ボルツァーノ(読み)ぼるつぁーの(英語表記)Bolzano

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボルツァーノ」の意味・わかりやすい解説

ボルツァーノ
Bolzano, Bernhard

[生]1781.10.5. プラハ
[没]1848.12.18. プラハ
オーストリア哲学者,論理学者,数学者。カトリック神学と数学を学び,1805年司祭,プラハ大学宗教哲学教授。1819年異端の疑いで大学を追われた。イマヌエル・カントおよびドイツ観念論に反対し,ゴットフリート・ウィルヘルム・ライプニッツに出発点を求めた。心的過程と論理的内容とを峻別し,非歴史的論理学を提唱。ドイツ=オーストリア学派の形成者となり,エトムント・フッサールに影響を与えた。また集合論の先駆者として,ゲオルク・カントルに影響を与えた。主著『アタナシア』Athanasia oder Gründe für die Unsterblichkeit der Seele(1827),『学問論』Wissenschaftslehre(4巻,1834),『無限の逆説』Paradoxien des Unendlichen(1851)。

ボルツァーノ
Bolzano

ドイツ語ではボーツェン Bozen。イタリア北部,トレンティノアルトアディジェ州ボルツァーノボーツェン県の県都。ベネチア北西約 145km,アルプスを刻むアディジェ川の上流部で,2つの支流が合する地点を占める。ブレンナー峠越えの道路,鉄道交通の要地にあたり,オーストリアに近くドイツ語系住民が多い。7~8世紀にバイエルン伯に支配され,そののちも支配者が交代したが,大部分はオーストリア側に属した。 1919年イタリア領。ドロミティ山脈への探勝基地。産業はアルミニウム精錬のほか製紙,製鋼繊維,酒造の諸工業。高さ 65mの鐘楼をもつゴシック様式の大聖堂 (14~15世紀) などがある。人口9万 8233 (1991推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボルツァーノ」の意味・わかりやすい解説

ボルツァーノ(Bernhard Bolzano)
ぼるつぁーの
Bernhard Bolzano
(1781―1848)

プラハで活躍したオーストリアの哲学者、数学者。カトリックの司祭でもあり、15年間プラハ大学で宗教哲学を担当したが、1819年チェコ独立運動に加担した罪で、当時のチェコの支配者オーストリア政府により罷免された。哲学上の主著は1838年刊の『学問論』全4巻。ドイツ観念論を批判し、独自の客観主義的論理学説を展開した。心理的なものに対する論理的なものの独立性を主張した彼の学問論は、命題自体、表象自体、真理自体という三つの基礎概念に支えられている。これら3概念は、主観の表象作用や判断作用とは無関係に、独自に存立する理念的な諸対象であり、したがって時間‐空間的に限定される現実存在ではないとされる。同様の考え方により、純粋数学はもっぱら純粋概念に基づく学であり、したがって直観を必要とせず、数学の真理はすべて純粋な概念真理であるとされる。哲学史的には、フッサールやマイノングへの影響が重視される。

[立松弘孝]

『B・ボルツァーノ著、藤田伊吉訳『無限の逆説』(1978・みすず書房)』『藤田伊吉著『ボルツァーノの哲学』(1963・創文社)』


ボルツァーノ(イタリア)
ぼるつぁーの
Bolzano

イタリア北東部、トレンティーノ・アルト・アディジェ自治州ボルツァーノ県の県都。ドイツ語が併用され、ドイツ語名をボーツェンBozenという。人口9万3079(2001国勢調査速報値)。アディジェ川とイサルコ川の合流点に近い標高262メートルに位置し、オーストリア(ブレンナー峠経由)とスイス(エンガディン)につながる交通の要地。紀元前14年ローマ人によって建設され、中世には商業の拠点として栄えた。1919年にオーストリアからイタリア領に移行した。果実類やブドウが栽培され、製鉄、機械、化学、食品、木材加工などの工業が展開する。アルト・アディジェ博物館には、この地方の歴史を探るのに貴重な資料類が収蔵されている。

[堺 憲一]

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