翻訳|Boer
南アフリカ共和国のオランダ系白人。ブール人ともいい、現在はアフリカーナーAfrikanerとよばれている。同国の白人544万人(1998推計)のうち約60%を占める。歴史的には、17世紀中ごろオランダ東インド会社がつくったケープ植民地に、本国オランダから入植した移民で、農民(ブーア)出身が多かったことからこうよばれる。19世紀初めのイギリスのケープ植民地化とイギリス支配に反対して1835年大挙して内陸に移動(グレート・トレック)し、トランスバール共和国とオレンジ自由国の二つのブーア人共和国を建国した。1880年代トランスバールで金の富鉱が発見されたことを契機に、イギリスが同国の併合をねらってブーア戦争を起こし、ブーア人共和国は敗れて、1910年イギリスは南アフリカ連邦を結成。しかし連邦結成後もブーア人のイギリス人に対する反感は強く、ブーア人の文化の保存、権利の確立のため闘った。1910年代の秘密結社ブルーダーボンド(同胞団)の結成はブーア人政党である国民党(NP)の支持基盤となり、25年には彼らの言語であるアフリカーンス語(17世紀オランダ語を母体として英語、ドイツ語、フランス語を取り入れた人造語で、南アフリカでのみ通用)を公用語として認めさせた。またブーア人は、プロテスタント系のオランダ改革派教会を信奉し、その強固な選民思想から有色人種を蔑視(べっし)した。1948年に国民党が選挙に勝ち政権の座について以後、一連のアパルトヘイト(人種差別)政策を実施し、国際社会の非難を浴びた。経済的にはブーア人は農場経営に従事していたが、ブーア戦争で農場が戦場化したため都市に流出し貧窮白人層(プアー・ホワイト)となり、彼らを救済することが人種差別政策の目的でもあった。鉱工業の支配権を握るイギリス系白人に対し、政府、公社などの国家資本を通して対抗し、政治上と同時に経済上の支配権も獲得した。
[林 晃史]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…南アフリカ共和国でアフリカーンスAfrikaans語を話すオランダ系の白人住民。ブーア人とも称される。現在はアフリカーナーAfrikanerあるいはアフリカンダーAfrikanderと呼ばれている。…
※「ブーア人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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