしうる。実際,潜伏期(学童期)を終わって再び性欲動が活発になる思春期前期には倒錯的衝動が自覚されたり行動に現れたりすることが多く,フロイトはこれを〈多形倒錯(期)〉と称した。…
…S.フロイトが提出した精神分析の概念。意識の現前野からははずされている考えや空想や記憶をいい,とっさには意識されないが,無意識系へと抑圧されたものではないので,比較的容易に意識化される。…
…S.フロイトが見いだした心的現象のひとつ。〈感情転移〉とも訳される。…
… 生物学的に,同性愛の原因として半陰陽,内分泌異常などが報告されることもあるが,そこから生物学的な一般原因を特定することは難しいとされる。心的原因として,たとえばフロイトは,エディプス期を克服できないまま母親との同一化に留まる退行現象を考えた。しかし,この心因論では母性との一体化・退行・停滞という特徴が,どれも同性愛と結びつけられた未開社会の特徴(停滞性,母系社会)と一致するため,同性愛一般を退化論と結びつける文化的神話性から免れていない。…
…S.フロイトが発見した防衛機制の一つ。反対の傾向を強調することによってみずからが受容しがたい衝動を制御しようとする心的な態度ないし習性をいう。…
…一般的には現在の意識野に現れてこないすべての心的内容をいうが,特にS.フロイトの精神分析理論において重要な地位を占める概念。K.ヤスパースによれば,無意識には,根本的に意識化することの不可能な意識外の機構(すなわち精神的なものの下部構造)と目下は無意識だが〈気づかれるようになりうるもの〉との二つがある。…
…松本の研究室でも,イヌがレム睡眠時にうなったり,かすかにほえたりすることが記録された。
[夢と刺激]
S.フロイトは〈夢の内容を作りあげる材料は,どんなものであろうとも,ひとがそれまでに体験したものから,なんらかの方法で採ってこられたものだということ,だからその材料は夢の中で再生産され,思い出されるということ,これは疑うに疑うことのできない事実とみてよかろう〉と述べている。またH.ベルグソンは〈夢そのものはほとんど過去の再生にすぎない〉と述べており,K.シュナイダーは〈昼間の生活の反映である〉と述べている。…
…フランスに留学,ジャネの下で研究し,帰国後,言語連想法の実験による研究で有名となる。S.フロイトの《夢判断》を読み感激したユングは,1907年にフロイトを訪ね,両者は協調して精神分析学の建設と発展に寄与する。09年にはフロイトとともにアメリカに講演旅行に行き,10年,国際精神分析学会の会長になるが,12年に発表した《リビドーの変遷と象徴》によってフロイトとの考えの相違が明らかとなり,論争を重ねた末に訣別する。…
…S.フロイトによって用いられた精神分析的概念。本来ドイツ語のTriebの訳語であり,〈本能〉とも訳されているが,本能とは区別すべきである。…
…本来ラテン語で強い〈欲望〉を意味する語。性科学者モルA.Mollは,これを〈性衝動〉の意味,つまりリビドー・セクスアリスlibido sexualisの意味に限定して用い(1898),さらにS.フロイトによって精神分析理論の一核心をなすリビドー理論に導入されることになる。フロイトはこの用語をモルから借用したと述べている。…
…だがワイマールの思想についていえば,それは第1次大戦と革命後に突如出現したのでなく,前世紀の1890年代から世紀末にかけての大衆化状況の中で醸成されていたといえるだろう。 文学と芸術における表現主義,ニーチェの〈神の死〉宣告,フロイトの精神分析,ユングの深層心理学,マッハの感覚要素論は,従来の学問観に強い衝動を与えずにはいなかった。実証主義と歴史主義,さらにそれらを母胎にした社会科学はその基底を問責された。…
…しかし笑いを究明するにあたってベルグソンが立てた〈生きものの上にはりつけられた機械的なもの〉というテーゼに,ホッブズ的笑いの定式を読みとるのはさほど困難ではない。S.フロイトは潜在意識にさぐりを入れて,《機知――その無意識との関係》(1905)の中で,〈制約されていた衝動が突然満たされたときに生じる心的状態〉に笑いの発生をみているが,そこにも明らかにホッブズ流の〈笑い=勝利の表現〉という見方がみてとれる。劇作家M.パニョルが《笑いについて》(1947)で語っているところも同様である。…
※「フロイト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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