日本大百科全書(ニッポニカ) 「プロディ」の意味・わかりやすい解説
プロディ
ぷろでぃ
Romano Prodi
(1939― )
イタリアの経済学者・政治家。スカンディアノ市に生まれる。ミラノ・カトリック大学、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで学び、1971年ボローニャ大学経済学部教授。出版社社長を経て、1978~1979年産業相、1982~1989年、1993~1994年IRI(イリ)(産業復興公社)総裁。1996年4月の総選挙で中道左派連合(オリーブの木)が勝利し、第二次世界大戦後55代目の内閣首相に指名された。敬虔(けいけん)なカトリック教徒、趣味はサイクリング。産業相やIRI総裁を経験し、政治汚職で分解したキリスト教民主党の左派=イタリア人民党の党首に担がれていたものの、その政治的力量は未知数であった。その彼を中道左派勢力の代表になるようにくどいたのは、左翼民主党の書記長ダレーマMassimo D'alema(1949― )であった。テレビ討論などで重々しく語るところから「教授」とよばれ、その堅物的物腰は変わらずで、初めは消極的であったプロディも、首相に任命されてからは、それがかえって新鮮で誠実そうな政治家という印象を与えた。世論を背景に、中道左派政権を率いて、歳出削減や臨時増税などの改革を行い、財政赤字をヨーロッパ通貨統合への参加基準の3%以下にまで減らすことに成功した。1998年10月、共産党再建派が政府予算案に反対、内閣信任投票が否決され、プロディ内閣は総辞職した。1999年ヨーロッパ連合(EU)のヨーロッパ委員会委員長に就任(~2004)。2006年4月中道左派連合「連合Union」を率いて総選挙で中道右派連合を破り、5月に首相に返り咲いた(~2008)。
[片桐 薫]