翻訳|pop art
ポピュラー・アート(大衆芸術)の略称。美術用語としては、現代の大衆文化が生み出す図像や記号、既製品を絵画、彫刻の領域に取り入れた純粋美術の一傾向をさす。1960年代初頭のニューヨークを中心に国際的に知られるようになったため、アメリカ産の芸術と考えられがちだが、実際にはこの名称はイギリスのロンドンで生まれアメリカに波及したものである。
[石崎浩一郎]
すでに1952年ロンドンで「インデペンデント・グループ」とよばれる若い美術家集団が現代芸術研究所(ICA:Institute of Contemporary Arts)で芸術と大衆文化の問題を討議し、その際にこの名称が使用された。1956年ホワイト・チャペル画廊でメンバーの一人、リチャード・ハミルトンRichard Hamilton(1922―2011)が開いた「いったい何が今日の家庭をこれほどに変え、魅力的にしているのか」と題する展覧会は、画廊をアパートの一室に変え、テレビ、テープレコーダー、家庭電化製品、広告や女性のヌードの複製が展示され、ボディビルをするヌードの男が持つ棒あめには「pop」の文字が見える。第二次世界大戦前のダダイスト、マルセル・デュシャンを信奉するハミルトンのほか、機械製品の集積で立体作品をつくるエドワード・パオロッツィも初期からこの運動に加わったメンバーであった。そのほかの代表的なイギリスのポップ・アーティストとしては、ビートルズをはじめマスコミのアイドルを描くピーター・ブレイクPeter Blake(1932― )、マネキン人形のようなエロティックな女性像を制作するアレン・ジョーンズ、のちに南カリフォルニアに移住したデビッド・ホックニーなどがあげられる。イギリスのポップ・アートは、伝統への反発のなかで、アメリカの機械文明やマスメディアが演出する大衆文化への強い共感を表明しており、運動の擁護者で最初に「ポップ・アート」の名称を使った批評家とされるローレンス・アロウェイLawrence Alloway(1926―1990)がアメリカに移住するとともに、その舞台の中心はニューヨークに移行した。
[石崎浩一郎]
これに対して、アメリカでは1950年代後半から、マルセル・デュシャンや前衛作曲家ジョン・ケージの影響下に、既製品の日常的オブジェを作品化するロバート・ラウシェンバーグ、アメリカの国旗や地図などの量産されたイメージを絵画化するジャスパー・ジョーンズなどが活躍を開始していた。彼らは「ネオ・ダダ」とよばれたが、のちに初期ポップ・アートとして位置づけられるようになった。このような潮流を受け継ぎながら、1962年にニューヨークのシドニー・ジャニス画廊で「ニュー・レアリスツ」展が開かれると、ハリウッドの映画スターの写真やミッキー・マウスなどの漫画を大胆に正面から取り上げた作風が人々を驚かせた。なかでもシルクスクリーンによる転写技法でマリリン・モンローやジャクリーン・ケネディJacqueline Kennedy Onassis(1929―1994)などのマスメディアが演出する虚像を定着させ、コカ・コーラやキャンベル・スープの缶を羅列して機械による増殖性を描くアンディ・ウォーホル、ステンシルの技法でコミック・ストリップ(続きもの漫画)の一こまを大きな画面に拡大するロイ・リクテンスタインが注目を集めた。このほか、商業広告のコラージュで派手な画面を生むロバート・ローゼンクイスト、安手な既製品に満たされた室内をオブジェと絵画で表現するトム・ウェッセルマンTom Wesselmann(1931―2004)などは、大量消費社会の現実に覆われたアメリカンライフの断面を鮮やかに暴き出している。立体作品では、好んでジャンク・フード(量産食品)を主題としたクラエス・オルデンバーグ、直接人体から石膏(せっこう)で型取りした像に周囲の環境的装置を加えたジョージ・シーガルらが芸術と現代の日常的環境との落差を埋める役割を果たしている。このような動きはアメリカ西海岸にも拡大し、幾何学的形態でガソリンスタンドなどをデザイン的に抽象化したエドワード・ルシャ、享楽的な広告のヌードを描くメル・ラモスMel Ramos(1935―2018)、社会的告発のメッセージを含む大掛りな環境彫刻で活躍したエドワード・キーンホルツEdward Kienholz(1927―1994)などの美術家たちを生み出した。
[石崎浩一郎]
このようにポップ・アートは「ハイ・カルチャー」(高級な文化)と考えられてきた芸術に、「ロー・カルチャー」(低位の文化)、「ポピュラー・カルチャー」(大衆文化)を主題やイメージとして採用することで、芸術と周辺文化の境界を取り払い、溶解させるという結果をもたらした。この運動の拡大とともに「キャンプ」(通俗と考えられてきた文化を愛好する感受性)、「キッチュ」(通俗物、複製、模造品)などの流行語が生まれ、「サブカルチャー」(下位文化、副次文化)に対する論議と関心は、いまなおその余波を広げている。精神主義的な抽象表現主義を擁護した批評家の多くが批判的だったにもかかわらず、若い世代に支持されたポップ・アートは1960年代でもっとも関心を集めた芸術活動として、ヨーロッパ、日本にもその影響を拡大していった。また、この活動は資本主義と自由主義経済の大量消費社会に固有の現象と考えられがちだが、現実にはソ連のような社会主義国でも制作され、1980年代末から1990年代にかけての社会主義体制の崩壊後、多くの作品が発表されている。
[石崎浩一郎]
その後ポップ・アートの影響は、1970年代初頭には写真の人工的映像をあるがままに冷徹にカンバスに描く「スーパーリアリズム」にも反映されることになる。さらに、直接的には1980年代なかばから改めて顕著な傾向としてその手法が復活する。ハリウッドのスターを自らヒロインとして演じてセルフ・ポートレートとして写真化するシンディ・シャーマンCindy Sherman(1954― )、通俗なポスターやアイドルの肖像、ありきたりの家庭電化製品やキャラクター・グッズを作品化するジェフ・クーンズJeff Koons(1955― )、名画の模造品を主題とするマイク・ビドロMike Bidlo(1953― )などは、ことさら複製や量産品、通俗なイメージを模倣し、引用する作風によって「ネオ・ポップ」とよばれている。大衆文化の模擬的体験を生み出すことから「シミュレーショニズム」の名称も用いられるが、ポップ・アートのより直接的な後継者であることに変わりはない。とりわけ1990年代にアニメーション映画の最大輸出国となった日本では、ネオ・ポップの作品として、漫画やアニメのスタイルを援用した絵画や、それらのキャラクターを模した立体作品が目だつことも特徴的といえる。サブカルチャーの再評価とともに、アニメや漫画を研究対象とした学会が生まれ、美術館で漫画家の原画展などが企画されるようになった背景にも、ポップ・アートの影響の広がりをみることができよう。
[石崎浩一郎]
『C・フィンチ著、石崎浩一郎訳『ポップ・アート――オブジェとイメージ』(1976・パルコ出版局)』▽『ロラン・バルト著、沢崎浩平訳『美術論集――アルチンボルドからポップ・アートまで』(1986・みすず書房)』▽『東大寺乱著『行動する画家――印象派よりポップ・アートまで』(1990・沖積舎)』▽『ルーシー・R・リパード著、関根秀一他訳『ポップ・アート』(1993・洋販出版)』▽『ニコス・スタンゴス編、宝木範義訳『20世紀美術――フォーヴィスムからコンセプチュアル・アートまで』(1997・PARCO出版)』▽『アントワーヌ・コンパニョン著、中地義和訳『近代芸術の五つのパラドックス』(1999・水声社)』▽『ティルマン・オスターヴォルト著、Kazuo Isobe訳『ポップ・アート』(2001・タッシェン・ジャパン)』▽『ジェイミー・ジェイムズ著、福満葉子訳『ポップ・アート』(2002・西村書店)』
1960年代前半,おもにニューヨークを中心に展開した,戦後美術の大きな運動のひとつ。マス・メディアによるマス・コミュニケーションを特色とする大衆消費情報社会は,60年代に高揚期を迎えたが,一群の美術家たちは,広告デザイン,量産品,写真,テレビの映像などを主題とし,制作方法もシルクスクリーンなどのマス・メディアの方法を援用して,大衆社会の〈イコン〉をあっけらかんと華麗に表出し,ポップ・アートの全盛期を築きあげた。もっとも,先駆的な現象は,1950年代のロンドンの若い美術家たちの活動にすでに見られた。ハミルトンRichard Hamilton(1922- ),パオロッツィEduardo Paolozzi(1924- ),ピーター・スミッソンらは,早くから,ポップ・ミュージックやアメリカ映画やサイバネティックスやファッションやSFなど,大衆社会の新しいサブカルチャーに注目し,研究会や展覧会を開いたのである。ポップ・アートという名称も,ハミルトンの写真コラージュの作品に,ボディビルの男が手にした巨大なキャンディに〈POP〉という字が大きく書かれていたことから生まれたといわれる。また,この派の批評家アロウェーLawrence Alloway(1920- )が60年代にニューヨークに移住し,一群のアメリカ作家の作品を総称して,〈ポップ・アート〉と呼んだことで,この名称が定着したともいう。ニューヨークのポップ・アートは,1940年代後半から50年代にかけてニューヨークで爛熟した抽象表現主義へのアンチ・テーゼとして生まれたとも見られる。抽象表現主義の超越的な精神主義に対して,ポップ・アートは卑俗・日常的なマス・メディア的大衆性を強調したわけであり,両者の分水嶺の位置を占めるのが,R.ラウシェンバーグとJ.ジョーンズである。漫画を印刷の網目ごと拡大したようなR.リクテンスタイン,モンローやコカ・コーラの像を繰り返し並べたA.ウォーホル,巨大広告を転用したローゼンクイストJames Rosenquist(1933- ),布製の巨大なハンバーガーやアイスクリーム・コーンを作ったC.オルデンバーグ,女性のヌードやスーパーマーケットの食品をけばけばしく描いたトム・ウェッセルマンTom Wesselmann(1931- )など,そこには戦後のアメリカ文化のけばけばしさが芸術の領域になだれ込んでいる。
執筆者:東野 芳明
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(山盛英司 朝日新聞記者 / 2007年)
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…これには激しい動きを画面に投入したアクション・ペインティングの一派(J.ポロック,W.デ・クーニング,クラインFranz Kline(1910‐62)ら)と,平面的な色面によるカラー・フィールド・ペインティングColor‐Field Paintingの流れ(M.ロスコ,ニューマンBarnett Newman(1905‐70),スティルClyfford Still(1904‐80),ラインハートAd Reinhardt(1913‐67)ら)があり,両者とも巨大なキャンバスをいっぱいに使った衝撃的な絵画を創造した。 40年代後半から50年代半ばごろまでが抽象表現主義絵画の全盛期だったが,クライン,ポロックの相つぐ死去および抽象表現主義絵画そのものが抱えていた問題によって50年代末から崩壊し,代わってポップ・アートと新抽象(ポスト・ペインタリー・アブストラクションPost‐Painterly Abstraction)の二つが現れる。個人的な主観主義の袋小路に入りこんだ抽象表現派の行きづまりを批判的に乗り越えようとしたのがこの世代で,彼らは抽象表現派が一時的に結びつけたシュルレアリスムとキュビスムを元の姿に解体し,そのうえで時代に対応する新しい方向をさぐった。…
…特にF.ベーコンは現代の不安や恐怖,悲劇を独特のデフォルメと色彩によって表現し,現代イギリスの最も注目すべき画家の一人となった。戦後のイギリスはまたアメリカに先んじて1955年ころからポップ・アートを生み出した。その代表的作家にはハミルトンRichard Hamilton(1922‐ ),ブレークPeter Blake(1932‐ ),パオロッツィEduardo Paolozzi(1924‐ ),ジョーンズAllen Jones(1937‐ ),ホックニーDavid Hockney(1937‐ )らがいる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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