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ボロシーロフ Voroshilov, Kliment Efremovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ボロシーロフ
Voroshilov, Kliment Efremovich

[生]1881.2.4. エカテリノスラフ
[没]1969.12.3. モスクワ
ソ連の軍人,政治指導者。三十数年にわたり I.スターリンの友人,かつ協力者であった。労働者の家庭に生れ,1903年ロシア社会民主党に入党,05年革命の際ルガンスクの労働者を組織し,17年までたびたび逮捕された。 17年革命で白衛軍と戦い,のち各級軍司令官に就任。 21年ソ連共産党中央委員に選出され,26年政治局入り。 25年陸海軍人民委員。第2次世界大戦中,国家防衛委員会の一員,北西方面軍総司令官として戦争の総指揮にあたった。 53年3月~60年5月国家元首に比肩する最高会議幹部会議長をつとめた。 60年7月中央委員会幹部会 (政治局の後身) から解任され,61年 10月中央委員会からも追放されて,V.M.モロトフら「反党グループ」の一員として非難されたが,のちに中央委員に返り咲いた。

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百科事典マイペディアの解説

ボロシーロフ

ソ連の軍人,政治家ウクライナ生れ。若くして労働運動に参加,ロシア革命から内戦期に活躍。陸海軍人民委員等の要職を歴任し1935年ソ連最初の元帥となり,第2次大戦中はレニングラード防衛戦を指揮。その間1926年から共産党中央委員となり,副首相を経て1953年―1960年最高幹部会議長。

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世界大百科事典 第2版の解説

ボロシーロフ【Kliment Efremovich Voroshilov】

1881‐1969
ソ連邦の軍人,政治家。鉄道労働者の家に生まれ,少年時代から金属労働者として働くかたわら革命運動に参加。1903年ロシア社会民主労働党(共産党の前身)に入党した。逮捕,流刑を重ね,17年の十月革命後の国内戦の時代には,ウクライナで反革命軍と戦った。このころから軍事面で頭角を現し,革命軍事会議議長兼陸海軍人民委員(1925‐34),国防人民委員(1934‐40)を経て,40年に副首相兼国家防衛委員会議長に就任。

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世界大百科事典内のボロシーロフの言及

【ウスリースク】より

…油脂,砂糖,製粉および製肉コンビナート,機械製作,機関車修理などの工場があり,農業,教育の両大学と鉄道技術専門学校がある。1866年に開かれ,旧称は1898年までニコリスクNikol’sk,1935年までニコリスク・ウスリースキーNikol’sk Ussuriiskii,以後57年まではボロシーロフVoroshilov。【山本 敏】。…

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