翻訳|Red Cross
傷病者救護の組織と、その記章である白地に赤十字を一般に意味している。
[宮崎繁樹]
クリミア戦争(1854)におけるナイチンゲールら篤志看護師の傷病者救護活動に刺激され、イタリア統一戦争(1859)の際の救護体験とそれに基づく傷病兵救護策を記述したアンリ・デュナンの『ソルフェリーノの思い出』の出版が契機となって、ジュネーブ公益協会が各国の有力者に呼びかけ、1863年10月29日、赤十字国際委員会(ICRC:International Committee of the Red Cross)が創立された。同委員会はスイス法人で、スイス国民により構成され、委員の数は25名以下で、本部はスイスのジュネーブに置かれた。紋章は白地に赤十字、標語はinter arma caritas(戦いのなかにも博愛を)とされた。
委員会は、各国に傷病者救護のための組織(各国赤十字社)の設立を呼びかけ、翌1864年には戦時傷病者救護のための赤十字条約(ジュネーブ条約)が作成された。
1867年のパリ万国博覧会のおりに、第1回赤十字国際会議が開催されて赤十字の活動も展示され、日本から訪れた医師で社会事業家の高松凌雲(りょううん)(1837―1916)、佐野常民(つねたみ)らもそれを見聞した。1870年のプロイセン・フランス戦争の結果、赤十字とジュネーブ条約の成果が実証され、1873年のウィーン万国博にもその模様が展示され、赤十字活動が普及した。
1880年、赤十字国際委員会は、加盟を認めたすべての救恤(きゅうじゅつ)協会に「赤十字社」の名を与えることにした。その活動は、戦場における傷病者の救護から、救恤品の送付、捕虜の情報の伝達、文民の保護へとその範囲を広げた。
[宮崎繁樹]
日本では、1868年(明治1)の箱館(はこだて)戦争のおりに榎本武揚(えのもとたけあき)軍に従軍した高松凌雲が赤十字の精神に基づき、初めて洋式の野戦病院をつくって敵味方の区別なく傷病者を救護した。また、1877年(明治10)の西南戦争のおりには、佐野常民、大給恒(おぎゅうゆずる)(1839―1910)らが博愛社を組織して敵味方の区別なく傷病者の救護にあたった。この博愛社が日本赤十字社の前身であり、1887年5月22日社名を日本赤十字社と改称した。
日本赤十字社が傷病者救護にあたったのは、1894年の日清(にっしん)戦争が最初であり、広島陸軍予備病院に看護婦が派遣された。『婦人従軍歌』(火筒(ほづつ)の響き遠ざかる……)は、このとき新橋駅に整列して出発した救護班の姿に感じて作詩されたものである。同戦争では108名の看護婦が救護にあたった。
[宮崎繁樹]
第一次世界大戦(1914~1918)後、赤十字の事業を、平時における、肺結核・伝染病の予防、公共衛生、衛生教育などに広げるため、英米仏伊日の五大国赤十字社代表会議(1919)が開催された際、アメリカから「赤十字社連盟」の設立が提案された。そして、同年5月5日同連盟が設立された。
その結果、「国際赤十字」は、各国赤十字社、赤十字国際委員会および赤十字社連盟を包含することとなった。「国際赤十字」の最高議決機関は、原則として4年ごとに開催される国際赤十字会議とする。同会議は、各国赤十字社、ジュネーブ諸条約加盟諸国、赤十字国際委員会ならびに赤十字社連盟の代表者によって構成される。
ジュネーブ条約には、当初は赤十字の活動は明確化されていなかったが、1949年の戦争犠牲者保護条約では、利益保護国が条約に基づいて行う人道的任務を十分行いえない場合には、被保護者の抑留国は、赤十字国際委員会のような人道的団体にその任務を引き受けるよう要請し、その役務提供を承諾すべきものとしている。また、各国赤十字社に所属する衛生要員(医師、看護師など)についても、各国軍の衛生要員と並んでその活動、保護が規定されている。
第二次世界大戦においても、各国赤十字社、赤十字国際委員会の活動は目覚ましく、日本赤十字社では、960の救護班、3万3156名が救護にあたった。戦死戦病死者は1356名に上った。赤十字国際委員会では、中央補虜情報局が取り扱ったカード約4000万枚、捕虜収容所訪問1100回、委員会が輸送し収容所に分配した救援物資45万トンであった。日本においては、戦闘終了後も、中国大陸、シベリア抑留者の帰還問題など、国交のない国との交渉、救援活動につき政府にかわって赤十字社が果たした役割は大きい。
赤十字は、その後も世界各地で起こった武力紛争時における犠牲者の保護に加えて、難民の保護救済などにおいても、人道的活動を行っている。
[宮崎繁樹]
赤十字の記章は、赤十字の創設に貢献したスイスに敬意を表するため、スイスの国旗の赤地に白十字の配色を反転してつくられたもので、二つの意味がある。一つは、武力紛争時における傷病者の救護活動を示すものであり、ほかの一つは、赤十字国際委員会、赤十字社連盟、各国赤十字社という赤十字組織とその構成員を示すものである。前者の意味で、赤十字社と直接関係はない軍隊の衛生機関や衛生要員も赤十字記章を使用している。
赤十字記章には宗教的意味がないことが繰り返し確認されている。しかし、イスラム教諸国は赤十字記章にかえて赤新月(赤色の三日月)を使用することを主張し、現在では、条約上赤十字のかわりに赤新月を使用することが認められている。したがってその各国では国内組織を「赤新月社」とよび、本項目で「各国赤十字社」と述べてきたことは、そのまま「赤新月社」にも適用される。
赤十字記章は、前記の衛生機関・要員、赤十字諸組織の活動以外に用いてはならない。しかし、赤十字社の許可を得た救急車と無料救護所については、例外的にその使用が認められている。
[宮崎繁樹]
『ハンス・マグヌス・エンツェンスベルガー編、小山千早訳『武器を持たない戦士たち――国際赤十字』(2003・新評論)』▽『北野進著『赤十字のふるさと――ジュネーブ条約をめぐって』(2003・雄山閣)』▽『吹浦忠正著『赤十字とアンリ・デュナン――戦争とヒューマニティの相剋』(中公新書)』▽『井上忠男著『戦争と救済の文明史――赤十字と国際人道法のなりたち』(PHP新書)』
当初,戦時における戦傷病者などの救護活動を目的として設立された機構で,その後,捕虜・文民の保護や,平時における傷病者の救護などをも行うようになっている。国際組織と各国の国内組織とがある。国際赤十字International Red Crossとは後出の赤十字国際委員会,赤十字社連盟,各国赤十字社の総称である。2005年現在,赤十字加盟国(赤十字国際委員会の承認を受けている国)は182ヵ国である。
ジュネーブに生まれたJ.H.デュナンは青年実業家として早くから宗教活動や慈善活動に参加していたが,1859年,イタリア統一戦争にさいし,ソルフェリーノの戦場を旅行したとき,多くの戦傷病者が医療を受けられないでいる悲惨さに深い衝撃を受けた。そしてクリミア戦争にさいしてナイチンゲールらが行った救護活動にならい,篤志家を糾合して傷兵の収容と看護につくした。このときの体験をまとめたのが著書《ソルフェリーノの思い出》(1862)である。この経験をもとにデュナンは戦時の傷病者を救護する国際運動を起こそうと決意し,63年ジュネーブ公益協会長の協力を得て赤十字創設5人委員会をつくり,スイス政府の尽力のもとに16ヵ国36代表による国際会議をジュネーブで開催することに成功した。63年10月26日から29日まで開催された国際会議は赤十字規約を採択し,各国に1社の赤十字社Red Cross Societyおよび赤十字国際委員会の設立を決定した。64年ジュネーブに各国の政府代表が集まりジュネーブ条約(赤十字条約)に調印し,国際赤十字を発足させた。条約には,(1)戦時傷病者は敵味方の区別なく看護されること,(2)看護にあたる人員・資材・施設は中立として保護すること,(3)国際会議開催に尽力したスイスに敬意を表し,スイス国旗の色を逆さにした白地に赤十字を赤十字の標章として用いること(ただし,現在,イスラム教国では宗教的理由から十字を使うのを嫌い,赤新月社Red Crescent Societyという組織名で,赤新月(せきしんげつ)の標章を使っている),(4)加盟国は各国政府の公認した1国1社の赤十字社をつくってジュネーブ条約の完全履行に協力すること,などが規定された。
その後1919年アメリカ赤十字社戦時救済協議会会長デービソンH.P.Davisonの発議により,イギリス,アメリカ,フランス,イタリア,日本の五大赤十字社代表が集まり,平時における活動に主眼をおいた赤十字社連盟の設立を定めたため赤十字国際委員会との関係が紛糾したが,その後の話合いにより27年5月両者を統合した〈国際赤十字規約〉がつくられ,現在の組織が定められた。ジュネーブ条約は従来は交戦当事国が対等の立場にある戦争の場合にのみ適用されてきたが,77年6月調印されたジュネーブ四条約議定書で,紛争の範囲をひろげた。その背景には,東南アジアや中近東,アフリカなどで起こっている武力衝突や内乱などがあった。これによりゲリラに捕虜待遇が適用されることになった。またこれまで内乱の一種とみなされていた植民地支配,人種差別政権などに対する武力紛争を国家間の戦争と同様の国際紛争とみなすことになった。そこでこの議定書に加入した民族解放運動のゲリラが捕虜になった場合にも相手国の国内法によって処罰されるのではなく,人道的な抑留・送還を保障されるなどジュネーブ条約上の捕虜の待遇を受けることになった。
(1)赤十字国際会議International Conference of the Red Crossは国際赤十字の最高議決機関で,原則として4年に1回ずつ開かれる。会議は各国赤十字社(赤新月社を含む),赤十字条約加盟国,赤十字国際委員会および赤十字社連盟の各代表によって構成され,次回会議までの国際赤十字の方針を協議する。(2)赤十字国際委員会International Committee of the Red Cross(ICRCと略す)は赤十字の国際本部でジュネーブにある。25人を超えない委員で構成されるが,委員はすべて永世中立国であるスイス人に限られている。これは,各国代表によって構成される委員会では相互の利害関係が絡むため,指導,助言,公平が保たれないことへの配慮からくるものである。(3)赤十字社連盟League of Red Cross Societies(LRCSと略す。正称は赤十字・赤新月社連盟)は各国赤十字の協力を目的とした連合体である。(4)国際赤十字の常設機関は,国際会議で選出された5名,国際委員会の委員長ほか1名,赤十字社連盟の理事長ほか1名の合計9名により構成されジュネーブにおかれている。
当初,戦時における戦傷病者の救護活動を目的として設立されたが,その後捕虜・非交戦者(文民)の救護活動にも活動範囲をひろげている。また第1次世界大戦後は,平時における傷病者の救護,とくに伝染病の予防や青少年の国際友愛・連帯および平和精神高揚のための青少年赤十字運動にまで手をひろげている。なお,正常な外交関係が存在しない場合における人道的考慮からの活動として,戦時における捕虜や文民抑留者に関する情報交換・通信などの活動をも行う。日本に関連していえば,第2次大戦後の在留邦人引揚げ,在日朝鮮人の朝鮮民主主義人民共和国への帰国問題(在日朝鮮人帰還協定)などにも大きな役割を果たした。なお,赤十字国際委員会は国際紛争に対して中立的な立場で仲介者として行動することもある。
国際赤十字は次のような事業も行っている。(1)災害救護 災害救護により人類の苦痛を軽減し,とくに外国の災害に手をさしのべ相互理解に資する。(2)青少年赤十字 青少年の奉仕・親善の精神を培うため,幼稚園や小中高校内にグループをつくり奉仕の心を養う。(3)赤十字奉仕団 成人篤志者による組織をつくり,郷土社会の福祉などに奉仕する。(4)医療事業 医療奉仕により社会福祉につくす。また看護婦養成や輸血センターの経営も行われている。
1863年のジュネーブにおける国際会議以来,赤十字の基本原則についての決議が何度かなされたが,現在は,1965年にウィーンで開催された第20回赤十字国際会議において決議された7原則(人道,公平,中立,独立,奉仕,単一,世界性)が,赤十字の事業活動の基範となっている。
赤十字はまた,当然平和への関心も深く,第2次大戦後,国連や各国政府に原子兵器禁止をよびかける運動を強く推進している。なお,デュナンの誕生日にあたる5月8日は世界赤十字記念日とされている。
→日本赤十字社
執筆者:児島 美都子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
※「赤十字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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