緊急非常用の直通回線。2カ国の首脳や当局が直接対話できるよう設置された専用回線を指すことが多い。冷戦の時代、連絡の遅れで核戦争の瀬戸際に陥ったキューバ危機を教訓に、1963年に米国とソ連の間で開設されたのが最初とされる。回線は「赤電話」とも呼ばれ、同様の仕組みが各国にも拡大。米国と中国の国防当局は2008年に軍事ホットライン設置を巡る協定を結んだ。韓国と北朝鮮は18年の南北首脳会談を契機に首脳間のホットラインを設置した。(共同)
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1963年6月20日に調印された「直通通信連絡線設置に関する米ソ覚書」に基づきワシントンのホワイトハウスとモスクワのクレムリンの間に設置された直通のテレタイプによる通信線で、緊急時に首脳間の直接対話により戦争の危険を回避しようというもの。当初は有線と無線の二つの同時送受信電信回路が設置されたが、71年9月30日の協定により人工衛星通信組織を導入して改善が図られ、さらに84年7月17日の協定によりファクシミリ装置も加えられた。米ソ間のほか、66年には仏ソ間、67年には英ソ間にもホットラインが設置された。また、首脳間の直接の意思疎通を図るため、ワシントンとロンドン、ボン、東京などの間にも直通通信連絡線が設置されている。
[木村修三]
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…危機管理の考え方は,1962年10月のキューバ危機ののち,米ソ間で本格的に定着するようになった。キューバ危機のように核戦争の危険を実際にはらむ紛争を避ける目的から,米ソは1963年6月にワシントン~モスクワ間を結ぶ〈ホットラインhot‐line〉と呼ばれる政府専用の電信電話回線を設置する協定を生んだ。危機の時点で,米ソの政策決定者たちが,互いのコミュニケーションの方法を確保し,相互の誤解や不信をできるだけ少なくすることによって平和をとり戻そうというのである。…
…国連緊急安保理事会での交渉や非公式の接触を通じて,ケネディはキューバ不侵攻を約束し,フルシチョフは10月28日,ミサイル撤去を発表,米ソ核戦争の危機は回避された。 キューバ危機後,米ソは急速に接近し,63年7月には米ソ直通電話(ホットライン)設置が決定され,8月には部分的核実験禁止条約が締結された。しかし,フランスは危機に際してアメリカを支持したものの,アメリカの核脅迫力の低下を懸念し,独自の核兵力を開発するにいたった。…
…1955年7月の米英仏ソのジュネーブ巨頭会談は,平和共存の原則が国際政治において実現したものと評価できる。その後も63年8月の部分的核実験停止条約の締結とホットラインhot‐line(ホワイト・ハウスとクレムリンを結ぶ直通のテレタイプによる通信線)の設置など,部分的にではあるが米ソによる平和共存関係への努力がなされてきた。 1985年に登場したソ連のゴルバチョフ政権は,現在の相互依存世界では,相手の安全保障抜きに自己の安全を追求することは不可能だとする本格的な平和共存政策を打ち出し,各方面で東西間の関係改善が進んだ。…
…そしてわれわれは皆いつかは死ぬのである〉ケネディ)を説かざるをえなくなったのである。この経験から,63年両国間のホットラインの設置という危機回避策の改善がなされ(〈危機管理〉の項参照),部分的核実験停止条約にみられる軍備制限が実現された。
【東アジアでの冷戦の継続】
キューバ危機以降,先に指摘した〈冷戦〉を緩和する要因がしだいに前面に出はじめ,〈デタント〉といわれる状況をつくり出していった。…
※「ホットライン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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