新プラトン主義を代表する哲学者。プラトンを模範として独自の哲学体系を築き,古代ギリシア哲学の末期を飾った。またその思想は,アウグスティヌスらを通じてキリスト教神学と結びつき,ヨーロッパ精神史のなかに多大の影響をのこしている。プロティノスの生涯については不明な点が多い。しかしポルフュリオス著《プロティノス伝》および他の断片的資料にもとづいて,一応の記述をすると次のようになる。彼はエジプトの,ヘレニズム色の強い(おそらくローマ上流社会とも縁故のある)家族から出ており,28歳を過ぎてから11年間,アレクサンドリアのアンモニオス・サッカスのもとで哲学を学んだ。その後ペルシアとインドの知恵を実地に学ぼうとしてローマ皇帝ゴルディアヌス3世のペルシア遠征に参加する。しかし敗戦に終わったため彼はローマに向かい,この地で学派を設立した。その時40歳であったと言われる。プロティノスの周囲に集まってきた人々はおもに二つのグループからなっていた。第1は元老院階級の人々で,たとえば弟子のアメリオスAmelios,第2はオリエント出身の人々で高弟ポルフュリオスはここに入る。プロティノスは頑健な体質ではなかったらしく,節制,菜食,瞑想の生活を送るなかで講義を行った。それは公開の授業で,テキストを中心に討論する形式のものであった。教材としては,プラトン,アリストテレスの著作,ヌメニオスNoumēniosやアフロディシアスのアレクサンドロスAlexandros,後には師アンモニオス・サッカスも取りあげるようになった。ガリエヌス帝の統治が始まると,プロティノスはそれまでの態度をかえて講義と討論の一部を執筆するようになる。ただしその閲覧は内弟子にかぎられていた。この時期の彼はガリエヌス帝とその妻の尊敬を得ており,それに意を強くしてかカンパニア地方にプラトン都市(プラトノポリスPlatonopolis)の建設を企図した。しかしこれは実現しなかった。その後64~65歳になって重病にたおれたため,学校は解散し,彼はカンパニアに退いて孤独のうちに死をむかえた。
彼の主著《エンネアデス》は,死後弟子のポルフュリオスが編纂したものである。プロティノスのギリシア語文体および議論を展開する仕方は独特であり,すでに当時の学者さえも頭を悩ませていた。しかし彼の哲学上の立場は,当時のプラトン主義,たとえばアテナイの伝統的プラトン理解にくらべて独創性に富んでいる。有名な〈一者to hen〉の思想を例にとれば,彼はこの名辞によってプラトンにおいてなお解決されずにあった至高の存在の開明を目ざしている。すなわちイデアを超え,しかもイデアの創造者たる“無限の”存在者を追求する大胆な発想がここにはみられる。一般にギリシアの伝統的存在理解では,明確な輪郭・限定をもつものほど確かな存在であるとすれば,“無限の”存在はこれと対照をなすものと言える。しかも万物が〈一者〉から流出しているという動的な一元論の体系(流出説)は,ここにおいて構想されえたのである。《エンネアデス》は,4世紀にウィクトリヌスにより,ルネサンス期にフィチーノによりラテン語に翻訳されて,ヨーロッパ世界の共有財産となり,キリスト教プラトン主義の源泉となった。
→新プラトン主義
執筆者:柴田 有
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ヨーロッパ古代末期を代表するギリシアの哲学者、神秘思想家。アレクサンドリアの近くに生まれ、アンモニオス・サッカスに学び、東方の知恵を求めて、39歳のときゴルディアヌス帝Gordianus Ⅲ(在位238~241)の東方遠征に加わるが、遠征の挫折(ざせつ)により果たさず、40歳でローマに上り、学校を開き、多くの友人、門弟を集め、尊崇を受けた。プラトンに傾倒し、自分の哲学をプラトン哲学の祖述とみなした。そこで、彼とその弟子たちは、当時の人からはプラトン主義者、後世の人からは新プラトン主義者とよばれる。しかし、そこにはアリストテレス、ストア派などの影響も大きく、古代ギリシア哲学の一大総合体系となっている。また、時代の一元論的、宗教的な傾向に応じ、魂の解脱を目ざす救済の哲学でもある。著作は、9篇(へん)ずつに分けられた6巻の論稿からなるところから『エンネアデス』(「九篇集」の意味)とよばれる。
彼によれば、「一者」(ト・ヘン)がいっさいの存在事物の源泉である。一者はその存在の充溢(じゅういつ)により、それが存在することによって、そのもの以外の存在事物をそのものの外に生み出す。これが「溢出または流出aporrhoē, emanatio」とよばれる(流出説)。この際、一者そのものはなんら損なわれることはない。存在の働きを自己以外のものを生み出す創造の働きとして把握するこの直観は、ギリシア哲学の達したもっとも美しい直観の一つである。「汎神論(はんしんろん)」といわれる通俗の理解はけっしてその正鵠(せいこく)を射るものではない。一者から生み出された下位の存在事物は、同じ存在の働きにより、その下に他の存在事物を生む。こうして、世界は、光がその源から発してしだいに光度を弱め、ついに闇(やみ)のうちに消え入るように、一者の光輝として存在し、しだいに存在の度を低めてついに無(非存在、質料)に至る多様な存在者の位階秩序として把握された。それは、一者がその同一性そのものによって生み出す他と多の世界である。理性、魂、生物はそのおもな段階である。
哲学(愛知)とは、魂をもつ存在事物である人間が、源泉である一者へと、他と多の世界から離れて還(かえ)る過程である。一者とは、存在事物が存在する限りでもつ統一性の根拠であるが、一者そのものはいかなる多をも含まず、したがって、分別の原理であることばや理性によっては把握されず、ことばによる分別を超え、「脱我ekstasis」として「融一henosis」されるとした。中世の神秘思想と体系神学への影響が大きい。
[加藤信朗 2015年1月20日]
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…すなわち,いっさいを精神に還元する唯心論,物質に還元する唯物論,精神と物質とをともにその現象形態とする第三者に還元する広義の同一哲学などは,すべて一元論に属する。西洋での代表者は一者(ト・ヘンto hen)からの多様な現象の流出を説くプロティノス,〈産む自然〉としての一なる神を実体,多様な〈産まれた自然〉をその様態と説くスピノザなどである。西田幾多郎の《善の研究》(1911)は,純粋経験の程度・量的差異による世界と人生の一元論的説明の試みと言いうる。…
… エクスタシーの語源はギリシア語のek,exō(~の外へ)とhistanai(置く,立つ)の複合語のエクスタシスekstasisであって,〈外に立つ〉という意味であり,もともと古代ギリシアでは,魂が肉体を離れて宙をさまよう状態を意味していた。それが古代末期になって,瞑想などによる神秘的体験と宗教的恍惚感も意味するようになったもので,新プラトン主義の創始者であるプロティノスは,聖なるものに至る霊魂の上昇段階を〈浄化(カタルシス)〉〈観想(テオリア)〉〈忘我(エクスタシス)〉の3段階に分けて考えた。イスラムの神秘主義スーフィズムでも,忘我を最高の神秘体験としている。…
…新プラトン主義の代表的哲学者プロティノスの論文集に付された題名。編纂は弟子ポルフュリオスの手になり,主題ごとに9論文(エンネアス)で1巻とし,全体を6巻にまとめて計54論文をおさめている。…
…またそのプロローグの〈ロゴス〉はキリスト教神秘思想の根本概念となった。 やがてキリスト教神秘主義はその思弁において,プロティノスを祖とする新プラトン学派の決定的な影響をうける。プロティノスは感覚的世界と超感覚的世界のもう一つうえに絶対的一者をおき,人間の魂は脱自によって一者と合一するとした。…
…後3世紀にプロティノスによって実質的に創始され,6世紀まで存続した哲学思潮。その後のヨーロッパ哲学史上にプラトン主義の伝統を定着させる働きをした。…
…だが諸文化のなかで美についての学問的探究をいちはやく展開したのは古代ギリシアであり,以来美学的思想の主潮はやはり西欧に流れてきたとみなければならない。 美のイデアを説いて美の哲学の基を築いたプラトン,悲劇を論じた《詩学》によって芸術学の始祖となったアリストテレス,はじめて独立の美論をまとめたプロティノス,ローマにおいては修辞学上の著作をもつキケロおよびクインティリアヌス,古代末期から中世に移れば神学的美論を説くアウグスティヌスやトマス・アクイナス,ルネサンスでは各種の美術論や詩学を述べる美術家や文人たち,これらはいずれも深く沈潜して傾聴すべき人々である。近世に入るや感性に対する新たな照明と相まって17世紀から18世紀前半にわたり美学成立の機運が生じた。…
…感覚世界を照らす太陽との類比を通して,イデア界を照らす〈善のイデア〉を述べたのはプラトンであった。認識論的および存在論的にも内容が深められ,光の形而上学がその姿を現すのは,新プラトン主義者プロティノスにおいてである。彼は〈一者〉から発出する非物質的光は徐々に滅してゆき,ついには闇としての物質に至り,その過程で〈ヌース〉〈世界霊魂〉〈人間霊魂〉が発生してくると説く。…
…ヘレニズム期のグノーシス派(とくにエジプトのグノーシス派)は,神と世界の無限の隔りにもかかわらず神認識が成立するのはいかにしてかと問い,神の顕現は水源または光源たる神からの流出(ギリシア語アポロイアaporrhoia,ラテン語エマナティオemanatio)ないし放射(ギリシア語プロボレprobolē)であると考えた。新プラトン派のプロティノスもこの比喩を用いて一者と世界との関係を説明したが,グノーシス派と違って,流出は〈一者〉の実体の減少を意味しないことを強調した。したがって,〈一者〉からの流出は必要に迫られてのものでなく,むしろ自由な働きによること,完全者は完全であればこそ自己を溢出させることを説いた。…
※「プロティノス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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