プガチョーフの反乱(読み)プガチョーフのはんらん(英語表記)Pugachëvskoe vosstanie; Pugachëv Rebellion

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プガチョーフの反乱」の意味・わかりやすい解説

プガチョーフの反乱
プガチョーフのはんらん
Pugachëvskoe vosstanie; Pugachëv Rebellion

1773~75年,E.I.プガチョーフに率いられたコサック農民反乱。 73年8月ピョートル3世を自称するプガチョーフが 80人のヤイク・コサックを率いてまず立上がった。目指すところは,「農民のツァーリ」を頭とする農民とコサックの国家の建設にあったが,ウラル (ヤイク) 川流域地方から始った反乱は鉱山労働者や逃亡農民を加えて,同年末には3万の軍と 86門の大砲を有するまでになり,カザンペンザサラトフなどを陥れた。しかし 74年9月ツァリツィン (現ボルゴグラード) 南方政府軍に敗れ,プガチョーフは数人の側近とともに逃げたが,同志に裏切られて政府軍に引渡され,モスクワに送られて,翌年1月 21日四つ裂きの刑に処せられた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「プガチョーフの反乱」の解説

プガチョーフの反乱(プガチョーフのはんらん)
Pugachyovshchina

18世紀後半南ロシアの反乱(1773~75年)。エカチェリーナ2世時代の国家権力強化農奴制的搾取の増大に反抗するカザークや辺境民が,ピョートル3世だと名乗るプガチョーフを信じて蜂起したのが始まりで,1774年3月にはウラルの鉱山・製鉄労働者,逃亡農奴を加えて5万人の大軍になった。かろうじて平定した政府はヤイク川をウラル川と改名させ,カザークへの支配権を強めた。

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