改訂新版 世界大百科事典 「ブロンツィーノ」の意味・わかりやすい解説
ブロンツィーノ
Angiolo(Agnolo)Bronzino
生没年:1503-72か73
イタリア,マニエリスムの画家。ブロンジーノともいう。フィレンツェ近郊モンティチェリMonticelli生れ。はじめラファエリーノ・デル・ガルボRaffaellino del Garbo,のちにポントルモの弟子。ポントルモが死ぬまで,その協力者として働いた。1546-48年にローマに行ったほかは,フィレンツェを中心に活動。とくに1539年メディチ家のコジモ1世がスペイン王エレオノーラ・ダ・トレドと結婚したのち,宮廷画家としてメディチ宮廷の枢要な芸術的事業を掌握し,宮廷人の肖像画,パラッツォの装飾を手がけた。バザーリ,サルビアーティとともにフィレンツェのアカデミーの中心人物であり,その手法は宮廷的マニエリスムの洗練の極致を示すものである。
執筆者:若桑 みどり
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報