日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベッダ」の意味・わかりやすい解説
ベッダ
べっだ
Vedda
スリランカの「先住民」とされた人々。19世紀末に茶のプランテーションが中央高地の奥地に広がるのにつれて、密林地帯の採集狩猟「ベッダ」がイギリス人に知られ、文化人類学者セリグマン(1873―1940)らが彼らを「石器時代の生き残り」とみなして調査したので、広く知られるようになった。セリグマンの調査した「石器時代的ベッダ」は、仮小屋をつくりながら洞穴、岩陰を移動しつつ、掘棒などの木器で根菜、果実、蜂蜜(はちみつ)を採集し、犬、丸木弓を用いた狩猟、毒流し、弓矢による漁労で動物食を自給した。セリグマンの調査時にも周辺農民と同様にシコクビエ、トウモロコシを主体とする焼畑農耕民でありながら「ベッダ」とよばれる人々がいた。「石器時代的ベッダ」では、かつてのシンハラと同じく母系、妻処婚が卓越し、交差いとこ婚が好まれると報告されている。しかし、3~5家族からなる小集団の縄張りは流動的で、セリグマンの報告した母系組織の実態を確認できないなど不明な点が多い。採集狩猟ベッダの石器時代的特徴は、セリグマン調査時でももっぱら物質文化に限られ、ヤク(夜叉(やしゃ)と同語源)を普遍的神格とするシャーマニスティックな宗教・儀礼は基本的にはシンハラと連続的だった。
文献上のベッダはスリランカへの「アーリア人」到着以前の先住民であり、「アーリア人」到着後の古文献がシンハラとの通婚に言及しているから、2000年以上のちのセリグマン調査時にこの島の中で外界から隔絶した集団が「遺存」していたとするのはかなり不自然である。ベッダの言語の遺存的特徴の究明は放置し、岩陰、洞穴の石器時代遺物をベッダに帰するなどのセリグマンの報告内容には疑問が多い。
[佐々木明]