アルゼンチンの軍人,政治家,大統領(在任1946-55,73-74)。ブエノス・アイレス州ロボスに生まれ,1911年ブエノス・アイレス市の陸軍学校に入学し,職業軍人の道を歩んだ。24年大尉に昇進し,26-29年に陸軍高等学校で軍事史を修めてから軍事史家として頭角を現し,30年同校の軍事史教授になり,《1914年の世界大戦》(1931)や《軍事史に関する覚書》(1932)を著した。39-41年に軍事研究のためにイタリアに派遣され,ムッソリーニのファシズムに共鳴して帰国。41年末大佐に昇進し,42年ごろ軍の秘密結社GOU(統一将校団Grupo de Oficiales Unidos)の有力メンバーとなり,この結社の主導した43年6月4日の軍事クーデタに参加した。クーデタ直後陸軍次官に任ぜられ,同年10月国家労働局長(労働局が1ヵ月後に労働福祉庁に改組されるとその長官)を兼務し,労働者に対する保護政策をやつぎばやに打ち出して大衆の幅広い支持を得た。この支持をバックに軍事政府内随一の実力者にのし上がり,44-45年には,福祉庁長官のほか,陸軍大臣,副大統領をも兼ねた。だが彼のあまりに労働者寄りの政策に対する批判がしだいに強まり,45年10月軍内部の反ペロン派の蜂起にあって失脚し,幽閉された。ここに彼の政治生命は断たれたかに見えたが,10月17日労働者は大規模な抗議デモを組織してペロンの釈放をかちとり,彼は一躍労働者大衆のアイドルとなった。このデモの成功に一役買ったとされるのが,のちに2番目の夫人(最初の夫人とは1938年に死別)となるエバEva Duarte de Perón(エビータEvita。1919-52)であった。
46年の大統領選で圧勝したペロンは,社会正義(労働者の保護),経済的自立(工業化と国有化),自主外交を柱に独自の改革を推進し,なかでも大統領夫人みずから主宰した慈善組織エバ・ペロン財団は,活発な救貧活動を展開して政府の社会政策の一端を担った。ペロンは51年再選されたが,しだいに経済政策の面で行き詰まり,翌年のエビータの死は大衆に幻滅感を与えた。さらに54年ごろから離婚法をめぐって教会と対立したことは人心を離れさせ,55年9月軍のクーデタにあって失脚し,パラグアイに亡命した。その後パナマ,ベネズエラ,ドミニカ共和国を経て60年以来スペインに落ち着き,翌年亡命先のパナマで知り合ったイサベルIsabel Perón(本名María Estela Martínez de Perón。1931- )と結婚した。この間アルゼンチン国内では反ペロン派による厳しい弾圧への反発から労働者の間に彼の政権復帰を望む声がしだいに高まり,73年9月に実施された大統領選では,イサベル夫人を副大統領に従え国民投票の6割を超す得票率で当選を果たし,10月18年ぶりに大統領の座に返り咲いた。しかしながら,高齢に加えて病身(心臓病)だったこともあり,インフレやテロに苦しむ祖国を救済する具体策を打ち出しえぬまま74年7月急逝した。
→ペロニスモ
執筆者:松下 洋
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アルゼンチンの軍人、政治家。中間層のイタリア系移民の息子としてブエノス・アイレス市近郊に生まれ、陸軍士官学校、陸軍大学に学ぶ。卒業後母校で軍事史を講義し、戦略論や戦史に関する数冊の著書を著した。1939年に渡欧してムッソリーニに傾倒し、帰国後、親枢軸派の統一将校団(GOU)に参加。1943年にGOUのクーデターを指導して労働福祉庁長官となり、陸相、副大統領も兼務して実権を掌握する。農業国から工業国への転換期における労働者の政治勢力に着目して、賃上げ、年金、労働法規など労働者保護政策を打ち出した。しかしこの政策を危険視する勢力は彼を軟禁したが、ペロンを支持する労働者のデモによって政界に復帰し、1946年に大統領に選出された。
第二次世界大戦直後の豊かな財政を背景に、ペロンは労働者の保護と規制を強めて労働者を体制内化し、工業化、基幹産業の国有化、自主外交を進めた。その政治理念は、資本主義と共産主義を排して第三の道によって社会正義を実現する正道主義にあった。しかし財政はしだいに悪化し、1952年には片腕であった夫人エバを失い、離婚法の制定などによりカトリック教会から破門された。1955年にペロンは軍のクーデターで追われて亡命する。その後の軍政はペロンの影響力の払拭(ふっしょく)に努め、弾圧を強めた。しかし彼の政治的復帰を求める声にこたえるため、亡命中に結婚したイサベル夫人を副大統領に伴って、1973年に18年ぶりに大統領に返り咲いたが、高齢と病のため翌1974年没した。
[乗 浩子]
『松下洋著『ペロニズム、権威主義と従属――ラテンアメリカの政治外交研究』(1987・有信堂高文社)』
アルゼンチンの政治家。フアン・ドミンゴ・ペロンの二番目の妻。私生児として生まれ、女優となり、1944年ペロンと知り合い同棲(どうせい)。ペロンの権力掌握を支援した。労働政策と福祉活動によって労働者の圧倒的支持を獲得し、女性参政権運動と「婦人ペロニスタ党」の結成により、女性を政治動員した。家庭中心の保守的女性観をもっていたが、夫婦共有財産制や家事労働への支払い制度を提唱。33歳で癌(がん)のため死去。その波瀾(はらん)に富んだ生涯はミュージカル『エビータ』に再現されている。
[乗 浩子]
『J・バーンズ著、牛島信明訳『エバ・ペロン 美しき野心』(1982・新潮社)』▽『W・A・ハービンソン著、正田宗一郎訳『エビータ!――その華麗なる生涯 彗星のごとく現われ、去っていった民衆の友“天使エビータ”の秘密』(1994・ダイナミックセラーズ出版)』▽『M・サンチェス著、青木日出夫訳『エビータ――写真が語るその生涯』(1997・あすなろ書房)』▽『N・フレイザー他著、阿尾正子訳『聖女伝説 エビータ』(1997・原書房)』
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1895~1974
アルゼンチンの軍人,大統領(在任1946~55,73~74)。陸軍学校卒。イタリア留学時ファシズムに接し,影響を受ける。帰国後,国家社会主義を標榜する軍内の秘密結社,統一将校団に加わる。1943年クーデタに参加し,陸軍次官となる。翌年労相,陸相,副大統領を兼務,労働者擁護に努め人気を得た。45年クーデタで失脚するが,46年大統領選に勝利した。民族主義にもとづき工業開発,主要産業の国有化,自主外交,労働者擁護立法などの社会改革を推進し,47年ペロニスタ党を創設した。しかし経済政策が破綻し,教会と対立して,55年クーデタで失脚,亡命した。その後,長期軍政が続いたが,73年,ペロン帰国の声が高まるなかで大統領選に勝利した。しかし74年病死し,夫人で副大統領のイサベルが大統領に昇格した。
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…この憲法は実際,国の政治的安定に寄与し,1862年から1930年までは議会制度が円滑に機能していたが,1930年の軍事クーデタ以来,政治は軍政と民政が交互に繰り返される不安定な状況が続いた。この間1949年にペロン大統領のもとで憲法改正が実施されたが,1955年の同政権の崩壊後,1853年憲法が復活した。1983年に民政移管が実現してから軍の政治介入は急速に減少し,政治的な民主主義が確立されつつある。…
…アルゼンチンの政治運動で,創始者J.D.ペロンにちなみ,こう呼ばれている。1943年6月4日,軍事クーデタの有力指導者だったペロンの打ち出した親労働者政策が大衆の支持を受けたことから生まれた運動で,社会正義,経済的自立,自主外交を基本的な政策路線としている。…
…20世紀初頭から20年代にかけて,アルゼンチンやチリやウルグアイでは,メキシコのような革命という爆発的なかたちをとらずに,漸進的ながらも中間層による政治権力への参加や労働者階級の地位の向上を実現していった。30年代初めの世界恐慌はこの地域の諸国の経済に甚大な打撃を与え,その後,アルゼンチン,ブラジル,チリ,メキシコなどは輸入代替の工業化政策をとるようになり,また,メキシコやブラジル,アルゼンチンではそれぞれ,L.カルデナス,G.D.バルガス,J.D.ペロンのもとで30年代から40年代にかけて労働者階級の地位向上のため積極的な政策がとられるようになった。 一方,中央アメリカやカリブ海では20世紀初頭以来アメリカ合衆国がこの地域に積極的に進出し,この地域を自己の勢力圏とした。…
…1869年ブエノス・アイレスでパスJosé Clemente Pazにより創刊された。1951年から4年間ペロン政権下では停刊を余儀なくされたが,55年の軍事クーデタによるペロン追放後に復刊され,保守的な独立新聞として今日に至っている。《ナシオンLa Nación》と並ぶ二大有力紙である。…
※「ぺろん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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