マカベア戦争 (マカベアせんそう)
古代シリア王国治下のユダヤ人反乱。マカベア(ハスモン)家の指導のもとに戦われたのでこの名がある。前3世紀初頭以来,エジプト(プトレマイオス朝)とシリア(セレウコス朝)の支配と影響を受けつつ着々と進んでいたパレスティナのヘレニズム化は,シリアのアンティオコス4世の時代に頂点に達し,宗教的迫害の様相をも帯びるに至った。前168年のエルサレム略奪,神殿じゅうりんに続いて,異教が全国民に強制されるに及んで,ユダス・マカバイオス(ユダ・マカベア)Ioudas Makkabaiosを指導者とするおもに下級祭司を中心とするグループと,律法学者を中心とするハシディーム(敬虔主義者)とが手をつなぎ,ユダヤ教の伝統に固執した人々をも加えて,シリア軍とそれに同調するユダヤ人を相手に執拗な戦いを開始した。戦争が始まって数年後には早くもマカベア軍は優位に立ち,神殿は清められ(前164),宗教的独立は回復したにもかかわらず,マカベア・グループがなおも政治的独立を目ざして戦い続けるのを見て,ハシディームの一部が戦列を離れた。やがてマカバイオスの兄弟ヨナタン(前152),シモン(前142か前141)が大祭司となり,後者はさらに民族支配者たることを公布し,その子ヒュルカノス1世Hyrkanos Ⅰが前134年に父の地位を世襲することによりマカベア(ハスモン)王朝が確立した。
執筆者:土岐 健治
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マカベア戦争
まかべあせんそう
Macabean war
シリア王国(セレウコス朝)のヘレニズム化政策に反対したユダヤ人の反乱。シリア王アンティオコス4世(在位前175~前163)が、紀元前167年にエルサレム神殿にゼウスやオリンポスの神を導入し、ユダヤ教禁止令を発布した。ヘレニズム化強行を企てたのに対して、ユダヤ人ハスィディーム(敬虔(けいけん)主義者)がハスモン家のマッタティアス(マカベア、マッタテヤとも)を指導者として、アンティオコス4世の圧政・宗教弾圧に対して反乱を起こした。前166年マッタティアスが病死すると、前160年までは三男のイェフダ(ユダス・マッカバイオス)が、前142年まではその弟ヨナタンが反乱を指導し、戦いを続行。前142年、ヨナタンの後を継いだシモンに対し、シリア王デメトリオス2世(在位前145~前140、前129~前125)は朝貢の義務を免除し、ユダヤ人の政治的・宗教的自由の独立を認め、反乱は終結した。前140年、シモンは、エルサレムに招集された「大集会」において大祭司、民族支配者、ユダヤ軍最高司令官に任命され、ユダ王国滅亡以来450年余、ユダヤ人はハスモン家のもとに独立国家を回復した。
[高橋正男 2018年4月18日]
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「マカベア戦争」の意味・わかりやすい解説
マカベア戦争【マカベアせんそう】
マカバイ戦争とも。セレウコス朝シリアの支配下にあったユダヤ人の反乱。シリア王アンティオコス4世が前168年エルサレム神殿にゼウス像を建て,ユダヤ教の祭儀を厳禁した政策などに対し,ハスモン家のユダ・マカベア(ユダス・マカバイオス)を指導者としてユダヤ人が蜂起(ほうき)。彼の戦死後も戦いは弟ヨナタン,シモンらによって続けられ,前134年マカベア(ハスモン)朝の確立をもって終結。
→関連項目シリア王国|セレウコス朝|ユダ
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マカベア戦争
マカベアせんそう
Maccabean Revolt
セレウコス朝シリア王国の支配下にあったユダヤが政治的・宗教的独立をかちえた戦争 (前 168~141) 。前 168年シリア王アンチオコス4世エピファネスがユダヤ人に対するヘレニズム化政策を強化し,エルサレム神殿にゼウス像を持込み偶像礼拝を強制したのに反対してモディンの祭司マッタチアス (マカベア家の祖) が立上がり,同志を糾合してシリア軍に対するゲリラ戦を組織した。反乱はマッタチアスの子ユダス・マカバイオス,ヨナタン,シモンに受継がれ,神殿は清められ政治的独立も達成され,以後ユダヤの王と大祭司はマカベア家の世襲となった。
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マカベア戦争(マカベアせんそう)
Maccabea
セレウコス朝のシリア王アンティオコス4世が,前167年イェルサレム神殿にゼウス像を建て,ユダヤ祭儀の禁止とヘレニズム化の強行を企てたのに対し,ユダヤ人がハスモン家のユダス・マカバイオスの指導で前166年に起こした反乱。前160年に彼が戦死したのちも,兄弟ヨナタン,シモンが次々に戦いを続け,ついに前142年ユダヤ人の政治的・宗教的自由を獲得して戦争は終わった。
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マカベア戦争
マカベアせんそう
Maccabean
前166年から前142年にかけて行われた,セレウコス朝(シリア)のヘレニズム化政策に抗したユダヤ人の反乱
シリア王アンティオコス4世がユダヤ教を禁止し,イェルサレムのヤハウェ神殿にゼウス神像を立てたことに反対して,ハスモン家のユダス=マカバイオスを指導者にユダヤ農民が反乱を起こした。イェルサレム回復後もさらに抵抗を続け,政治・宗教の主権を得てユダヤ人の独立国ハスモン朝を開いて終結した。
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世界大百科事典(旧版)内のマカベア戦争の言及
【マカベア書】より
…旧約聖書外典および偽典中の書の総称。第1から第4まで四つの《マカベア書》があるが,第1と第2がともに[マカベア戦争]の経緯を記しているという点を除いて,互いに関連はない。4書とも《七十人訳聖書》に属するが,第1と第2は旧約聖書外典に,第3と第4は同偽典に属する(第3を外典に加えることもある)。…
【ユダヤ教】より
…特にセレウコス朝シリアの王アンティオコス4世は,ユダヤを征服すると,ユダヤ教を禁止してヘレニズム化政策を強行した。信仰を守るため蜂起したユダヤ人は,マカベア党を中心とする反乱([マカベア戦争])を起こし,長い苦闘の末,マカベア(ハスモン)家によるユダヤの独立を回復した。しかし前63年には,ユダヤはローマの属領となり,ローマの属王ヘロデの支配を受けた。…
※「マカベア戦争」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」