擬古典主義の形式美を求める強い意志をもったドイツの詩人。北ドイツ、アンスバッハの斜陽貴族の家に生まれる。プロイセンの愛国的、新教の世界に育つ。10歳のとき、生まれ故郷アンスバッハがフランスと結ぶライン同盟国バイエルンに移行し、環境は一転。1814~18年、バイエルンの士官としてフランスへ従軍したが、兵士は市民ではなく君主の機械にすぎないことを痛感し、絶対制の反国民的・利己的政策を、また自国内の停滞を批判した。自国の政治上の成り行きが、生活改革と自由への前進を目ざすプラーテンの希望を打ちのめした。彼の詩は政治を離れ、ロマン派の影響もあって、宗教に慰めと希望をみいだすようになる。ウュルツブルクとエルランゲンの大学に学び(1818~25)、さまざまな詩形に挑戦、詩人リュッケルトとの交友によりペルシア、アラビアの言語・文学を学び、美の概念を問題としつつ、ペルシアの詩形を駆使したガゼールをつくる(1821~23)。23年に『新ガゼール集』を出版。ベニスの旅から『ベネチアのソネット』(1825)が生まれる。26年以降、シチリアのシラクサで病没するまでイタリアに滞在した。ほかに『不吉なフォーク』(1826)、『ロマン的エーディプス』(1829)などの戯曲もある。
プラーテンは、19世紀には評価も高く、世紀末にはゲオルゲ派が、象徴派の先駆としたためさらに評価を高めたが、以後その名声は、時代と人生から離れた唯美主義とみなされて落ちた。
[横田ちゑ]
『川村二郎訳『詩集(抄)』(『世界名詩集大成6』所収・1960・平凡社)』
ドイツの詩人。バイエルン出身だが晩年にはイタリアを永住の地と定め,シチリアで死んだ。イタリアへの憧れは古典主義的な形式への愛と結びついており,詩作の多くは修辞の整いだけで成り立つ言語の工芸品だが,独特な同性愛的傾向に支えられた美への熱狂が,端正に刻み上げた詩の形象から,ひそかな魂の音楽をひびかせる時,忘れがたい印象を残す。《ベネチアのソネット》(1825)などの作品がある。
執筆者:川村 二郎
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…残された少女は,若者の墓にその花を植え,彼の最期の言葉を花の名にしたという。この話はプラーテンの詩で有名である。神秘的な〈青い花〉が地中に埋蔵された宝を開いて見せるという民間信仰も,多く残っている。…
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