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ペラン ペラン Perrin, Jean-Baptiste

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ペラン
ペラン
Perrin, Jean-Baptiste

[生]1870.9.30. リール
[没]1942.4.17. ニューヨーク
フランスの化学者,物理学者。パリのエコールノルマル・シュペリュール (高等師範学校) を終え,パリ大学教授 (1910) 。 1936年フランス内閣に科学研究所長官として入閣,ドイツ軍によるフランス占領のため,41年アメリカに亡命した。

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デジタル大辞泉の解説

ペラン(Jean-Baptiste Perrin)

[1870~1942]フランスの物理化学者。ブラウン運動を観測し、モル分子数を測定して分子の存在を実証した。1926年ノーベル物理学賞受賞。

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百科事典マイペディアの解説

ペラン

フランスの物理化学者。エコール・ノルマルで学び,1910年パリ大学教授。コロイド溶液の沈降現象およびブラウン運動からアボガドロ数を測定して分子の実在を証明。また化学反応速度,光化学での業績も多い。

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世界大百科事典 第2版の解説

ペラン【Jean Baptiste Perrin】

1870‐1942
フランスの物理化学者。リールの生れ。1891年にエコール・ノルマル・シュペリウールに入り,ボルツマンの原子論の擁護者であったM.ブリュアンの影響を受ける。95年最初の論文で陰極線が負に帯電していることを実験的に示し,これら陰極線の研究や,発見後まもないX線の研究を基礎に学位論文を提出,学位取得後はパリ大学の物理化学講師を経て,1910年から同教授。電解質溶液中でのイオン輸送の問題,とくにコロイド粒子ブラウン運動の研究に取り組み,1908年から一連の実験を開始,既知の大きさの粒子を使用してアボガドロ数を決定し,この値が気体分子運動論から導かれる値と誤差の範囲内で一致することを示した。

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大辞林 第三版の解説

ペラン【Jean Baptiste Perrin】

1870~1942) フランスの物理化学者。ブラウン運動の観察からモル分子数の測定に成功。分子の実在性を示した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ペラン
ぺらん
Jean Baptiste Perrin
(1870―1942)

フランスの物理化学者。9月30日、リールで生まれる。近代原子論の確立に大きな貢献をしたジャンペランリヨン中等教育を受けたのちパリに出て、フランスの最高学府の一つである高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリュール)で学んだ。19~20世紀の転回点は物理学史上有名な「原子論対エネルギー一元論論争」の時代でもあるが、ペランの師マルセル・ブリュアンはオストワルトマッハのエネルギー一元論の強力な反対者であり、ボルツマンの原子論の熱心な唱道者であった。ペランがこの師から受けた影響は決定的であった。1896年に彼はイギリス王立科学協会のジュール賞を受け、翌1897年には学位を取得した。ブリュアンの影響で学生時代から彼のなかに定着した原子・分子論的観点が具体的な研究として現実化し始めるのは主として1900年代からである。顕微鏡的なコロイド粒子が液体中で示す不規則な運動はブラウン運動とよばれ、その原因は長い間不明であったが、1905~1906年ごろアインシュタインスモルコフスキーらにより、これが液体の分子運動、分子衝突によるものであることが理論的に導かれた。ペランはこの理論の実験的検証に精力を傾けた。この実験には、たとえば真球形で半径の完全にそろったコロイド粒子の分散液をつくらねばならないが、20世紀初期の実験技術の段階でこの作業が現実にいかに労苦に満ちたものであるかは、彼の有名な啓蒙(けいもう)書『原子』Les Atomes(1913)のなかに感動的に描かれている。彼はこれらの研究により、アインシュタインの理論の正しさ、ひいては分子論、分子運動論の正しさを決定的なものにした。こうして1926年にはこの「物質の不連続的構造(分子的構造)の研究」に対しノーベル物理学賞が授けられた。
 1936年、ペランは第一次人民戦線内閣の科学研究庁長官として、今日に引き継がれている重要な国立科学研究組織Centre National de la Recherche Scientifique(CNRS)を創立した。第二次世界大戦中はその激しい反ファシズム思想のゆえにアメリカに亡命し、ニューヨークで「自由フランス大学」Ecole Libre des Hautes Etudesの創立に協力、1942年4月17日同地で死去した。戦後その遺体は母国フランスに戻され、改めてパンテオンに葬られた。[中川鶴太郎]
『玉虫文一訳『原子』(岩波文庫)』

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世界大百科事典内のペランの言及

【ブラウン運動】より

…しかしともかく分子の熱運動がブラウン運動の原因であるのだから,ボルツマンの時代はまったくの仮説にすぎなかった分子の熱運動なるものの手がかりが,ブラウン運動の研究によってつかめるのではないかと考えられ,20世紀の初頭になってにわかにブラウン運動の研究が活発になった。フランスのJ.B.ペランはゴム原液を水に滴加した乳濁液を顕微鏡で観察し,一つの微粒子について30秒ごとの位置を方眼紙に写してみた。時間tだけたつと微粒子がはじめの位置からrだけ離れたとして,r2の値をいろいろな微粒子について平均してみると,その値〈r2〉はtに比例していることが見いだされた。…

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