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ブリューソフ ブリューソフ Bryusov, Valerii Yakovlevich

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ブリューソフ
ブリューソフ
Bryusov, Valerii Yakovlevich

[生]1873.12.13. モスクワ
[没]1924.10.9. モスクワ
ロシアの詩人,評論家。豪商の家に生れ,自由主義的な環境のなかで成長し,モスクワ大学在学中に『ロシアの象徴主義者たち』 Russkie simvolisty (1894~95) と題する文集を3冊発行し,ロシアにおける象徴主義運動の出発点を築いた。

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デジタル大辞泉の解説

ブリューソフ(Valeriy Yakovlevich Bryusov)

[1873~1924]ソ連・ロシアの詩人・批評家。雑誌「天秤座」を創刊し、ロシア象徴主義文学運動の指導者の一人となる。ロシア革命後は新政権を支持し、文化関係の要職について啓蒙活動を行った。詩集「傑作」「花冠」、小説「炎の天使」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

ブリューソフ【Valerii Yakovlevich Bryusov】

1873‐1924
ロシア象徴派の指導者の一人で,同派の代表的詩人,小説家,理論家。商人の家に生まれ,無神論的な環境に育つ。フランス象徴詩から啓示を受け,1893年に詩文集《ロシア象徴派》を出版し,ロシアで初めて象徴主義者を自称した。1904年にはロシア象徴派最大の雑誌《天秤(てんびん)Vesy》を創刊し,以後,同派が衰退するまで,その中心にいつづけ,ベールイブロークを育て,さらには未来派を育成した。代表的詩集には《都市と世界に》(1903),《花冠》(1906)などがある。

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大辞林 第三版の解説

ブリューソフ【Valerii Yakovlevich Bryusov】

1873~1924) ロシアの詩人・批評家。ロシア象徴派の指導者の一人。雑誌「天秤座」を創刊。詩集「花冠」、長編小説「炎の天使」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ブリューソフ
ぶりゅーそふ
Валерий Яковлевич Брюсов Valeriy Yakovlevich Bryusov
(1873―1924)

ロシアの詩人、文芸学者。父方の祖父は農奴、母方の祖父は独学の詩人という家系の富裕な商人の家に生まれ、彼自身の言によれば、「唯物論と無神論の諸原則によって」家庭教育を受けたという。モスクワ大学歴史学科を1899年に卒業。ベルレーヌランボーマラルメらの影響を受け、アンソロジー『ロシア・シンボリスト』三巻(1894~95)を出版、シンボリズム先駆けとなった。初期の詩集『名詩編』(1895)、『これぞ われ』(1897)などで早くもウルバニズムやロマネスクなどの独自性を発揮し、詩集『第三の番兵』(1900)においては「大理石ブロンズの詩人」としての作風を樹立した。1904~09年にシンボリズムの機関誌となった『ベスイ(天秤(てんびん)座)』誌の実質的主幹として活躍、その1号にシンボリズム芸術論「神秘の鍵(かぎ)」を発表、同派の驍将(ぎょうしょう)となる。05年の革命が近づくにつれて現実に目を向け、詩集『町と世界に』(1903)の「石工」(1901)のような労働をたたえる詩を書く。十月革命前の彼の最高の詩集とされる『花冠』(1906)には、革命へのロマンチックな近接の気持ちもうかがえる。十月革命後、ブリューソフは躊躇(ちゅうちょ)のすえ、革命が文化遺産を擁護すると信じて、1919年共産党に入った。そして文学理論の研究に大きな役割を果たし、後輩の教育にあたり、高等文学専門学校を創設した。
 革命後の詩集には『最後の希求』(1920)、『かくなる日々に』(1921)、『瞬間』(1922)、『彼方(かなた)』(1922)、『急げ!』(1924)などがある。しかし革命後の詩作品は形式重厚で、あまり成功していないといわれる。なおシンボリズム時代の散文作品に、16章からなる歴史物語『炎の天使』(1907)、短編集『地軸』(1911)などがある。その一編『南十字星共和国』は今日の文明社会の危機を予言するものである。そのほか、評論、劇作、翻訳など、多面的な文学活動によって、彼は、革命期の最大の知識人として、ゴーリキー、ルナチャルスキーたちから高く評価されている。[草鹿外吉]

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