後期ルネサンス・イタリアの哲学者。南イタリアのノラ(ナポリ近郊)に生まれる。17歳でナポリのドミニコ会修道院に入り,修道士となったが,異端の嫌疑をかけられて,1576年修道院から逃亡,以来15年余を北イタリアからジュネーブ,パリ,ロンドン,ウィッテンベルク,プラハ,フランクフルトと放浪の旅を続けた。91年イタリアに戻ったが,ベネチアで捕らえられ,翌年異端審問所に引き渡された。8年余を獄中に過ごし,1600年2月17日,ローマのカンポ・デイ・フィオーリ広場で火刑にされ,〈宣告を受けているわたくしよりも,わたくしに宣告を下しているあなた方のほうが,真理の前に恐れおののいているのではないか〉という言葉を残して,悲劇的生涯を終えた。
カトリック教会からすれば,ブルーノは邪宗の教祖と見られ,確かにカトリック教徒としては異端的教義を信奉してはいたが,といっていずれの宗派に属したわけではなく,むしろいっさいの宗派的対立を嫌悪する一人の自由思想家であった。彼の思想の特色はその世界観にもっともよく表れている。世界とは極微なアトムの集合・合成であり,その世界がさらに限りなく集まって宇宙を構成している。こうして宇宙は無限の広がりのなかに無数の万物を包み,万物はそのなかで絶えず集合離散を繰り返している。生死はその一形態にすぎない。この宇宙無限論は近代宇宙観の先駆者としてブルーノの名を高めた。しかし彼は本質的には近代的自然科学者というよりも,前近代的魔術的自然観の系統を受け継ぐ者であった。彼は自然に能産的側面と受動的側面とを認め,万物はそれによって生命をもつとする汎心論を説き,宇宙そのものにも動力因としての宇宙霊を認めることによって,宇宙を巨大な生き物と考える。一方,理性的認識能力の限界を説き,無知の自覚を媒介とする,世界の根源的三分割(神,自然,人間)を唱える。その根底には神秘的魔術的世界観の伝統が強く流れている。
著述はラテン語作品とイタリア語作品とに大別される。《イデアの影》(1582)は魔術的世界観がもっとも濃厚に残っている初期作品である。続いて《原因,原理,一者》(1584),《無限,宇宙および諸世界について》(1584),《英雄的狂気》(1585)などのイタリア語作品がロンドン滞在期(1583-84)に書かれる。これらの著作はブルーノの哲学を示すものとしてもっとも有名である。晩年のドイツ放浪時代(1586-91)にも,《最小者論》(1591),《モナド論》(1591),《巨大者論》(1591)の三大哲学詩をはじめたくさんの著述をラテン語で書き残した。ブルーノの思想的影響は,つとにスピノザやライプニッツに指摘され,またドイツ・ロマン主義(シェリングら)にも明らかに見られる。
執筆者:清水 純一
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イタリア・ルネサンス期の哲学者。ナポリに近いノラに生まれる。1563年ドミニコ会に入会、まずトマス・アクィナスの思想を学ぶが、ライムンドゥス・ルルスの記憶術にも興味をもち、とくに古代やテレジオの自然主義から強い影響を受ける。異端の疑いで裁判にかけられることになって修道院を逃亡し(1576)、イタリア各地をはじめ、スイス、フランス、イギリス、ドイツを遍歴。とくにロンドン滞在中には、『無限、宇宙と諸世界について』(1584)などイタリア語で書かれた代表作を矢つぎばやに出版する。1591年イタリアに帰り、1592年ベネチアで訴えられ、1593年ローマに送られて、8年間の獄中生活のすえ火刑台上で死んだ。
彼は、コペルニクス説に基づいて、宇宙には固定した中心はないとし、際限のない空間で、数限りのない世界(天体)が運動しているとする。さらに事物の内的構成にかかわる「原理」と外的力としての「原因」を区別し、無限な宇宙の第一原因として、すべてをつくり動かすと同時に、形相原理として、質料原理に形を与える宇宙霊を考える。この宇宙霊によってまとまりをもつ無限な宇宙を、神の足跡、神の展開とみなしている。したがって、ブルーノによる宇宙無限性の追求は、神の探求と解することができよう。人間は認識の力をもち、宇宙の事物を理解することができるために、神の影とよばれる。
[大谷啓治]
『清水純一訳『無限、宇宙と諸世界について』(1967・現代思潮社)』▽『清水純一著『ジョルダーノ・ブルーノの研究』(1970・創文社)』
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1548~1600
イタリアの哲学者。1576年にドミニコ修道会を追われ,西欧各地を転住しつつ哲学的著作に努めた。アリストテレスに反対し,コペルニクスやニコラウス・クザーヌスによった世界観を主張したため,92年捕えられる。7年間ローマに投獄されたのち焚刑(ふんけい)にされた。
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…カトリック隠修士修道会。1084年ブルーノBruno(1030ころ‐1101)が6人の友とともにフランス,グルノーブルの近くラ・グランド・シャルトルーズの深山に創立した厳格な観想修道院に由来する。その精神に従って第5代修道院長グイゴが1127年隠修と共同の両生活の和合をめざして〈修道規則〉を定め,それが1133年教皇インノケンティウス2世によって認可された。…
…1519年に書かれたとされているが,以来もっともよく上演されてきたルネサンス喜劇の一つである。 思想家の書いた戯曲という意味では,ナポリのG.ブルーノの手になる《火を掲げる者》(1582)は,《マンドラゴラ》に比すべき作品である。ブルーノはコペルニクスやパラケルススの理論を弁護し,ついに異端として処刑されるのであるが,この喜劇1編を残すことによって,反権力的なルネサンス精神の所在を示した。…
…ギリシアにおいて宇宙の無限的性格を前提としていたのはデモクリトスのみであったといってよいだろう。ルネサンス期に入って,宇宙の閉鎖性に対して明確な疑問をもったのは,自身きわめて魔術的・ヘルメス主義的伝統の中にいたG.ブルーノであった。 この宇宙空間の無限性についての示唆こそ,古代的な宇宙秩序(コスモス)の崩壊するきっかけであった。…
…彼はベルニーニやボロミーニの手になるローマのバロック建築と装飾の,曲線の支配や全体の動的統一やファサードの強調といった特徴を文学の次元に移行させつつ,魔女キルケや変幻自在の海神プロテウスが活躍し,魔法の城やアルゴ船の一行や奇怪な動物や聖イグナティオスらが次々に登場する宮廷バレエとか,主人公が狂気を装ったり変装したり,瓜二つとか取違えのために混乱に陥ったりするロトルーやスキュデリーやコルネイユの演劇,旋風,雲,水の泡,震える水面,炎等の束の間の浮動するものを歌ったド・ブリーブ,ラ・メナルディエール,ド・ビオの詩をバロックの典型とした。 イタリア文学についてはジェットGiovanni Gettoは,哲学者で宗教裁判で焚刑にあったブルーノ,《太陽の都》で有名なカンパネラ,マリーノらの名を挙げる。《英雄的狂気》の中でブルーノは身を滅ぼしても真理と美の女神アルテミスを追うアクタイオンのことを〈心誘う灯火に向かって舞い飛ぶ胡蝶は炎にやかれて亡ぶ身の末を知らず〉と歌う。…
※「ブルーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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