マカレンコ(英語表記)Makarenko, Anton Semënovich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マカレンコ
Makarenko, Anton Semënovich

[生]1888.3.13. ウクライナ,ベロポーリエ
[没]1939.4.1. モスクワ
ソ連で活躍した教育家,社会活動家。 1914年ポルタワ師範学校を卒業。 20年代には革命孤児の更生施設ゴーリキー・コロニーの組織運営に手腕をふるい,31年未成年犯罪者の刑罰施設ジェルジンスキー・コミューンの所長に選任された。 37年モスクワに移り,著述や講演活動を展開したが,2年後に心臓病で急死。代表作の一つ『教育詩・人生への道』 Putevka v zhizn,pedagogicheskaya poema (1933~35) はゴーリキー・コロニーでの実践の記録であり,『両親のための書』 Knigadlya roditeley (37) は育児の指導書で,事例研究の成果を小説風に描き直したもの。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

大辞林 第三版の解説

マカレンコ【Anton Semyonovich Makarenko】

1888~1939) ソ連の教育家。非行少年の再教育において集団主義教育と生産労働を結びつけた。著「教育詩」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マカレンコ
まかれんこ
Антон Семёнович Макаренко Anton Semyonovich Makarenko
(1888―1939)

ソ連の教育家、作家。ウクライナの鉄道工場労働者の子として生まれる。ポルタバ市の高等師範学校を卒業(1917)ののち、浮浪児や未成年の法律違反者を収容し再教育する施設「労働コローニャ」(後のゴーリキー・コローニャ)の所長として教育に尽くした(1920~1935)。ここでの教育経験が主著『教育詩』(1933~1935)を生むことになった。「人間に対する可能な限りの尊敬と要求」という人格尊厳の理念、および、個性の発達は集団においてこそ保証されるとする考え方は、「集団における集団による集団のための教育」という集団主義教育思想として展開された。さらに、ジェルジンスキー記念コムーナの指導を通して青少年の生産労働と集団教育との結合を主張し、実践記録『塔の上の旗』(1938)では、集団の教育力を重視した社会主義教育の原理を説いている。諸種の教育手段の調和的構成体のなかでのみ人間形成は可能であり、児童集団はソビエト社会の一部であるという考え方は、教育と政治との緊密な連関を強調するソビエト社会の構成原理に連なるものであった。主著には、前記のほか『親のための本』(1938)、『愛と規律の家庭教育』(1938)がある。[舟山俊明]
『マカレンコ全集刊行委員会編訳『マカレンコ全集』全8巻(1964~1965・明治図書出版) ▽ソビエト教育学研究会編訳『マカレンコ研究』(1965・明治図書出版)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典の解説

マカレンコ

(Anton Sjemjonovič Makarjenko アントン=セミョノビチ━) ソ連の教育者、作家。革命後の浮浪児教育を基点に、集団主義教育による実践的教育論を主張した。主著「愛と規律の家庭教育」。(一八八八‐一九三九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

関連語をあわせて調べる

今日のキーワード

日米安全保障条約

1951年9月8日に対日講和条約と同時に署名された「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」Security Treaty between Japan and the United States ...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android