国際的規模でスカウト運動とよばれる団体活動を展開している少年のための教育団体。略称BS。スカウトは斥候や偵察を意味する英語で、1908年この運動の創始者であるイギリスのベーデンパウエルRobert Stephenson Smyth Baden-Powell(1857―1941)が、騎兵士官当時に斥候術を教えるために編み出したグループワーク的方法を、少年たちの社会教育に応用するにあたって、この名称を採用した。
[藤原英夫・上杉孝實]
ベーデンパウエルはペスタロッチやモンテッソリの教育思想の影響を受け、その組織や活動については、日本の鹿児島の「健児之社(けんじのしゃ)」や福島の白虎(びゃっこ)隊のそれらも参考にしたという説があった。彼の著作『少年たちのためのスカウティング』Scouting for boys(1908)は世界的反響をよび、当時のイギリス領各地で運動への爆発的参加をみただけでなく、1910年からの3年間、フランスはじめヨーロッパ15か国でこの名の少年団体活動が盛り上がることになった。なお、1910年には少女のための組織であるガールガイド(ガールスカウト)も創設され、ベーデンパウエルの妹アグネスAgnes Baden-Powell(1858―1945)が初代総裁となった。
[藤原英夫・上杉孝實]
日本でも1920年(大正9)三島通陽(みちはる)(1897―1965)らによって「弥栄(いやさか)ボーイスカウト」が結成された。それより前、ベーデンパウエル来日の1912年に静岡少年団、翌1913年修養団少年軍が誕生し、少年団、少年義勇団、少年義勇軍などの名で類似の活動が東京、大阪、京都、北海道、石川、愛媛などでおこった。1922年少年団日本連盟結成、1924年第2回世界ジャンボリー(野営大会)および第3回BS国際会議に代表派遣をしている。ただ、「連盟」構成団体の大半はBSに無知で国際的関心も薄く、1935年(昭和10)大日本少年団連盟へと改組された。やがて国際情勢の急変で日本のBS運動自体も変質を余儀なくされ、ついに1941年この連盟も新設の「健志(けんじ)会」に継承させられて、大日本青少年団へ統合の形になった。
第二次世界大戦後、1948年(昭和23)運動再建会議、1949年再建記念全国大会などを経て、1950年国際組織への復帰後の日本のBSは、本来の趣旨にのっとり、しかも日本の風土にもあった諸活動を展開するようになった。すでに1947年に3か条の「ちかい」と12の「おきて」が定められ、ほかにビーバースカウト隊員のための「やくそく」と「きまり」、カブスカウト隊員のための「やくそく」と「さだめ」も決められている。ボーイスカウトの隊組織はビーバー(小学校就学直前の1月~2年生)、カブ(小学校2年生の9月~5年生)、ボーイ(小学校5年生の9月~中学校3年生)、ベンチャー(中学校3年生の9月~20歳未満)、ローバー(18歳以上)といった年齢区分をもち、ほかに障害児のためのボーイスカウトもつくられている。
財団法人ボーイスカウト日本連盟を中心に、各都道府県連盟が結成された。同連盟は少年団体としてもっとも活発な日常活動を行うほか、1949年以来全国大会と1951年以来3、4年おきの日本ジャンボリーを開催しているだけでなく、隊員の海外派遣、世界ジャンボリーへの代表参加、開発途上国のスカウト支援といった国際交流にも実績をあげている。1971年には第13回世界ジャンボリー開催国を引き受け、富士山麓(さんろく)朝霧(あさぎり)高原に87か国から代表参加を得て2万4000人の大集会行事を成功裏に遂行した。1995年(平成7)9月以降、女子の参加も認められており、2018年3月末時点で、日本の団員は約10万人である。
[藤原英夫・上杉孝實]
『スカウト連盟運動史編さん特別委員会編『日本ボーイスカウト運動史』(1973・ボーイスカウト日本連盟)』▽『田中治彦著『ボーイスカウト――20世紀青少年運動の原型』(1995・中央公論社)』▽『ボーイスカウト日本連盟著『ボーイスカウト・フィールドブック』改訂版(2001・朝日ソノラマ)』
1908年イギリスのベーデン・パウエルR.S.Baden-Powell(1857-1941)によって創始された少年団組織とその運動。女子の組織はガール・スカウト。パウエル将軍はボーア戦争を指揮した際,少年たちが斥候として活躍する姿を見て,規則に拘束された軍事訓練でなく,大自然の中での冒険的で緻密な観察と技術,機敏な自主的判断と集団的行動を必要とする斥候活動によって,少年たちを訓練しつつ陶冶することを提唱した。少年たちの意欲をひき出す団体活動を通して愛国心をも高めていくボーイ・スカウト運動は,イギリス帝国主義の当時の社会状況に合致し,急速に広がった。また世界各国の支配勢力も,青少年の訓育と愛国心高揚の有効な方法としてボーイ・スカウト運動をとり入れ,1920年にはボーイ・スカウト国際事務局(現在は世界事務局World Organization of the Scout Movement)が設立され,世界最大の青少年運動になった。事務局は69年以来ジュネーブにおかれている。96年現在215ヵ国・地域,約2500万人が加入し,2年ごとに世界スカウト会議が,4年ごとに野外祭典である世界ジャンボリーが開かれる。日本には明治末年〈少年義勇団〉の名で紹介され,小柴博による東京少年団(1913),三島通陽(みちはる)による弥栄ボーイスカウト(1918)などが作られ,1923年に後藤新平を総裁とする少年団日本連盟が結成された。太平洋戦争中は解散され大日本青少年団に統合されたが,49年ボーイスカウト日本連盟として再建,今日に至っている。
ボーイ・スカウトの組織は,日本においては,年齢別にカブ・スカウト(小学校2年生の2学期以降),ボーイ・スカウト(小学校5年生の9月以降),シニア・スカウト(15歳以上または中学校3年生の8月以降,18歳未満),ローバー・スカウト(18歳以上)に分けられ,世界共通の〈ちかい〉と〈おきて〉に基づいて行動する。各地区のボーイ・スカウトは,団-隊-班で構成されるが,1班は8人単位で協同行動する〈パトロール制度〉,段階的な技能や知識の習得に応じて進級させる〈進級制度〉,各種の技能の修得度を示す〈技能章制〉,統一的な制服など独特の制度をもっている。日本のボーイ・スカウト人口は,97年現在,登録団数3255,団員数約24万7000人。
→ガール・スカウト →少年団
執筆者:増山 均
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…子ども会の原形は,古くは村落共同体の子供組や子供衆などの慣習的な子ども集団の中にみることができる。明治末期から大正時代にかけて,資本主義経済の発展にともなう地域社会の変化と学校の校外指導の強化により慣習的な子ども集団は衰退するが,宗教団体による日曜学校の普及やボーイ・スカウト,ピオネールなど目的的な少年団体,組織が紹介される中で,子ども会に対する教育・文化面での意義が自覚された。しかし,軍国主義の台頭とともに,1932年文部省訓令〈児童生徒ニ対スル校外生活指導ニ関スル件〉によって小学校を単位とする学校少年団づくりが促進されたため,自由で多様な子ども会の性格は失われ,41年には大日本青少年団へと一元的に統合された。…
…〈子ども会〉と類似性をもつが,少年団の場合は綱領,規約,目的がより明確であり,構成員の集団帰属意識がつよく,活動も組織的・計画的・継続的な広域団体である。団体の目的によって形態は多種多様であるが,歴史的源流は,(1)ボーイ・スカウトの流れをくむもの,(2)ピオネールの流れをくむもの,(3)青少年赤十字の流れをくむもの,に大別できる。そのほかナチス・ドイツにおけるヒトラー・ユーゲントやファシズム・イタリアのバリラBallilaのように国家権力が直接統合した少年団も生まれた。…
※「ボーイスカウト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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