インドネシアのジャワ島中部,ジョクジャカルタの北西約40km,ケドゥ盆地にある大乗仏教の世界的な石造遺跡。750年ころから850年ころにかけてこの地方に仏教・ヒンドゥー教文化がもっとも栄えた時代に,シャイレンドラ王朝(唐代の史書にみえる訶陵)によって建設された。自然の丘の上に盛土をし,総量が5万5000m3にもなる,厚さ20~30cmの安山岩の切石を10層内外積み上げてできている。120m四方の基壇の上には6層の方形段と3層の円段がのり,そして最上層に中心仏塔をのせて,全体の高さは42mにおよぶ。こうしてケドゥ盆地の中にボロブドゥールを遠望すると,段台の上に仏座像と仏塔群の林立する,一種幻想的な仏陀の世界に誘われるかのような感じがするのは,優れた造形意匠によっている。14世紀半ばには一部倒壊したボロブドゥールの存在がすでに知られていたようである。しかし世界的に知られるようになったのは,1814年ジャワ副総督ラッフルズと技師コルネリウスによって再発見されてからである。その後86年には現在の基壇の内部に,一部未完成ではあるが160面の彫刻のあるもとの基壇が発見され,建設途中に工事変更のあったことが判明した。そして1907年から5年間にわたり,オランダ人技師ファン・エルプによって大規模な修理工事がなされ,今にみる形を整えるにいたった。この工事の際にはボロブドゥールから東方にそれぞれ1.8kmと3kmの地点にある同時代のチャンディ・パオン,チャンディ・ムンドゥットの二つの堂が一直線上に位置している事実も判明し,古代の謎は深まるばかりであった。
ボロブドゥールの宗教的意味については,その基壇と方形段と円段の3部分からなる建築構成に対応して,天界,人界,地下界の三界からなる宇宙の象徴であると理解されたり,また全体で六ないし十段よりなるところから,悟りをめざす菩薩の修行すなわち六ないし十波羅蜜の階梯を表現し,その修行実践の場であるともいわれる。そして全体としてみれば,表現豊かな段台をもつ大きな仏塔であるとも理解されている。建設の途中で崩れを起こしたために数回にわたる設計変更の行われた跡があるが,それには現基壇を追加してもとの基壇を隠し,段数を増してさらに中心の仏塔を縮小するなど巧妙な造形処理もみられる。これも長い建設期間中に起こった宗教理論の変化に対応するものと考えられている。
6層からなる方形段の各層には2m幅の回廊が巡る。この回廊の内側には主壁があり,外側には欄楯(らんじゆん)が巡らされ,優れた仏座像群と壁面彫刻が連続している。そして各面の中央には地上から最上の円段まで通じる階段があり,その入口には鬼面カーラと海竜マカラで装飾された拱門(アーチ)が開いている。基壇から第4回廊までの主壁上部には,仏龕(ぶつがん)寺院と呼ばれる釣鐘型の壁龕があり,その中には各方向に108体ずつ合計432体の結跏趺坐する等身大の,一石造りの仏像が安置されている。また3層からなる円段上には下層からそれぞれ,32,24,16個の釣鐘型で目透しの小仏塔が配置され,その中にも各々1体,合計72体の仏座像が安置されている。これらの仏像の尊名は,ジャマン・ブド(仏の道)と呼ばれるジャワの仏教聖典《聖大乗論》によると次のようになる。まず中央に釈迦牟尼仏が配置され,その右側(東南)に世自在,左側(北西)に金剛手があらわれる。釈迦牟尼仏の顔からは毘盧遮那(びるしやな)(大日)如来があらわれ,世自在は二分して東側の阿閦(あしゆく)如来と南側の宝生如来となり,また金剛手は二分して西側の無量光(阿弥陀)如来と北側の不空成就如来となる。さらに毘盧遮那如来の完全な智識からヒンドゥー教の三神であるシバ,ブラフマー,ビシュヌが生まれ,天界,人界,地下界を創造する。天界には諸天,人界には人間,そして地下界には竜が住まうといわれる。504体におよぶボロブドゥールの如来像の配置は,このような思想を裏書きするようである。
隠された基壇を含めて,第1回廊から第4回廊にわたる主壁と欄楯には,合計1460面の,延長5kmにおよぶ見事な浮彫がある。これらの浮彫は経典の内容を表現しており,東面の南側から始まり,時計まわりに右遶(うによう)して筋書をたどるように設計されている。隠された基壇には分別善悪応報経が彫られ,因果応報の理を説く。第1回廊主壁の上段には方広大荘厳経が,そして主壁下段と欄楯の上,下段から第2回廊欄楯にいたる720面には釈尊の前世話(ジャータカ)および譬喩経が彫られている。続いて第2回廊主壁から第3回廊主壁,欄楯,第4回廊欄楯の順に388面にわたり,華厳経入法界品に基づいて,善財童子が55人の善知識(師)を訪ね,教えを請う情景が描かれている。最後に第4回廊主壁の72面には,普賢菩薩の大慈悲心を讃歎する様を具象化している。
一方,3層の円段には浮彫はなく,巧みな建築意匠によって抽象的な悟りの境地あるいは天界を具現している。しかも下層の円段の平面には,楕円の合成によって方形から円形へ移行する過渡的形態を使い,そして最上層の円段と中心仏塔は真円によって普遍性を強調している。これに符合するかのように,円段上の釣鐘型の仏塔の目透しにも,下層の円段には菱形格子を用い,最上層には方形格子を用いることによって,内部の仏座像が上層にのぼるにつれて見えにくくなり,ついに中心仏塔で眼前から消滅するという不思議な技巧が使われている。このように仏塔の回りを荘厳化するならわしはインドに始まり,また段状の基壇をもつ仏塔はミャンマーなど東南アジアにも類例はあるが,これほど完璧で美しい造形はまれである。
最初の大規模な修復工事はオランダによって1907年から11年にかけてなされた。この工事ではおもに上部の円段と中心仏塔が解体修復された。また独立後の48年にもインドから専門家2人を招いて,石の風化対策の調査がなされた。他方,50年代には地盤沈下によって壁と床の傾斜が進み,61年北東方のメラピ山噴火後は,雨水による石の劣化と構造破壊を防ぐ応急対策が迫られた。73年から10年の歳月と約2000万ドルをかけ,ユネスコの呼びかけによる国際協力を得て,方形段の部分を全面的に解体修理し,排水と構造の強化を図った。この工事には各国から支援が寄せられ,日本からも国際技術諮問委員に千原大五郎が選ばれ,献身的に協力した。また80年からは日本が技術協力して,ボロブドゥールおよびプランバナンの二大遺跡とその周辺を歴史公園として整備し,文化財と歴史的環境を保護しながら,観光と地域の振興を図る計画が実施に移された。1920年代ころから民族的な教育・文化運動を進めるインドネシア人は,ボロブドゥールなどの文化遺産を重視したが,今日再び国民統合のシンボルとして国の内外から強い関心が払われている。
執筆者:野口 英雄
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インドネシア、ジャワ島中部にある世界的な仏教遺跡。インドネシアの島々には紀元前からインド文化の影響が及んでいたが、7世紀の後半から10世紀の前半にかけて、中部ジャワ地方一帯に、ヒンドゥー教と大乗仏教とを基調とする宗教美術が栄えた。それは東南アジアに広く展開されたインドの宗教美術のうちでも、もっとも芸術的水準の高いもので、ヒンドゥー・ジャワ芸術とよばれるが、ボロブドゥールはその象徴的遺品にほかならない。1814年密林中から発見、発掘されたこの建造物について、名称の由来、建立年代、寄進者などを伝える確証はないが、おおむね790年から860年ごろにかけて、シャイレーンドラ朝という大乗仏教を信奉する当時の中部ジャワの支配者が建立したものとされている。自然の小丘上に人工的盛り土をしてつくった土饅頭(どまんじゅう)の表面に、5万5000立方メートルもの安山岩のブロックを覆いかぶせたもので、内部に空間はなく、外観だけがそのすべてという、きわめて特殊な建造物である。
建築の構成は、古代インドにおける仏教特有の建造物であるストゥーパ(仏塔)に、インド文化がジャワに渡来する以前から、土着の人々が祖先を祀(まつ)るためにつくっていた段台状の祠(ほこら)の建築様式が加味されたものと思われる。1辺約120メートルの正方形の台を初層とする六層の方形段台と、その上の三層の円形段台とからなる。下部の方形層の周辺は幅約2メートルの回廊で、これを右にめぐりながら各辺中央にある階段で順次上層に登るようになっている。回廊の側壁の上部には、等身大の結跏趺坐(けっかふざ)する仏像1体を安置した、総数432基の龕(がん)が並べられ、またその下部には、仏教の経典が絵画的に延々と浮彫りされ、その総延長は5キロメートルにもなる。上部の円形層の最高部の中心には、巨大な釣鐘形のストゥーパがあり、その相輪の先端まで42メートルあったという(現在、相輪は35メートル余の点で折れている)。この中心ストゥーパを三層三重に取り巻いて、内部に1体ずつ仏像を安置した72基の目透(めすか)しの格子の小ストゥーパが配されている。これらの仏像や浮彫りの洗練された作風は、仏教の理想を造形化した仏教美術の傑作である。1960年代初頭には、風化崩壊の寸前の状況にあったが、ユネスコの呼びかけで国際的協力による工事が行われ、1982年10月にはみごと修復された。日本も技術と資金を提供して貢献した。91年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[千原大五郎]
『千原大五郎著『仏跡ボロブドール』(1969・原書房)』▽『千原大五郎著『インドネシア社寺建築史』(1975・日本放送出版協会)』
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ジャワ島中部の大乗仏教遺跡。8世紀後半から9世紀初めにシャイレーンドラ朝が建立。1辺約120mの基壇に方形壇4,円壇3,中央塔を積みあげた,他に例のない石造建築で,内部空間はない。方形壇は回廊をなし,両側に仏典にもとづく肉厚浮き彫り1460面がある。回廊上部の仏龕(ぶつがん)に金剛界(こんごうかい)五如来(にょらい)432体,円壇上の小仏塔にシャカムニ仏72体が坐する。
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…碑文の年代に7世紀説と5~6世紀説とがあるが,いずれにせよ本国での大乗仏教の隆盛につれて彼も仏教,とくに密教の信奉者となった。そして8世紀中ごろに彼らは中部ジャワに進出し,その地を統治していたマタラム王国を東方に圧迫し,780年ごろから850年ごろにかけて有名なボロブドゥールを建立した。これは方形6層の下部と円形3層の上部から成る独特な構造をもち,インドにも類を見ない。…
…ブロック状に切られた方形の石を水平に積み上げて造られ,その内部には遺灰が納められ,さらに仏像や神像が安置され,礼拝の場となる。チャンディは仏教あるいはヒンドゥー教のもので,代表的なものに仏教のボロブドゥール,ヒンドゥー教ではプランバナン遺跡群のなかのロロ・ジョングランがある。〈チャンディ〉は古代ジャワ語(カウィ語)で,その語源は一説にヒンドゥー教の死の女神ドゥルガーの別名チャンディカに由来するという。…
…なかでもチャンディ・ムンドゥットの本尊である高さ約3mの仏倚座(きざ)像とその脇侍(きようじ)菩薩は均整のとれた体軀に力がみなぎり,東南アジアの仏像の最高傑作と称賛され,その外壁の密教系の浮彫菩薩像もすぐれている。またボロブドゥールにはもともと504体もの傑出した等身大の仏座像があり,回廊壁面の長大な浮彫の芸術性の高さも注目される。13世紀以降東部ジャワでヒンドゥー教と仏教とが混合して特異なシバ・ブッダ信仰を生んだが,芸術的香気は失われてゆく。…
…スリランカからは,8~10世紀の密教関係の仏像などが発掘され,インドネシアの諸島からも,9~14世紀の密教関係の遺跡・遺品が数多く発見されている。ジャワ島の有名なボロブドゥールの大塔は,金剛薩埵の立体曼荼羅ともいわれる。 中国へは,2世紀ころから中央アジアの僧たちが仏教を将来した。…
※「ボロブドゥール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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