ホーフト(英語表記)Pieter Corneliszoon Hooft

改訂新版 世界大百科事典 「ホーフト」の意味・わかりやすい解説

ホーフト
Pieter Corneliszoon Hooft
生没年:1581-1647

オランダ詩人劇作家歴史家アムステルダム市長の子に生まれ,ラテン語学校を卒業後,イタリアに旅行し,イタリア・ルネサンス芸術に親しくふれて決定的影響を受けた。その後,ライデン大学法学を修め,1609年から没年にいたるまでマイデンの代官を務めた。その間,官邸のマイデン城に学者文人,芸術家を招いて知的交流をはかり,いわゆるマイデンの会の主宰者としてオランダ・ルネサンス文化の発展に貢献した。作品に田園詩劇《フラニーダ》(1605),無類の吝嗇りんしよく)漢を描いた喜劇《ワーレナル》(1616),オランダ独立戦争を記録した大著《オランダ史》27巻(1642-54)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ホーフト」の意味・わかりやすい解説

ホーフト
ほーふと
Pieter Corneliszoon Hooft
(1581―1647)

オランダの詩人、劇作家。オランダ・ルネサンスの中心人物。商家の出で、父はアムステルダム市長。イタリアに旅し、その後ライデン法律を修め、マイデル城地区の司法官になる。有名な芸術家の集まり「マイデル城サークル」の中心人物。ヒューマニストとして、ギリシア、ローマの古典文化に傾倒し、また流麗でエロティック詩集を発表した。悲劇詩人セネカの筆法に従った戯曲は有名で、田園生活を謳歌(おうか)し、退廃の貴族生活を嘲笑(ちょうしょう)した『グラニダ』(1605)はじめ、『ヘーラルド・ファン・フェルセン』(1613)、『バトー』(1626)が代表作。1626年以後、散文に専念。歴史小説も手がけたが、傑作『オランダ史』(1642)は未完に終わった。

[近藤紀子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ホーフト」の意味・わかりやすい解説

ホーフト
Hooft, Pieter Corneliszoon

[生]1581.3.16. アムステルダム
[没]1647.5.21. ハーグ
オランダの詩人,劇作家,歴史家。父はアムステルダム市長。法律を修め,マイデンとホーイの司法官となる。主著,詩劇『グラニダ』 Granida (1605) ,『オランダ史』 Nederlandsche historiën (42) 。

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世界大百科事典(旧版)内のホーフトの言及

【オランダ文学】より

…16世紀半ばに始まるスペインの専制支配に抵抗して独立を達成したオランダは,17世紀に入ると,ヨーロッパの最先進国としていわゆる〈黄金時代〉を迎え,学術・文芸が一時に開花して大詩人,劇作家が輩出した。田園詩劇《フラニーダ》(1605)や独立戦争の記録《オランダ史》(1642‐54)を書いたホーフト,喜劇《スペイン系ブラバント人》(1617)のブレーデロー,抒情詩《ハーグの森》(1621)のハイヘンスConstantijn Huygens(1596‐1687),詩劇《ルシフェル》(1654)や《追放されたアダム》(1664)のフォンデルなどがそれである。また,聖書のオランダ語国定訳(1637)が標準文章語の形成に与えた影響も特筆に値する。…

※「ホーフト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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