ドイツの作曲家。ベルリン近郊の富裕なユダヤ人の家庭に生まれ、早くから音楽の才能を発揮、9歳でピアニストとして活動を始め、のちにフォーグラーらに作曲を学ぶ。1812年以後オペラなど劇場音楽を発表、24年ベネチアで初演された『エジプトの十字軍』により名声を獲得した。翌25年このオペラのパリ上演の成功を機に彼はパリに居を定めるとともに音楽のスタイルを一変させた。彼はドイツ風の手堅い和声、イタリア的な旋律美の追究に、フランス的要素、すなわち劇自体の完成度、舞台装置などの真実味、そしてとくに歌詞と音楽のアクセントの一致を付け加え、31年パリで『悪魔のロベール』を初演、また36年にはパリで『ユグノー教徒』を発表、いずれも大成功を収めた。42年にプロイセン宮廷音楽総監督に任命され、ベルリンに戻った。以後ベルリンとパリを往復しつつ独仏両国語の台本に作曲、49年にパリで初演された『預言者』(「戴冠(たいかん)式行進曲」を含む)も成功した。最後のオペラ『アフリカの女』は1837年から25年余を費やして作曲された大作だが、その上演準備中に病を得てパリに没し、この作品は死の翌年の65年に初演された。
彼がおもにパリで発表したオペラは、壮大な舞台装置、群衆を登場させるスペクタクル的効果と、それに見合った華美な音楽を特徴とし、当時人気を集めた。彼は「グランド・オペラ」とよばれるこのジャンルを代表する作曲家であるが、このほか、多種の声楽曲、ピアノ曲を残している。
[美山良夫]
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