ヘレニズム思想(読み)へれにずむしそう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘレニズム思想」の意味・わかりやすい解説

ヘレニズム思想
へれにずむしそう

ヘレニズム時代の思想は、(1)古典時代の遺産の継承と整理、(2)世界のうちに個として生きるための知恵を模索して、多数の学派が展開した「生きる術」ars vivendiとしての多数の哲学思想の並存、という二要素によって特徴づけられる。(1)遺産の継承 アレクサンドリアペルガモンなどアレクサンドロス大王の後継者の首都に建設された大図書館には古典作家autores classiciの著作が収集され、批判的に校訂され、編纂(へんさん)された。「古典文献学」classical philologyの成立の端緒がここにある。現存する『プラトン著作集』Platonis Operaの編纂と正典の決定はこの紀元前3世紀にさかのぼるとみなされている。(2)諸学派 古典期のポリス共同体の崩壊を背景として、各人は世界のうちに個として生きるための知恵を模索した。そのなかには生粋(きっすい)のギリシア人ではない人、遠隔の地の生まれの人も含まれており、多彩な思想が展開された。複数の学派の連立と並存を特徴とする。おもなものは以下の五派である。〔1〕アカデメイア派hoi Akademikoi プラトンの学園アカデメイアを継承する人々。中期以後、懐疑主義標榜(ひょうぼう)し、知恵を獲得することではなく、探究することに哲学があるとした。〔2〕ペリパトス派hoi Peripatetikoi アリストテレスの学園リケイオンを継承する人々。数学、天文学、生物学、医学など、個別科学研究を推進する人々を輩出した。〔3〕ストア派hoi Stoikoi ヘレニズム時代を代表する人生観哲学であり、ローマ帝政期に至るまで各時代を代表する数多くの思想家たちを生んだ。運命の転変によって動かされない「非受動性(アパテイア)」apatheiaという心の強さの獲得を賢者の理想とした。〔4〕エピクロス派hoi Epikureioi 唯物論的な世界観と洗練された快楽主義を特徴とする。「心の平静(アタラクシアー)」ataraxiaを理想とした。〔5〕懐疑派hoi Skeptikoi 知識の取得ではなく、問題の形成と探究を哲学の仕事とした。目的は「心の平静」を獲得することだった。

 これらの諸派は古典時代の哲学の原理をなんらか継承しながら、これを生きるための知恵として形成し、通俗化するものである。そこには古典時代の哲学の原理の反省と再評価もあり、移行期の哲学として次代の思想を準備した。

[加藤信朗]

ローマ帝政期の思想

これらのヘレニズム思想の諸特徴はローマ帝政期にも保たれ、強まりゆく宗教的色彩を加えながら、ユスティニアヌス帝によってアテネの学園が閉鎖され、ギリシア哲学の教授が公式に禁止されるまで、時代の思想を規定した。(1)遺産の継承 帝政期の安定を基盤として、古典文献学の研究はさらに進められる。前1世紀のロードスのアンドロニコスによるアリストテレスの学問的著作の編纂と刊行は画期的業績であった。爾後(じご)これを定本とする、アリストテレス著作の厳密に哲学的な注解研究が始まり、今日に至るまで連綿として続き、ヨーロッパの学問形成に決定的な影響を与えた。今日に伝わる『アリストテレス著作集』Corpus Aristotelicumはこの定本を継承すると信じられる。(2)諸学派 この時代には、上記の諸学派の並存、継続に加えて、時代の宗教的傾向を反映して、プラトン哲学の宗教的解釈が盛んになった(中期プラトン哲学)。プロティノスに始まる新プラトン学派もこの宗教的傾向に沿ったものであるが、しかし、これはプラトンとアリストテレスの新しい批判的研究を基礎にして成立したプラトン哲学の真髄の再発見の試みであり、ギリシア哲学の諸原理の集大成となっている。それは同時代と次代のキリスト教神学における思弁の深化、体系の形成に肯定的および否定的の両面できわめて大きな影響を持続的に及ぼした。

[加藤信朗]

『加藤信朗著『ヘレニズムの哲学』(『岩波講座 哲学ⅩⅥ 哲学の歴史I』所収・1968・岩波書店)』『岩崎允胤著『人類の知的遺産10 ヘレニズムの思想家』(1982・講談社)』

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