ポーランド映画(読み)ポーランドえいが

改訂新版 世界大百科事典 「ポーランド映画」の意味・わかりやすい解説

ポーランド映画 (ポーランドえいが)

ポーランドにおける映画の製作は,カジミエシュ・プロシンスキKazimierz Proszynskiという若い技術者が3年がかりで〈プレオグラフ〉と呼ぶカメラを設計し,1902年に短編劇映画をつくり始めたのが始まりである。しかし,当時のポーランドは経済的に貧しく,政治的に隷属国であったため,フランスのパテー映画をはじめとする外国に対抗できず,映画製作は遅々として発展しなかった。それが08年ころから軌道に乗り始めて10年以後に活況を呈したのは,のちにハリウッドでポーラ・ネグリPola Negriとして知られた新しいスター,バーバラ・アポロニア・カルペッツ(以下,固有名詞の表記は,映画人のポーランド国外での活躍などの事情もあり,しばしば映画界での慣用による)の人気によるところ大であったといわれる。ワルシャワ最初の撮影所がつくられたのは,ポーランドが帝政ロシアから独立を取りもどしてから2年後の20年である。最初のプロダクションを設立し〈ポーランド映画の父〉と呼ばれる監督アレクサンデル・ヘルツAleksander Hertz,古典文学を映画化したリチャード・オーディンスキー,映画独自のスタイルを追求したビクトル・ビエガンスキ,のちにハリウッドの監督として知られたカメラマン,リチャード・ボレスラフスキーなどが足跡を残した。

 トーキーの時代を迎えて,年間10~20本の作品を製作していたポーランドの映画産業は,過重な課税検閲の強化にみられる独裁政権の反動的な文化政策と弱体な資本に起因する商業主義のために停滞する。そのなかで反動化とたたかい,映画芸術の創造を目ざす女流監督ワンダ・ヤクボフスカWanda Jakubowska(1907-98),イェジー・ボサックJerzy Bossak(1910- ),アレクサンデル・フォルドAleksander Ford(1908-80)など新しい世代の作家たちが台頭し,29年に芸術映画に献身する人たちの協会〈スタルトSTART〉を設立して〈社会的に有用な〉映画の製作を推進し,30年代および第2次世界大戦後のポーランド映画の礎をつくった。

 戦後,45年に製作・配給全権が国家代行機関である〈フィルム・ポルスキFilm Polski〉に移されて映画が国有化され,強制収容所の残虐と悲惨を描いたヤクボフスカの《アウシュウィッツの女囚》(1948),ナチスに対するゲットーの暴動を描いたフォルドの《境界の街》(1948)といった注目すべき作品がつくられた。1940年代の終りから50年代の初めにかけては,映画行政に〈社会主義リアリズム〉の押しつけというかたちで教条主義的な弊害があらわれたが,フォルドの《ショパンの青春》(1952)やイェジー・カワレロウィッチJerzy Kawalerowiczの《フリジアの星の下に》(1954)などは例外であった。

 55年,一種の独立プロダクション・システムともいうべき映画芸術家たちの独立した創造集団である六つの〈映画製作ユニット〉が創設され,そこからポーランド映画を世界的に注目させた若い世代の作家たちが出現した。いわゆる〈ポーランド派〉と呼ばれる監督たちである。アンジェイ・ワイダAndrzej Wajda(1926- )の〈レジスタンス三部作〉,《世代》(1954),《地下水道》(1956),《灰とダイヤモンド》(1958),アンジェイ・ムンクAndrzej Munk(1921-61)の《エロイカ》(1957),カワレロウィッチの《戦争の真の終り》(1956),《尼僧ヨアンナ》(1961)等々の〈傑作〉が世界を驚かせた。

 さらに,60年代になって登場する《水の中のナイフ》(1961)のロマン・ポランスキーRoman Polanski(1933- ),《不戦勝》(1965)のイェジー・スコリモフスキーJerzy Skolimowski(1938- ),《結晶の構造》(1969)のクシシュトフ・ザヌシKrzysztof Zannusi(1939- )らは現代社会の〈歪んだモラル〉を描いて〈モラルの不安派〉と呼ばれた。しかし,その後,ポランスキーはイギリスとアメリカで,スコリモフスキーは西ヨーロッパで仕事をつづけ,もはやポーランドの作家ではないともいわれている。

 政府の〈非スターリン化〉政策が関与してつくられたといわれる〈映画製作ユニット〉は,その後も政治体制の変化に影響され,69年,政権の交代によって指導者も交代し,国外へ去る作家たちがいる一方,激しい政治意識で〈祖国の歴史〉を描きつづける作家もいた。カワレロウィッチの《マッダレーナ》(1970),ワイダの《約束の土地》(1974)などを経て,75年に30周年を迎えたポーランド映画界では,ワイダの《大理石の男》(1976),《鉄の男》(1981),そしてフランスとの合作による《ダントン》(1982)などをはじめ,〈歴史〉や〈ポーランド人〉を描いた作品がつくられつづけている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポーランド映画」の意味・わかりやすい解説

ポーランド映画
ぽーらんどえいが

東欧映画

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