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ボナベントゥラ ボナベントゥラ Bonaventura

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボナベントゥラ
ボナベントゥラ
Bonaventura

[生]1221. ウェテルボ,バニョレア
[没]1274.7.14/15. リヨン
イタリアの神学者,聖人,教会博士 (熾天使的博士 doctor seraphicus) 。本名 Giovanni di Fidanza。トマス・アクィナスと並び称せられる。 1243年頃フランシスコ会に入り,パリでハレスのアレクサンダーに師事し,1248年からトマスとともに同大学で教えた。

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デジタル大辞泉の解説

ボナベントゥラ(Bonaventura)

[1221~1274]中世イタリアの神学者・スコラ哲学者。フランチェスコ修道会総長。アウグスティヌス主義の伝統を継承した神秘主義者。著「魂の神への道程」など。

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百科事典マイペディアの解説

ボナベントゥラ

イタリアのスコラ学者,神秘思想家。俗名ジョバンニ・ディ・フィダンツァGiovanni di Fidanza。〈熾天使的博士Doctor seraphicus〉と尊称される。
→関連項目スコラ学フーゴー(サン・ビクトールの)フランシスコ会

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世界大百科事典 第2版の解説

ボナベントゥラ【Bonaventura】

1217ころ‐74
イタリアのスコラ神学者,哲学者,神秘思想家。幼名ジョバンニ・ディ・フィダンツァGiovanni di Fidanza。トスカナ地方の出身で,1234年からパリ大学人文学部で学び,学位を得て後,アレクサンデル・ハレンシスの下で神学を研究,師と同じフランシスコ会に入る。53年教授資格を得たが,紛争のため教授団に加わったのは57年10月。しかし,その年の2月にフランシスコ会第7代総長に選挙されていたため,公式の教授活動は行わず,以後ヨーロッパ各地を巡回して,ヨアキム・デ・フローリス問題,清貧の問題などをめぐって揺れる同会の運営,会員たちの信仰生活の指導に専念した。

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大辞林 第三版の解説

ボナベントゥラ【Bonaventura】

1221~1274) イタリアのスコラ神学者。フランチェスコ会の総長となった。アウグスティヌス主義の立場から、神秘主義的思想を主張。著「神への精神の道行き」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ボナベントゥラ
ぼなべんとぅら
Bonaventura
(1221―1274)

中世イタリアの神学者、哲学者。トスカナ地方バクノリア生まれ。1257年トマス・アクィナスとともに、托鉢(たくはつ)修道会士として初めてパリ大学神学博士の称号を得る。同年フランシスコ会長に選ばれて教授活動からは退き、教団形成当時からの厳格派と寛容派の対立の融和に尽力する。1260年にナルボンヌで総会を開いてフランシスコ会憲章を改訂公布した。思想的にはアリストテレス・アラブ思想と伝統的なアウグスティニズムの総合を図り、人文学部を中心とする急進的アリストテリズムに警告を発する。1274年の東西教会の和解を目ざすリヨン公会議の準備に携わり、会期中リヨンに没した。実践的、理論的両面にわたる融和への努力の指導原理は、宥和(ゆうわ)者であり仲介者であり、存在と知と人間の交わりの源泉であり、中心であるキリストと、その全き倣(まな)びを目ざしたフランチェスコの実践である。この意味で、彼は固有の仕方でフランシスコ教団の精神を具現した人物であった。主著としてパリ大学教授時代の『命題集註解(ちゅうかい)』はスコラ的著作であり、以後のものは小品ながら彼の思想的特色を端的に表すものが多い。『魂の神への道程』は代表作といわれる。スコラの概念的、分析的方法に熟達しつつ、ネオプラトニズム的な神秘主義、照明説の盛期スコラにおける代表者であり、アウグスティヌス的な神の似姿の説やディオニシウス的顕現説に基づき、全世界に神の足跡をみる象徴主義思想家でもある。[坂口ふみ]

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世界大百科事典内のボナベントゥラの言及

【スコラ学】より

…この時期,普遍(類と種)をめぐる論争(普遍論争)が盛んに行われた。 13世紀の盛期スコラ学の特徴は,学としての神学の成立であり,いいかえると,アルベルトゥス・マグヌス,トマス・アクイナス,ボナベントゥラなどにおける,信仰と理性との偉大な総合である。その背景にはパリ,オックスフォードなどの大学における活発な学問活動,アリストテレス哲学の導入,ドミニコ会,フランシスコ会を先端とする福音運動の推進などの積極的要因が見いだされる。…

【生命の樹】より

…ただし,〈生命の樹〉の場合,単独の図像としてよりも,十字架およびキリストを表すギリシア文字ΧΡの2字からなるクリスモン文様との組合せ図像として好んで使用され,それらはカタコンベの壁画(ローマ)や石棺の浮彫(コプト)などに,数多くみられる。キリスト教美術において〈生命の樹〉が独立した図像として表現されたのは,神学者ボナベントゥラが1274年に考案したものが最初であろう。キリストが磔刑にされている木の幹から,左右に12本の枝が分かれ出,その枝には48のメダイヨンが配され,そこにキリストの生涯が表されている。…

【フランシスコ会】より

…日本にも1593年(文禄2),ペドロ・バプティスタが来て布教を開始した。その後〈第二の創立者〉とよばれるボナベントゥラが第8代総会長在任中(1257‐74),フランチェスコの遺志をめぐって争われてきた〈清貧論争〉に中庸の道が示され,説教活動とならんで神学・哲学の研究や大学教育への参加がこの修道会の社会的指導力を高めた。次の世紀にかけて会員中からドゥンス・スコトゥスやオッカム(ウィリアム・オブ・オッカム)などの碩学が輩出する。…

【ベルリンギエリ】より

…署名入りの《磔刑のキリスト》(ルッカ,国立絵画館)は,アーモンド形の目,様式化された肉体や衣褶の表現など,典型的なビザンティン風イタリア様式を示す。息子ボナベントゥラBonaventura B.(?‐1274ころ)も画家で,署名入りの《フランチェスコ像》(1235,ペシアPescia,サン・フランチェスコ教会)は,やはりビザンティン風の図式的作風を見せるが,キリスト教改革者としての聖人の強いまなざしの表現などに個性がうかがわれる。【鈴木 杜幾子】。…

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