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育児 いくじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

育児
いくじ

動物が生れてから成体に達するまでの間の親の保護養育の行動をいう。一般に高等な動物の子供の出生時は幼弱であり,身体も小さく,ほとんど無能力で,ひとりでは生きていけない。親の全面的な養護を受けながら成長し,やがて親と同じ状態 (成体) に達する。育児の基本として食事,睡眠,排泄,清潔,衣服の着脱,安全,接触 (愛撫など) ,話しかけなどの諸行動が含まれている。育児の担当者は原則的に両親であるが,現実には母親により多くの負担がかかっている。しかし種によっては両親ともに育児に関係するものや父親のみがあたる場合もある。親が育児不能に陥った場合,他の成体が代って育児を行うことがある。子供は真の親でなくても,親の機能をそなえているものであれば,十分に成育する可能性をもっている。このために個々の親の養育を受ける代りに,多くの子供を集めて,数人の養育者 (親でない) が集団的に育児を行うこともできる。育児の方法は人間の場合には動物のように単純な生理的 (本能的) 基盤にのみ依存することはなく,文化,伝統,価値観などによって規定され,時代,地域,風習などさまざまの要因によって異なった方法がとられている。親の育児態度,文化的伝統の育児様式などによって子供の人格形成にさまざまの影響を及ぼす。また親に価値観の混乱の生じるような社会変動の時代には育児行動に不適応が生じやすく,育児ノイローゼ,育児放棄などの問題行動が現れやすい。 (→保育 )  

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デジタル大辞泉の解説

いく‐じ【育児】

[名](スル)乳幼児を養い育てること。

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世界大百科事典 第2版の解説

いくじ【育児】

生まれてきた子どもを,心身ともに社会生活が可能な年齢になるまでの間,養育する過程を育児という。狭義の育児は,出生後学齢までの乳幼児について語られることが多いが,最近では,妊娠中の母性の心身の健康状態が胎児に及ぼす影響が大きいことから,妊娠中の母体の健康維持や,健全な精神生活も育児の一部分と考えられるようになり,さらに,優生学的な見地から,妊娠前の両親の健康も考慮条件に含まれるようになった。また,社会的に一人立ちする年齢が遅くなるにつれて,育児という視点でとらえる必要のある小児の年齢を,中学,高校年齢まで引き上げて考えることも要求されるようになってきた。

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大辞林 第三版の解説

いくじ【育児】

( 名 ) スル
乳幼児を育てること。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

育児
いくじ

育児は、子育てともいわれているが、大別すれば、身体面と精神面とに分けられる。とくに精神面においては、人格形成に及ぼす影響が強調されている。育児は主として家庭において、親など保護者の手によって行われるが、その実現が不可能な場合には、乳児院や児童養護施設、保育所などの児童福祉施設において、専門家によって行われる。育児の目的は、心身ともに健康な子供を育てることにあるが、1980年ごろからとくに指摘されているのは、体の健康は順調であっても、心の健康に問題のある子供が増加している点である。心の健康についてはいろいろな考え方があるが、とくに注目しなければならないことは、情緒の不安定と、それに伴って生じる情意の欠損と、自主性の発達の遅れと、それに伴う意欲のない子供の増加である。それらを予防するために、どのような育児が望ましいか。[平井信義]

年齢の区分

育児ということばを用いるとき、その対象となる子供の年齢は、就学前であり、乳児期および幼児期である。乳児期のなかでは、生まれてから1週間ないし1か月までの新生児期を、とくに養護に注意を要する時期として強調されているが、国際的な申し合わせでは出生後4週間を新生児期としている。
 乳児期は、満1歳になるまでをいうが、それ以後との区別ははっきりしていない。人間としての能力、歩行とことばが始まる点を強調すれば、1歳2、3か月までを乳児期とする考え方がある。平均的にいえば、そのころから歩行が始まるし、ことばも数語を話すようになるからである。乳児期を食事上の面で区分すれば、6か月ごろまでの乳汁期とその後の離乳期とに分けることができる。乳汁期とは、もっぱら母乳や牛乳(人工乳)に頼って栄養をとっている時期であり、その後、大人の食べている食べ物に移行するために、食品の固さを増し、範囲や調理法を広げていくために、さまざまな注意を必要とする時期である。そして、満1歳のころには、だいたい大人と同じ食物を食べることができる。
 なお、生後6か月から8か月にかけて、視覚が急速に発達するに伴って、人見知りが現れることに注目する必要がある。それ以前には、主として皮膚感覚や聴覚に頼って周囲の人々や状況を受け取っており、視覚による認知は漠然としたものであったが、6か月以後になると、周囲にいる人々の顔や姿をはっきりと認識し、見慣れている者とそうでない者とを区別し、見慣れない人に恐れを感じて見慣れている人にすがりつく。これが人見知りの現象である。この現象は、見慣れている人のイメージが、はっきりと子供の心に刻まれたことを意味するとともに、見慣れている人との情緒的な関係が成立していることをも意味する。情緒的関係が母親を対象としている場合には、母親との間に信頼関係が成立し始めているわけで、3歳までにその関係が成立することの重要性が指摘されている。
 満1歳以後を幼児期というが、この時期は大別して、3歳未満と3歳以後とに区別される。3歳未満は、親子間の情緒的な関係を緊密にする時期であり、3歳以後は、友人形成期ともよばれ、友人と遊ぶなかで社会性を伸ばす時期である。幼稚園が3歳以後の子供を対象にしているのは、そのことによる。3歳児はその移行期にあたる。体の発育は、平均値からみれば、乳児期が急なカーブを描いているのに対して、幼児期にはなだらかな坂を上っていく。ただし、個体差が目だってくる。また、体質的な面からいえば、3歳未満には滲出(しんしゅつ)性体質の子供が多く、湿疹(しっしん)などができやすいが、その後は胸腺(きょうせん)リンパ体質の子供が増えてくる。5歳になると、生活習慣の多くが自立し、家庭生活に適応し、身辺自立ができあがるとともに、友人形成の能力も発達しているので、6歳になると小学校に入学することになる。それ以後を、学童期とよぶのが一般的である。[平井信義]

体の発育


新生児期
この時期は、母体内で保護されていた状況から、母体外での生活に適応するための努力が行われる時期である。第一に呼吸、第二に哺乳(ほにゅう)、第三に体温調節があり、第四に、体内では、循環器系統に大きな変化がおきている時期である。
 第一の呼吸は、産声に始まる。母体内で生活しているときには、胎盤から臍帯(さいたい)を通して母親から酸素をもらい、炭酸ガスを排出していたから、呼吸をする必要はなかったし、羊水の中にいたから呼吸をしないように仕組まれていた。出生後まもなく、臍帯からの酸素の供給は減る。それが呼吸中枢を刺激することになり、産声がおきる。産声とともに初めて外界の空気が子供の肺に入り、肺がだんだんに広がっていく。その広がりが完了するまでには約1週間を必要とするので、その間にばい菌が肺に入るようなことがあると、肺炎をおこしやすく、生命の危険を招きやすい。
 呼吸は、初めは不規則で浅いが、しだいに整い、1分間に30前後になる。おもに腹式呼吸である。
 第二の哺乳は、出生後8~10時間の深い眠りのあとに始まる。空腹を感じた新生児は、泣き始める。そこで母乳または牛乳や乳製品を与えることになるが、子供には乳を吸うための技術が発達していないし、母親も授乳の技術が不慣れであり、しかも乳汁分泌も十分でない。したがって、1日に飲む量は非常に少ない。しかし、日増しに母親の脳下垂体から分泌される催乳ホルモンの影響によって、分泌がよくなるが、乳量が新生児の発育を保証するようになるまでには数日間かかる。そのために体重は減少し、生後3~4日ごろには出生時体重の5~10%は減る。これを生理的体重減少とよび、心配はない。この間の母乳はとくに初乳とよばれ、永久乳の3倍に近いカロリーをもつ濃厚な乳汁である。そして約1週間で永久乳になる。つまり初乳には、体重減少をできるだけ防ぐ仕組みが備わっているのである。
 新生児の哺乳は、日増しに上達する。その哺乳のための仕組みもまた、実に巧みにつくられている。第一に、口唇(こうしん)反射と吸引反射がすでに備わっていることである。口唇反射とは、乳児のほおをつつくと、そのほうに自分の唇(くちびる)を近づけて顔を動かす状態であり、吸引反射とは、唇についたものを吸う状態である。目のよく見えない新生児にとって必要な反射は、すでに胎児期の終わりごろには備わっているのである。また、歯が生えていないこと、上あごと下あごの間が狭くなっていることも、乳汁を吸うときの吸引力を強くするために必要な条件であり、受け口に近い状態も、乳房を下からもみ上げるようにするのに役だっている。さらに、新生児のほおにはサクランボ大の脂肪の球があって、吸引する際にほおがへこまないように仕組まれている。この脂肪が不揮発性の脂肪酸からできていることも、もし脂肪が消費されるような事態(栄養障害や飢餓など)がおきたときにも、最後まで哺乳の機能を残しておくためである。唇をみると、しわが刻まれており、とくに母乳を飲ませているときには、上下の唇が二重になっている。これらは、母親の乳首に唇をつけたときに、それに密着させて空気が通らないようにすること、つまり吸引の際の力を強めることのできる仕組みである。
 第三の体温調節については、母体内で37.5℃の恒温の中にいた状態から、日常の温度にさらされるわけで、その刺激によって皮膚が紅潮する。これが、赤ちゃんとよばれるようになった理由である。しかし、体温調節の仕組みは十分でないので、衣服を着せたり、室温に注意をする必要がある。
 第四の循環機能については、臍帯が切れ、産声をあげたときから、肺循環が始まる。そして、心臓を十分に働かせて、全身に血液を送る。それゆえ、心臓に故障のあるときには、十分に酸素が行き届かないので、末梢(まっしょう)の部分にはチアノーゼが現れたり、顔色が白くなったりする。
 新生児の体は刻々と変化する。初めは真っ赤であった皮膚が、生後3日目ごろから黄色くなり始める。これを新生児黄疸(おうだん)という。生後1週間から10日前後で消えるのが普通で、まったく心配はない。ただし、黄疸が強く、しかも長く続くときには、重症黄疸を考えなければならない。それが血液型の不適合によっておきた場合には、脳障害をおこす危険がある。交換輸血によってそれを予防しなければならないから、あらかじめRh因子については(+)か(-)かを調べておく必要がある。出生直後には湿り気をもっていた皮膚も、生後4~5日には乾いて、ぬかのようにむける。これは、水分の不足によるものと考えられ、表皮脱落(落屑(らくせつ))とよばれている。それより1~2日前、つまり生後3日前後に38℃前後に発熱することが多いが、これも水分の不足から生じたものと考えられ、渇熱(飢餓熱)とも一過性熱ともよばれている。生後3~4日から発汗が始まる。夏季などには、あせも(汗疹)に注意する必要がある。
 以下、新生児期に現れるいくつかの状態について述べる。
 第一に、乳房が男の子も女の子も膨らみ、指で押すと乳汁が分泌される。これを魔乳または奇乳とよんでいるが、母乳分泌ホルモンを母体内にいるときにもらっており、それが新生児の乳腺(にゅうせん)を刺激するからである。男の子にも乳腺があるのはおもしろい。
 第二に、生後1週間から10日の間に、臍帯が乾いてきて、ついにとれる。これを臍脱という。へそが多少湿っていることがあり、細菌・病原菌がつくと危険であるから、よく消毒をする必要がある。
 第三に、新生児の頭骨には、二つの泉門(せんもん)が開いている。前方の大きい泉門を大泉門、後方を小泉門とよぶが、その二つの間に矢状縫合(しじょうほうごう)とよばれるすきまがある。これらは、産道を通るときに頭の容積をできるだけ少なくするために必要な仕組みであった。小泉門は生後2~3か月で閉じるが、大泉門が閉じるのは、多くは生後9か月以後となる。
 新生児の1日の生活は、眠る、まどろむ、乳汁を飲む、排尿便をする、ということの繰り返しであり、1日の8~9割は睡眠で過ごしているが、空腹になると泣いて乳汁を求め、満腹になるとまどろみ、やがて眠る。空腹のために泣き出す時間は、その前の乳汁量と関係しており、十分に飲んでいれば眠っている時間が長く、十分でない場合にはしばしば目を覚まして泣くようになる。しばしば泣くような状態になるのは、母乳の分泌量が不足している場合に多い。そのときには、母乳分泌を促進する努力を続け、生後2か月までは母乳で育てたい。分泌促進のためには、乳房のマッサージなどがよく、母親も栄養を十分にとり、疲労しないように生活を設計すること。それには父親の協力が必要となる。
 生後7日ごろまでは、排尿は1日に15~25回、排便は1日に数回。とくに生後2~3日は、黒くてにおいのないねっとりとした大便を排出する。これを胎便といい、母体内にいるときにためていた消化液や胆汁でできており、胎内で飲んだ羊水も含まれている。母乳を飲み始めるとだんだんに黄色くなり、1週間もすると胎便はすっかり排出され、黄色の便になる。
 なお、睡眠中に振動や大きな声の刺激を受けると、身を反らせ、両手をぱっと広げる運動をする。これを「モロー反射」とよんでいるが、生後2~3か月で消失する。健康な子供に現れる。
 未熟児については、特別な養護が必要となる。かつては出生時の体重が2500グラム以下の子供を未熟児とよんでいたが、非常に元気がよく、哺乳も盛んな子供もいるので、現在では出生時体重が2500グラム未満の新生児は低出生体重児とよんでいる。現在、未熟児とは、胎外生活に適応できる成熟度を備えていない新生児という意味で使われる表現である。未熟児は、保温と感染防止に努める必要があり、栄養を与えるときにも、専門家による援助が必要となることがある。しばしば保育器が用いられる。[平井信義]
乳汁期
生後6か月までの、もっぱら乳汁によって発育する時期であり、この間に体重は出生時の約2倍となる。その間、乳児が空腹を感じて泣いたときに授乳する方法、つまり自律授乳が望ましく、母乳が十分に分泌されていれば、1回の授乳時間は15分前後であり、1日6~8回の授乳回数となる。生後2か月ごろから母乳分泌が悪くなる母親が多いが、それは多忙のための疲労によることが多い。
 十分に哺乳し、よく眠る乳児は、体重の増加が平均値に達しなくても、心配する必要はない。小柄であったり、やせている乳児もいて、それが発育の「個性」といえる場合が多いからである。もし、太った子供にしようと、焦って乳汁を強制的に与えると、とくに人工栄養の場合には、ミルク嫌いになることが少なくない。また、哺乳瓶で飲ませる場合にも、かならず抱くことが必要である。首がよくすわっていない生後3か月前後までの乳児は、かならず首の後ろを支え、首がすわってきたら両わきを抱えるようにして、乳児がもっとも楽しく抱いてもらえる状態になるようくふうがいる。抱かれることは、乳児にとっては情緒の安定に役だつ。
 入浴は、乳児にとって快い状態になる場である。湯の温度は、冬ならば40℃、夏は1~2℃低いほうが気持ちがよい。初めは乳児用の用具を用いたほうが安全であるが、首がすわる3、4か月以後には一般の浴槽を使うことができる。顔は別の洗面器の湯でガーゼなどを用いて洗い、目は2%のホウ酸水を浸した脱脂綿でふき、鼻や耳は綿棒にオリーブ油をつけて軽く回しながらふく。
 入浴後には水分を補給すると喜ぶ。水分は、そのほかのときにも注意が必要で、のどが乾いたようすがみえたときには随時与える。水分が不足すると、中毒症状をおこすことさえある。
 乳児の衣類で重要なものは、まず、おむつである。おむつは20~30組を用意し、「おむつかぶれ」をおこさないようにしたい。おむつがぬれていると、それについた細菌が増えてアンモニアをつくり、かぶれが生じやすくなる。紙おむつも品質が改良されており、使いやすい。おむつカバーは、毛糸やフランネルでつくられているものを5、6枚は用意する必要がある。ビニル製のものはできるだけ避ける。そのほか、肌着はガーゼまたは薄いメリヤス製のものを5、6枚。秋から冬にかけては、メリヤス長着、毛糸チョッキ、おくるみまたは毛布などが必要となる。夏はできるだけ薄着にして、あせもを予防したい。よだれ掛けは5、6枚用意する。
 日光浴と外気浴とは、ビタミンDを体内につくり、骨の発育にはきわめて重要であるから、つとめて実施したい。初めは体の一部を日光に当てるが、だんだんに全身に及ぼす。慣れれば30分間の日光浴ができるようになる。帽子をかぶせて、直射日光が目に当たらないようにする。普通のガラスは紫外線を通さないから、日光浴の効果は期待できない。冬季には戸外に連れ出しにくくなるが、1日1回は外気浴のために戸外に連れ出したい。くる病の予防のためである。[平井信義]
離乳期
離乳は、歯が生えることとは無関係に始めてよい。1歳を過ぎないと、かむ機能は発達しないからであり、乳汁のみでは栄養が不足してくるからである。
 3、4か月から果汁やスープなどを与え、乳汁以外の味にすこしずつ慣らしていく。喜ぶようであれば、5か月ごろから衛生ボーロなどを口に入れてみる。離乳食は、最初は1日1回、授乳前の空腹のときに一さじ与えてみる。その際には、味を薄めにし、温度も母乳に近いようにする。粒を嫌う子供もいるから、すりつぶして、どろどろにしたものがよい。喜んで口を出すようであれば、離乳は順調に進む。もし嫌がるようすがみえたならば、1~2週間は乳汁に戻しておき、ふたたび試みるとよい。厳密に量や時間にこだわらずに、子供が喜ぶ状態をみて、離乳を進めてよい。だんだん大人の献立のなかで離乳食として使えそうなものを取り出して、スプーンなどでつぶして与えるとよい。できるだけ食品と調理法の範囲を広げるように心がけ、味に慣らすことが、離乳期の育児には必要である。
 乳児期を通じてもっとも注意しなければならない点は、食べ物と食器に、下痢をおこすような有害な細菌などをつけないようにすることである。これらは目にはつかないから、殺菌のための一般的な方法、つまり食器類は消毒し、食べ物には火を通すことがたいせつである。乳児用の食器を別にし、管理の場所も決めておくとよい。哺乳瓶については、飲み残したミルクは早く洗い流す。ミルクは細菌などにとって繁殖のよい場になるからである。その他の食器も、ハエなどが止まったりするおそれから、熱湯消毒をするくらいの注意が必要である。また、調乳や調理にあたる者の指にけががあり、それが化膿(かのう)している場合には、調乳や調理をやめるか、ゴムなどの手袋を用いることが必要である。
 なお、感染症等の予防に対しては、予防接種をきちんとしておく。[平井信義]

心の発達


 心の発達については、(1)情緒の発達と安定、(2)自主性の発達、(3)適応能力(社会性)の発達、(4)知的能力の発達、の四つの柱について考える必要がある。これらを人格構造のなかで考えてみると、もっとも重要な人格の基盤は情緒の発達と安定であり、それが未発達であったり不安定であると、さまざまな異常行動となって現れてくることがある。また、思春期になるまで潜在していて、思春期以後になって突発的に異常行動を現すことがある。[平井信義]
情緒の発達と安定
乳児期の初期、すなわち新生児期において、すでに視覚や聴覚の認知能力があるという研究もあるが、情緒からすれば、快、不快、怒り、恐れの原始感情の働きが主である。原始感情とは、ほかの動物にも存在する心の動きといえる。
 乳児がもっとも人間らしい情緒を表現するのが、2か月前後の微笑である。この微笑は、乳児が眠っているときにも現れるので、先天的な反応と考えることができる。しかし、その微笑はきわめて魅力的であるので、母親をはじめ家族の注目を集める。目覚めているときにこの微笑が現れると、それを見たくて、周囲の者はさまざまな刺激を与えるであろう。それが、「あやす」という養育行動である。あやされることを知った乳児は、あやし方が気に入れば、微笑反応を繰り返すし、だんだんとあやしてもらうことを期待するようになる。これが、情緒的な人間関係のスタートである。乳児にとってあやされることの楽しさを味わうことができるようになると、情緒が安定し、表情も豊かになってくる。
 一方、乳児は泣くことによって、不快感を表現する。その不快感には、空腹や眠気や痛みなどの原因があるが、原因に沿って不快感を取り除いてくれる大人に対して、信頼感情をもつようになる。とくに抱いてもらうことはスキンシップの成立を意味し、泣いていても抱かれれば泣きやむなど、乳児にとっては情緒の安定に役だっている。
 泣いても、それに応じて適切な扱いをしてもらえない場合には、初めは激しく泣いて訴えるが、ついには泣かない乳児になる。それはおとなしい子供のようにみえるが、情緒の発達が止まった状態であり、表情にも乏しく、ついには周囲にいる人々との関係をもとうとする意欲を失う。情緒的な関係は成立しない。これがホスピタリズムの症状であり、古い時代の乳児院には、この症状をもっている乳児が、たくさんいた。そのような乳児は、頭を前後に振ったり、体を左右に揺すったり、頑固に指をしゃぶったりするなど、癖にふけるようになる。乳児院では、保母を採用したりして、乳児をあやしたり乳児と遊んだりすることを多くする努力を重ねてきた結果、ホスピタリズムの症状をもっている乳児が著しく減少した。ところが家庭において、親から放置されている乳児に、ホスピタリズムの症状が現れ始めている。しかし、おとなしい子供であるために、むしろ順調に育っている子とみなされていることがしばしばある。
 母子間の情緒的関係が成立している子供、つまり十分にあやされたり抱いてもらうことのできた子供は、生後6か月から8か月にかけて「人見知り」が現れる。それは、視覚の発達に伴って、親しい人、信頼できる人と、そうでない人との区別がつくようになるからであり、後者を恐れて母親にしがみつく。しがみつくという行動は、母親に対する信頼感の表現である。その後、子供が社会的な経験をするなかで、だんだんと恐ろしい人と信頼できる人とをより厳密に区別することができるようになり、人見知りは減っていくが、3歳前後までは人見知りがかなり強く残り、とくに初めての場所で初めての人に会ったときに著しい。それゆえ、人見知りをしない子供がいれば、親子間の、とくに母子間の情緒的関係が成立していないとみてよく、情緒の発達は遅れ、情緒の不安定はしだいに強くなると考えてよい。
 とくに1歳半から2歳半にかけては、親子間の、とくに母子間の情緒的関係が緊密となり、子供は母親に対して体で甘える。なんらかの不安があったり、疲れたり眠くなったりしたときには、母親の膝(ひざ)を求めてくる。それを受け入れることによって子供の情緒は安定し、母親の温かいイメージが心に刻み込まれる。とくに夜間において親のふとんの中にもぐり込んできて、添い寝を求める。それを受け入れることによって子供は安眠する。なんらかのことで、母親がいなくなったという不安を子供に与えると、子供は母親の後追いをする。たとえば、子供が遊んでいる部屋にいっしょにいたときに、黙ってトイレに立ったあとなどにおきる。夢中になって遊んでいる子供は、母親が立ち去ったことに気づかない。ふと遊びから解放されて、母親の膝にのろうと思ったときに、母親の姿が見えなくなっていたということになれば、子供には心理的なショックがおきる。いつ母親が見えなくなるかもしれないという不安感から、子供は母親の後追いをするのである。そのときには、たびたび子供を抱き締めて、不安感を取り除く必要がある。
 また、なにかにつけて身の回りのことを母親にやってもらいたがり、「ママでなければだめ!」と言い張るし、自主的にできるはずの生活習慣でも、甘え声で母親にやってもらおうとすることがある。そのときには、その要求に応じることによって、子供の情緒は安定するし、母親の温かいイメージは、ますます強く子供の心に刻み込まれる。母親に対する信頼感があれば、親離れをしない。年齢が高くなるにつれて親思いにもなるし、他人への思いやりの心も少しずつ芽生えていく。
 情緒が安定している子供の表情は豊かであり、明るい。そして、3歳から4歳にかけて、友達と遊びたい気持ちが強くなり、友達が与えられると、夢中になって遊ぶ。ただし、そうした友達との遊びは、次に述べる自主性の発達が実現されていることが、たいせつな条件となる。
 とくに4歳から6歳にかけては友人形成期である。友達と遊ぶことを楽しむ。しかし、自主性は発達に基づく自己主張をするから、同じように自主性の発達している友達とけんかを繰り返す。けんかとは、相手と対等に争うことであり、弱い者いじめとは違う。けんかをしながらも、仲良く遊ぶ方法を少しずつ考え出すようになる。そのほうが楽しく、遊びをともにすることができるからである。自主性が発達していても、情緒の安定していない子供は、友達が与えられても、楽しく遊ぶことができないことが多い。それは、友達との遊びに打ち込めなかったり、友達に意地悪をしたり、いじめたりするからである。そのような子供には、3歳未満において、親子間の情緒的関係が十分でないことが多い。スキンシップが不足していたり、親子で楽しく遊ぶことが少なかった結果である。その点が明らかになれば、親子間のスキンシップを多くし、親子でいっしょに遊ぶ機会をつくる。子供の情緒が安定してくるに伴って、友達と楽しく遊ぶ子供に変わる。
 幼児期後半において友人形成の能力が発達しないと、その後においてよい機会に恵まれない限りその能力は停止し、孤独となり、思春期以後の危機を招く要因ともなる。その後のよい機会とは、小学校2年生から4、5年生にかけてのギャング・エイジに、友達と活発に遊ぶ機会に恵まれることである。[平井信義]
自主性の発達
自主性とは、自分で考え、自分で行動を選び、他人に頼らずに行動する力である。自発性とも主体性ともよばれている力がその要素であるが、一方では、自分で欲望を統制する能力、すなわち自律性とも自己統制ともいわれている能力の発達を必要としている。さもないと、自分本位の行動が多くなるからである。
 自主性は、乳児期においても、ひとり遊びに現れているから、ひとり遊びを楽しんでいるときには、それを十分に尊重する必要がある。ただし、ひとり遊びに飽きて、相手をしてほしいと要求したときには、あやしたり抱いたりすることが必要であり、それによって情緒の安定が可能となる。
 自発性がはっきりと現れてくるのは、はいはいなど身体の移動が可能になってからである。移動していった先々で、そこにある物をいじり回したり、口に入れたり、破ったり壊したりする。これを大人たちは「いたずら」とよび、悪戯という漢字をあててもいるが、児童心理学では「探索欲求に基づく行動」(探索行動)と名づけている。探索欲求とは、大人でいえばまさに研究心であり探検心である。子供にとっては、自分の回りにある物すべてが興味や関心をひき、好奇心の対象となるから、それに触れ、いじり回し、その物の実態を知ろうとする。このいたずらの多くが許容されることによって、子供には意欲が盛んになる。すなわち、さまざまなことに挑戦してみようとする。いたずらをされることによって、大人たちは被害を受けることになるが、そのときには、困っていることを子供に情緒的に訴えることが、子供の自己統制の能力を育てることになる。情緒的な関係が成立してさえいれば、情緒的に訴えれば、その気持ちをくむことが幼い子供でも可能であり、相手が困るような行動をしたことを理解する。そして、相手が困るようなことをするまいとは思うが、好奇心のほうが盛んであるために、いたずらはさらに続いていく。4~5歳の友人形成期においては、友達といっしょになっていたずらすることを楽しむ。それは、学童期のギャング・エイジにおいてもいえることである。思春期以後になると、教師や友人に対していたずらをして楽しむ。
 2歳までにいたずらを許容されることの多かった子供は、2歳から3歳の間に第一反抗期に入る。なにかにつけて「イヤ!」といって反対し、「自分でする!」といって親たちの援助を拒否する。そうした自己主張を許容されると、自分でできることと、援助を求めなければならないこととの区別が、しだいにつくようになる。そして、第一反抗期を通過する。しかし、その間、とくに2歳半から3歳にかけては、自分でやろうとしたことに手をかけられるようなことがあったり、自分で始めてはみたがうまくいかないときなどには、しばしばかんしゃくをおこして、家族を不安にすることがある。そのときに家族がいらだったりすると、いっそう興奮する。したがって、子供のかんしゃくが治まるまでじっと待っているか、おどけたりふざけたりして気を紛らわすよりほかに方法がない。
 反抗期の状態が著しかった子供でも、3歳になると情緒が安定してくる。とくに、3歳までの母子関係が順調であり、基本的に情緒が安定している子供には、母親を援助する行動さえも現れてくる。そして、4歳までの間に、友達を求める気持ちが強くなり、友達と遊ぶことの楽しさを味わうようになる。いかに、情緒の安定に支えられて自発性が発達することが、社会性の発達に大きな意味をもっているかがわかる。
 とくに友人形成の能力は、学童期においても必要であり、また思春期以後において大きな役割を演ずる。それは、思春期は精神的離乳の時期ともいわれているように、親では解決のできない問題を抱え込むが、そのときに援助の役割を担ってくれるのが、友達であるからである。友達のいない子供は孤独となり、自発的に解決しなければならない問題の前に立たされて、身動きができなくなる。その結果、家庭に逃避するのが不登校であり、体に逃避するのが心身症児であり、こだわりに逃避するのが神経症児であり、自殺する子供は死に逃避しているのである。
 思春期以後になって問題をおこす子供の生育史を詳しく調べてみると、すでに3歳未満においてその萌芽(ほうが)が認められる。それは、自発性の発達がすでに抑圧を受けている状態である。第一に、いたずらが少なく、あるいはいたずらをまったくしていない。本来の探索欲求はなんらかの圧力によって抑圧されてしまっている。その圧力は、いたずらを悪い行為として、しかっていることを意味する。おとなしくしていることに対して「よい子」と評価することも、その枠組みから抜け出ることのできない子供に束縛しているのである。幼いころに年寄りと同居していたために、おとなしくて行儀のよい子にされた子供が少なくない。それによって、玩具(がんぐ)などの褒美が与えられていることも多い。いたずらをしない、おとなしくいうことを聞く子供には、2歳から3歳にかけての第一反抗期が現れていない。つまり、自己主張のできない子供になっており、自発性の発達は著しく遅れてしまっている。このことは、思春期以後になって不登校をおこした子供に、中学生や高校生とは思えないような幼稚な行動が現れることによってもわかる。
 自発性の発達が遅れている子供のなかで、大人にとって扱いやすい幼児、それゆえに誤って「よい子」と評価されている子供は、4歳以後になってたとえば幼稚園に通園するようになっても、友達と夢中になって遊ぶことができない。友達とけんかもしないのは、自己主張をする能力が遅れているか、けんかをする子は悪い子――と大人にいわれたことに対して服従している状態である。その結果、友人形成の能力は育っていない。
 このような子供の親には、命令的な圧力によるしつけが多く、自分の考えた「よい子」の枠組みのなかに、子供を押し込めるようなしつけをしている。この種のしつけを、支配とも過干渉とも名づけている。このような親は、子供の自発性がどのように発達するかについての勉強を怠っているか、勉強をしていても、世間の目を気にして、それを実践していないのである。
 子供の自発性の発達には「自由」が必要である。自由を子供に与える際に、放任になったのでは、まったく自由の本質を履き違えていることになる。日本では、一般に識者といわれる人でも「自由放任」などという者がいるが、「自由」と「放任」とは、むしろ対立概念である。自由を子供に与える大人は、それによって責任の能力をも育てているのであって、大人の側でも、子供に責任の能力が育っているかどうかの確認が要請されているから、子供の行動から目を離してはいないのである。
 一方、自発性の発達を阻害する育児には、過保護がある。過保護とは、その年齢の子供であれば当然自分の力で実現できる行動であるのに、それを子供に任せずに、大人が手を貸している養育態度である。すでに1歳前後になれば、自発的に食事を一人でしようとする。それに任せてみると、手づかみにしたり、こぼしたり、食器をひっくり返したりして、その後始末がたいへんになることが多い。それを嫌がる親たちは、スプーンを使って子供に食べさせている。子供は、自分の口をあける経験しかできず、経験量が少ないために、保護をしてくれる大人のいない所では、著しく不安になることがある。その不安が嫌で、外すぼみ(引っ込み思案)となる。その結果、意欲もまた乏しい子供になる。
 過保護な親は、第一に、子供を弱い存在としてみており、保護をしなければ子供は育ちにくいと思っている。そのような親は、自発性に乏しく、自分を弱い者と認識していることが多く、親自身も外出を嫌っていることが多い。第二には、完全欲求の強い親の場合に、結果として過保護になっていることが少なくない。家の仕事などを子供に任せてみると、失敗したり能率が悪かったりする。それを嫌って、子供にさせようとしなかったり、子供から自発的行動を奪っていることさえもある。親自身で家事をしたほうが能率的であり、完全に近い状況を守ることができるからである。このような親は、子供の衣服の着替えを全部自分でやってしまったり、排便後のお尻(しり)をふいてやったりしており、そうした養育態度が幼児期の後半においても認められる。子供自身も、家族に手を貸してもらったほうが楽なので、手を借りる態度が身についてしまう。その態度はすでに1歳のころから始まっているので、2歳から3歳にかけて現れるはずの第一反抗期の状態が現れない。つまり、「自分でやる!」という自己主張が現れない。そのほうが親たちにとっても事が能率的に運ぶので、過保護はますます募っていく。その結果、生活習慣の技術も獲得できない。たとえば、衣類の着替えなども親たちがしてくれるままになっているし、鼻汁が出ても顔を突き出せば親たちがふいてくれるし、朝の洗顔の際に自分で洗わなくても親が手拭(てぬぐい)でふいてくれる、といったぐあいである。
 過保護を受けた子供は、家庭外に出ると急に不安になる。それは、自発的に行動しなければならない状況に置かれるからで、経験の乏しいことによる不安は増大する。そのような子供は、幼稚園などに通い始めても、親の手を離そうとしない。なかには登園を拒否する子供さえも現れてくる。そのような子供が、家庭にいるときにはきわめて元気がよいのは、不安なく生活できるからである。これが、「内弁慶(うちべんけい)の外すぼみ」といわれている状態である。
 この状態から解放して、友達とともに生き生きと遊ぶことのできる子供に変えるためには、家庭において順序よく過保護を取り除く努力をしなければならない。その点で、過保護に気づいていない親もいるから、1日の生活のなかでどのように養護にあたっているかについて詳しく聞く。とくに幼稚園の保育者にはそのことが必要である。その際、さらに、生活のなかで子供が「できる」ということと、「自発的にする」ということを区別して考えなければならない。能力はあっても、母親に声をかけられて「できる」という場合には、自発性は育っていないのである。
 なお、友人形成を妨げる育て方に、溺愛(できあい)がある。溺愛とは、子供の言いなりになって、物質的、金銭的欲望を満たしている育て方であり、そのほかの生活面でも子供の言いなりになっていることが多い。溺愛を受けている子供には、自己統制の能力が育っていない。つまり、自分本位であり、わがままである。友達と遊んでいても、自分本位に行動することが多いので、友達から嫌われてしまうことになる。子供自身も、自分の欲望が満たされないような幼稚園や保育所での生活はおもしろくない。その結果、初めは元気よく通園していたのに、だんだんに通園を嫌うようになる。そして、家庭において家族の者を思うままに支配している。それは、結果として過保護にもなっているから、社会的適応はいっそう困難となる。育児にあたっては、子供の欲望を統制する力を育てることが、非常に重要である。
 欲望を統制する能力は、菓子などを欲しがっても、決められている時間まで「待ち」、玩具なども決まった日(誕生日や正月など)まで「待つ」ことができるように、親や、家族が協力しあって、子供に泣かれても騒がれても、毅然(きぜん)とした態度をとることによって育つ。泣かれたり騒がれたりすると、ついうるさくなって、あるいは子供の要求に負けて、菓子や玩具を与えてしまうようなことがあり、それがたび重なると、子供のわがままは高じていく。泣いたり騒ぎさえすれば自分の欲望が達せられることを学習するからである。
 ただし、ものをねだらない子供には危険性がある。ねだらない子供はよい子のようにみえるが、自己主張のできない子供であり、自発性の発達は遅れているといえる。それゆえ、欲しいものははっきり「欲しい」ということができ、しかも「待つ」ことのできる子供に育てることが必要である。つまり、自発性とともに自己統制の能力を育てる育児が必要である。[平井信義]
適応能力(社会性)の発達
適応の能力は、とくに家庭外における集団のなかで、いっしょに楽しく生活するための力である。幼児の場合、幼稚園などで友達といっしょに生き生きと遊ぶことができれば、適応の能力は育っていると評価してよい。この適応の能力は、情緒の安定と自主性の発達によって支えられていることは、すでに述べたとおりである。集団生活に適応できない子供は、情緒が不安定であるか、自発性の発達が遅れている可能性がある。
 さらに適応能力を増進するために、二つのことを付け加えておく。その一つはお手伝いであり、もう一つは広いつきあいである。
 親たちの手伝いをしたい気持ちは、子供が歩行し始めたころに、すでに現れてくる。それは、親が机などを運んでいると、それをいっしょになって運ぼうとする。しかし、運び方もよく知らないし、力もないので、親たちにとってはかえってじゃま者となる。そこで「あっちへ行け!」と子供を追い払うことになりがちであるが、こうした親の態度は、お手伝いをしたいという子供の意欲に圧力を加えるものである。それがたび重なると、お手伝いを頼んでも、それに協力しない子供になっていく。そこで、子供がお手伝いをしたいという意欲が生じたときに、親たちにとってはじゃまであっても、なんらかの役割を与えて、参加する機会を与えることが必要である。そして、その作業が終わったあとで、「ありがとう」といった感謝の気持ちを表明することによって、子供は協力したことの喜びを味わうことができるし、だんだんに、どのように協力すれば家族が喜ぶかを学んでいく。
 その点で、完全主義の親には、子供の参加によって仕事の能率が悪かったり、できばえがよくなかったりするのを嫌う人が多く、子供にお手伝いの機会を与えなかったり、奪ったりしている。その結果、家事の経験がほとんどないままに思春期になっている子供が少なくない。このような子供は、思春期以後に家庭外での生活が多くなると、不安が強くなる傾向がある。外出を嫌い、家庭に逃避することもある。家事には、食事の用意や洗濯も含まれる。子供にその機会を与えてみると、危ない手つきで包丁を使ったりもするが、だんだんに上達して、食事の用意ができるようになる。その自信は、家庭外での生活を容易にする。不安や緊張が少ないからである。
 その点で、父親が男の子の悪いモデルになっていることがある。家事に参加しようとせず、ごろ寝しながらテレビ見物という状態であったり、縦の物を横にもしないし、母親をあごで使っているような父親の姿は、男の子から、家事に参加する意欲を奪ってしまっている。母親にも、男の子を家事に参加させたくないと思っている者がいる。そのような両親に育てられている男の子には、勤労意欲は育たない。幼稚園などの集団生活のなかでも作業に協力しようとしない。育児にとって必要なことは、親たちが協力しあって家事を実施することであり、それに子供の参加を期待し、機会を与えることである。
 お使いもまた、子供に社会的経験を与えるためのよい機会であり、子供は金銭の価値やその使い方をも学習する。社会的経験の豊かな子供は、家庭外での生活にも不安や緊張を感じることが少ないから、そのような生活にも積極的である。これらはすべて、自主性の発達のなかに組み込まれる。
 なお、対人経験もまた適応能力の発達に関連がある。つまり、来客が多かったり、親類とのつきあいが盛んであったりすると、子供はいろいろな性格の人々に接することができ、子供なりの判断力が生じ、それが発達するから、思春期以後になって、対人恐怖に陥ることが少ない。対人恐怖になった中学生や高校生の生育史を詳しく調べてみると、父親も母親も他人とのつきあいを好まず、家庭に来客が少ないし、他家への訪問もほとんどしていない。それが、母親に原因のあることもあり、父親が原因で、母親がそれに同調してしまったという例もある。そのような親のなかには、子供が友達を連れてくるのを好まなかったという者があるし、その原因が他の家族にあったという例もある。したがって、幼いころから友人形成の能力が育っていなかったり、初めはよく友達と遊んだが、だんだんと友達とのつきあいが少なくなったという例もある。その結果、思春期以後には孤独になり、さまざまな問題をおこしている。子供の対人経験を豊かにするような努力が親や保護者には必要である。[平井信義]
知的能力の発達
知的能力は、情緒の安定を基盤として、自主性の発達を援助し、意欲を盛んにすることによって、子供自身の力で伸ばしていく。とくに、家事に参加し、お使いなどをすることによって、体験学習が積み重ねられていくと、知性が輝き出る。
 現在、知能といわれている多くは、知能のなかの記憶の部分との関係にすぎない。文字や漢字を覚えたり、数を覚えたりすることが、それである。知能のなかの創造性などはまったく無視されているといってもよい。創造性は、自発性が発達することによって発揮される。それは、これまでになかったものをつくりだす力であるから、親に教えられたことをそのまま覚えることに慣れてしまった子供は、創造性の発達が阻害されるケースが多い。その意味で、子供が自発的に考え出した遊びは非常に大きな意味をもっている。それゆえに、幼児教育のなかでは「遊び」をたいせつにしてきたし、子供が自発的に遊ぶことのできる環境を与えることに努力してきた。幼稚園や保育所で「自由遊び」をたいせつにする意義は、子供の自主性と創造性を伸ばす目的をもっているし、友達と協力しあって「遊ぶ」ことは、社会性の発達にもよい影響を与える。それに反して、強制的に何かを覚えさせることを親がするならば、そのときには覚えるかもしれないが、自主性の発達に圧力を加えていることになり、年齢の増加とともに学習意欲を失ったり、思春期になって強い挫折(ざせつ)感をもつ子供になる。
 自主性が発達しているかどうかを検討するには、すべての行動を子供に「任せる」ことをしてみるとよい。いっさい口を出さず、手を貸さずに、子供のすることを観察するのである。そのときに、子供が、いたずらをも含めて次々と遊びをつくりだし、生き生きと活動するならば、自主性が発達しているとみてよい。ところが、親たちが「〇〇をしなさい」といわない限り、ぼんやりしていたり、うろうろしている行動が目だつならば、自主性の発達は非常に遅れているとみてよい。実際、幼稚園や保育所でも、自由遊びをたいせつにしているところでは、自分で遊びをつくりだせないうろうろ型やぼんやり型の子供がすぐにみつかる。ところが、先生が次々と課題を与え、それをやらせているところでは、そういう現象ははっきりしない。ただ、そのような園では、自主性の発達している子供が、先生の与えた課題に従わず、自主的に遊ぼうとすると、誤って「悪い子」と評価することがある。
 知的に優れているように思えても、自主性の発達が遅れていれば、やがて挫折する可能性があるから、1日、あるいは1週間続けて、子供にすべてを任せてみて、どのように行動するかを観察してみてほしい。その際に、いっさい口を出さないこと。子供が「どうしたらいいの?」と聞いてきたならば、「自分で考えてごらん」と答えることを守る。もし、自主性の発達が遅れていることがわかったならば、知的な面での学習をすべてやめて、子供に「遊ぶ」機会を十分に与えよう。生き生きと遊ぶことができるようになったならば、自主性が発達したことになる。[平井信義]
褒め方・しかり方(しつけ)について
褒め方・しかり方については、これまで多くのことがいわれているが、褒める心やしかる心についてきちっとは考えられていない。とくに、しかる行為は、権力のある者が弱い者に対するときに用いられる方法であるだけに、権力的な圧力によって子供を服従させることになりかねない。しかも、しかる場合には、怒りという原始感情が伴っていることが多く、さらには憎しみといった非教育的な感情が動いていることさえもある。そのことを、親のなかにははっきり表出する者がいる。「この子ったら、憎ったらしいったらありゃしない!」がそれである。こうした感情を戒めて、心理学者のなかには「理性的にしかりなさい」などと述べている者がいるが、理性的になれば怒りや憎しみの感情などはおきないし、しからずに静かに話をすることができる。それゆえ、「理性的にしかれ」というのは、きわめて滑稽(こっけい)な戒めというよりほかはない。
 どのようなときに親たちは子供をしかるのであろうか。一言でいえば、自分の思いどおりにならないときである。いたずらをされては困ると思っていたものを子供にいたずらされたとか、すぐにしてほしいのに子供がそれをしなかったというときである。「親の思いどおり」という点について考えると、それがかならずしも正しいとは限らない。子供の心理的発達について勉強していない親たちは、発達上に当然現れるはずの行動、たとえば「いたずら」や「反抗」を悪いこととしてしかっている。親のいうことに服従していたばかりに、自主性の発達が遅れ、問題児になってしまうという例は非常に多い。
 また、生活習慣の自立を急いだり、完全主義の親たちが、子供をしかることが多い。それは、子供のすることが下手であったり、もたついていることを許容することのできない狭い心の持ち主であったり、子供の世話から早く逃れたい気持ちが動いていたりして、結局は自分本位の親ということができる。子供の発達は、右に揺れ左に揺れながら実現されていくもので、その間にはさまざまな試行錯誤の状態があり、能率の悪い状態がしばしば現れる。おおらかな心の持ち主の親であれば、それらを許容できる。したがって、しかることは少ない。
 さらには、子供好きでないのに、子供を産んでいる親たちがいることについても考えてみなければならない。そのような親は、子供に対する「思いやり」が少ない。それを逆にいえば、自分本位である。自分本位の親は、自分の思っていることと違った行動が子供に現れると、たちまち子供をしかったり、たたいたりする。親に愛されていないと感じる子供は情緒が不安定になり、それが原因でさまざまな扱いにくい行動を現すようになるが、さらにそれをしかったり、たたいたりしている。このことは、親が原因で苦しみ悩んでいる子供をさらにいじめていることになる。ますます問題をこじらせることになり、思春期以後になれば、家出をしたり非行に走りたくもなる。
 以上のことを考えて、筆者は1958年(昭和33)ごろから「しからぬ教育」を提言してきた。そして、意欲を育てながら思いやりを育てれば、あとは親のよい後ろ姿を示すことによって「しつけ」が実現されるという結論になった。意欲は自主性の発達に伴って盛んになるが、その発達途上においては、いたずらや反抗となって現れる。とくにいたずらのなかには、親たちにとって困るようないたずらが少なくない。そのようないたずらをされたときには、しかるのではなく、それによって困っているという情緒的な訴えをすればよい。情緒的な関係の成立している親子の間では、子供は親のまなざしや表情から、その困っている気持ちをくみ取る。このことは、すでに1歳前後から可能になる。そして、同じいたずらはだんだんにしないようになるが、しかし、好奇心の強い子供はいたずらを繰り返すことになる。いたずらを繰り返しながらも、だんだんに「いたずらをしたら、親が困るのではないか」と考えるようになる。それが「思いやり」の心の芽生えである。そして、「これをいじってもいい?」と聞いてからするようになる。これが自己統制の能力である。
 ところが、親にしかられていたずらをやめた子供には、自己統制の力は育たない。怖い人がいるからいたずらをしないだけであって、権力によって圧力を加える人がいなくなると、手綱が緩んだように悪いいたずらをする。つまり、自分の行動の基準が他律的であるから、他人が見ているかいないかで行動を変えてしまう。また、しつけをする際に、「〇〇が見ていますよ」とか「〇〇に笑われますよ」といった他人の目を気にするようにしつけをした場合にも、自己統制の能力は発達しない。その結果、中学生や高校生になって体力がついてくると、無軌道な行動に走るようになる。無軌道というのは、自己統制の能力が発達していないことを意味する。その原因は、親たちが権力による命令的な圧力によって子供をしつけたり、世間の目を気にするようなしつけ方をしたからである。しかも、親子間の情緒的な関係が成立しておらず、「思いやり」の心が育っていないのである。
 思いやりとは、相手の立場にたって考え、相手の気持ちをくむ力である。子供の「思いやり」の心は、「思いやり」のある親や先生から「思いやり」の豊かな扱いを受けることによって発達する。思いやりのある親や先生は、子供の立場にたって考え、子供の気持ちをくむことができるから、子供をしかることが少ない。しかる気持ちにならない。
 このように考えると、子供をしつけるにあたって、どの点がもっともたいせつかといえば、思いやりのある親になる努力をすることである。その第一歩は、子供をしかってしまったあとで、それが思いやりのなさから生じたことではないかと反省してみることである。そうした反省を繰り返していくうちに、だんだんにしかることの少ない親に変わっていく。
 なお、しつけには型があり、その型を教える必要がある。行儀のよくない行為をしている子供に、親自身が「こうすればりっぱだろう」とか、「それは、ほかの人が困る」などと提案する必要がある。しかし、その提案に対して子供がただちに応じることを期待してはならない。性急な期待は、それに服従しない子供に対して、権力による圧力を用いたくなり、しかることになる。提案を繰り返しながら、親がよいモデルを示してさえいれば、子供はそれになじんでいく。
 もっとも重要なのは、親の後ろ姿、すなわち行動のモデルである。たとえば、父親がごろ寝しながらテレビ見物をしている姿や、母親をあごで使うような姿は好ましくない。そうした姿を示している父親には、子供のしつけをいう資格はない。また、母親が他人の悪口をいいながら、子供に対して友人の悪口をいうななどという資格はない。そうはいっても、親もまた不完全で未成熟な存在である。子供に知られたくないような気持ちも動く。そうした未成熟な存在であるだけに、子供から欠点を指摘されたときには、謙虚になることである。「お母さん、悪かったね」と謝ることをたび重ねてもよい。そうした謙虚さは、人格としては尊重されるべきものであるし、子供にも反省の能力が育っていく。「子から学ぶ」といわれているのは、この点を言い表しているのである。この点でも、思いやりの心が関係している。それは、親を非難したくなる子供の気持ちを思いやることができるからである。[平井信義]
家族関係
「思いやり」のある母親であり父親であれば、それぞれが相手の立場にたって考え、相手の気持ちをくんで「いたわり」の行動をすることになるから、醜い争いなどはおきない。しかも、それぞれが自分を充実させる生活をも実現していくであろう。それは相手の立場をも尊重するからである。思いやりのある親たちは、子供に対するときに、子供の立場を考え、子供の気持ちをくんで行動するから、子供の情緒は安定しており、表情も豊かである。しかも自主性が発達しているから、生き生きと活動する。ぼんやりとしていたり、うろうろしていることはない。
 母親と父親の間で争いがないようにみえていても、2人の間に気持ちの結合がないときには、母親には潜在的な不安が生じ、それが子供に反映することが少なくない。それは、父親が、「おれのいうことを聞け」といった権力的な人格の持ち主であり、それに母親が屈従している場合である。母親のほうから父親に向かって意見をいうこともできないし、自分の気持ちを打ち明けることもできない。もう一つの場合は、「家事、育児はお前に任せた」といって、自分かってなことをしている父親の場合である。とくに子供のことで相談したいことがあっても、取り合ってもらえないことから生じる母親の不安は大きい。父親に女性問題が絡んでいるときには、母親は混乱状態に陥り、それが育児を混乱させていることもある。その結果、子供にさまざまな問題行動をおこさせていることがある。そのような問題が子供におきると、母親に協力しようとせずに、「お前の育て方が悪い」と母親を非難する父親となる。母親は、子供と夫との板挟みになって苦しみ、子供の問題はさらに深刻となる。原因の多くは、そうした父親にある。
 姑(しゅうとめ)と嫁との間の葛藤(かっとう)も、一昔前よりは少なくなったとはいえ、今日もなお、年寄りと同居している場合の嫁は、年寄りに対して「気がね」の多い生活をしている例がしばしばある。その際の大きな問題は、年寄りと若い夫婦とが生活をはっきり分離していない点にあり、分離が実現されれば、気がねなしに生活する面が大きくなる。しかし、問題は、年寄りの意識にあり、当然嫁が奉仕するものと、タテ社会の考え方をもっていたり、外孫(そとまご)と内孫(うちまご)の差別をしたり、嫁の悪口をいうなど、前近代的な意識から出発していることが少なくない。これは、夫に仕えるだけの生活に終始していたために、狭い生活経験しかもっていなかったことにも原因があるから、やむをえないことといえる。姑と嫁の葛藤から悩みをもった妻を思いやる夫であれば、妻の悩みも緩和されるが、それをめんどうに思ったり、似て非なる親孝行意識から、妻に姑への服従を強いている夫もいて、妻であり母親である者の苦悩は大きく、それが育児に影響して、子供たちの情緒を不安にしている例が今日もなお後を絶たない。
 また、年寄りが孫をかわいがる手段として、菓子類や玩具などを孫に求められるままに与え、結局は溺愛(できあい)となり、物質的、金銭的欲望を統制する力の乏しい子供にしている例もあるし、親が自主性を育てようとしても、過保護に扱っている祖父母も少なくない。しかも、自主性を育てようと努力している母親を、冷たい母親と非難していることさえある。年寄りから溺愛や過保護を受けた孫たちが、その結果をはっきりと現すのが思春期以後であり、自主性の遅れから不登校が生じたり、わがままから非行が生じたりしていることは見逃せない。それゆえに、年寄りと若い夫婦とは生活空間を分離して――これはスープの冷めない距離の意味――干渉しあわないことを原則にし、とくに育児や教育に関しては、両親に責任をもたせ、年寄りは両親の方針に従って、援助のできる部分をみつけて援助するという限界を守る必要がある。
 一方、嫁である母親が、年寄りに子供を預けて働きに出ることが多くなった。そのほうが子育てよりも楽だと放言する母親もいる。その結果、甘い菓子漬けになった子供にはむし歯がたくさんにでき、テレビ漬けになった(7時間の長時間視聴児もいる)子供は、自主性の発達も運動機能の発達も遅れてしまっている。とくに、年寄りに預けっぱなしという場合には、母子間の情緒的関係が育たないから、その子が年寄りから母親の手に渡ったときには、ぎくしゃくとした親子関係になり、子供は母親から離れたり、あるいは兄弟をいじめたりして、問題をおこす可能性をもっている。育児にあたっては、両親に責任があることを自覚しなければ、親子間の情緒的関係は育たない。
 なお、兄弟については、男の子と女の子との間に、上の子と下の子との間に、差別をつけないように育てることが絶対に必要である。差別された子供はひがみが強くなり、意地悪をしたり弱い者いじめをしたりする。表情も暗い。とくに注意しなければならない点は、兄らしさ、姉らしさの意識は、4歳前後にならないと芽生えてこないということである。それ以下の年齢であるにもかかわらず、下の子供が生まれると、「お兄さん(お姉さん)になったのでしょ」といって、上の子に圧力を加え、情緒の不安定な子供にしてしまうか、外面的に兄らしく(姉らしく)ふるまううそつきの子供をつくってしまう。
 兄弟げんかは、年齢が近ければ近いほど、寄ると触ると始める、という状態である。しかし、それぞれが、保護者から思いやりを受けて育っていれば、けんかをしながらも、だんだんに仲良く遊ぶ面が多くなって、大人になったときには援助しあう関係になる。それ以前にも、兄弟だけで外出したときには、上の子は下の子をかばい、下の子は上の子に従って行動している。このような行動が認められてさえいれば、家庭でのけんかは、まったく心配しないでよい。それゆえに、絶対にけんかを裁くようなことをしてはならない。兄弟げんかを裁くことができないのは、兄弟のつきあいには連続性があり、母親の目の前では兄が手を出したとしても、その少し前に弟がちょっかいを出していることが多いからである。
 また、裁くことは、どちらかを悪人にしたり、けんか両成敗ということになったりするが、いずれの場合にも子供たちには不満が残るし、とくに悪者にされたときには、その子供の心に傷を残してしまうからである。悪者にされることの多かった子供は、そのけんか相手に恨みをもつことさえあり、大人になってから争いを始めることが少なくない。兄弟げんかは絶対に裁いてはならない。[平井信義]

育児の民俗


 育児は生まれ出てからではなく、身ごもったときからすでに始まっている。とくに5か月目ごろに行われる帯祝いは、妊娠の社会的な承認であり、胎児の生存権を社会的に認めるという重い意味があった。近世の間引が多く行われた時代でも、帯祝いを済ませた子供は育てねばならなかった。帯祝いは妊婦にとっては妊娠の社会的な承認であり、着帯のころから妊娠の忌みの生活に入るものであった。妊娠の忌みは、妊婦の行動上の禁忌や食物上の禁忌という形で示されたが、それは胎教にもつながるものであった。[大藤ゆき]
胎教
胎教は昔からたいせつなものと考えられてきた。とくに胎動が始まる5か月以後、帯祝いを済ませたころから胎教を厳しくした。葬式に立ち合うこと、火事を見ることなどを禁じ、また怒る、泣く、驚くことを戒め、精神的な安定を第一とした。[大藤ゆき]
乳付け
母乳が生児の成長にとって最上の栄養物であり、自然の理にもかなっていると考えられていたけれども、粉乳や牛乳の発達しなかった時代には、初めての乳はよくないとし、胎毒下ろしといって、マクリ(海人草という海藻)やフキの根、カンゾウ(甘草)の汁、砂糖水などを飲ませた。そして最初の授乳は生母の乳でなく、同じころに出産をしてすでに授乳している人の乳を飲ませた。このとき男の子には女の子をもっている人、女の子には男の子をもっている人の乳を飲ませるという風が、1935年(昭和10)ごろまで諸地方で行われていた。この乳付(ちづ)けをチチアワセ、アイチチなどといって、こうするとじょうぶに育つ、縁組みが早いなどという。性の転換による呪力(じゅりょく)によって、子の幸いを願うという多分に呪術的なものである。授乳を縁として結ばれる人を乳付け親とか乳親(ちおや)といい、生児と仮の親子関係を結んで終生つきあった。母乳の代用品としては、重湯、スリコ(米の粉をすったもの)、甘酒の汁、カンギイ(沖縄地方で生米を母がかんで布で漉(こ)したもの)などを用いた。初誕生を迎えるまでの1年間は、乳児とよばれるように、乳と切り離すことはできない。母乳が生児にとって最良の栄養物であるという考え方は、少なくとも第二次世界大戦後の1950年(昭和25)ごろまでは揺らぐことがなかった。[大藤ゆき]
三日祝い
生まれたばかりの子供は、霊界ともいうべきところから人間界に取り上げられたばかりで、非常に不安定な状態にあるものと考えられていた。とくに生後7日間はその心配がもっとも大きく、七夜(しちや)が、まずこの世に生存するかどうかの一段階になっている。産の忌みがいちばん重いのも一七夜(ひとしちや)までであるが、そのなかでもミツメの三日産屋(うぶや)はとくにたいせつと考えられていた。それほど3日までは母子ともに危険が多かったのである。三日祝いには産婆を正客として招いて、生児に湯を使わせ、初めてミツメギモノという袖(そで)のある産着を着せる。赤子にも膳(ぜん)を供えて産室で共食する。三日祝いは、生児を初めて人間界へ受け入れる最初の儀礼として、たいせつな関門と考えられていた。この人間界への加入を承認する儀礼は、1回だけでなく、成年になるまで何回となく経なければならなかった。とくに宮参りまでの生後1か月の、産屋に伴う出産の儀礼は細かく行われ、儀礼によってその成長を確かめてきた。[大藤ゆき]
七夜
七夜は全国的にたいせつな日と考えられて、三日祝いをしない所でも、七夜の祝いは盛大に行う所が多い。この日に名付け祝いをする風は全国的である。命名をするということは、子供が一人前の人間として社会に参加する資格を承認することでもある。名前は普通は親がつけるが、産婆、仲人(なこうど)親、子福者、有力者などが名付け者として命名する例も多い。名付け親は仮親として、生児とは一生親子の関係をもつ。生児が弱くて育たないときに、神職に名付け親になってもらうのを、申し子とかトリゴとかいう。[大藤ゆき]
初外出
七夜または11日目に、イダシハジメ、ウイデ、デゾメなどといって、生児を初めて産室から出して日の目を見せる儀礼がある。菅笠(すげがさ)やおむつを生児にかぶせて、家々の神々である竈(かまど)神、井戸神、厠(かわや)神、また橋や川端などに参って、散米、塩、かつお節などを供える。生児の額には、東北地方ではヤスコといって、男の子には鍋墨(なべずみ)で犬の字を、女の子には紅で丸印をつける。これは古語のアヤツコ(綾つ子)で、悪魔を払うためといわれているが、生児が神の子として承認されたしるしでもある。[大藤ゆき]
宮参り
宮参りの日取りは地方によってまちまちで、早いのは七夜から、遅いのは100日目まである。しかし、男女児ともに30日前後という例が多い。宮参りは生児を神に氏子として承認してもらう儀礼である。同時に、氏子となれば村の一員として認められるという第一段の社会的な手続でもあった。宮参りはヒアケとかヒノハレともいうように、生児の忌みはこの日でハレルものとされていた。産婦の忌みは古くは75日としたので、産婦は参加せず、産婆や仲人の女親、姑(しゅうとめ)、実家の母、親戚(しんせき)などが抱いて参る。生児には、実家から届けた産着のノシメ(男)やモヨウ(女)のカケギモノをかける。宮城、福島、新潟、栃木、茨城、千葉県などではイナギ、神奈川、山梨県ではオボギノという晒(さらし)の袖なしを、いまでもハレギのノシメなどの上に着せる。産の忌みの観念の強い所では、社前まで行かず、鳥居参りといって鳥居の所で参って帰る。宮参りの帰りには、親戚に寄ってシラガ(白紙に包んだオヒネリ)を産着の紐(ひも)に結んでもらったり、臼(うす)に入れてもらうなど子の縁起を祝う。家では餅(もち)や赤飯で祝い、共食をする。[大藤ゆき]
食い初め
食い初(ぞ)めの祝いは、100日目から110日目にする所が多いが、6か月目に行う所もある。100日目には生児の首もすわってしっかりしてくる。首がすわるということは、成長の大きな節目なので、「百日のクビスエ」とか「百日の一粒食い」などという。乳以外の大人と同じ物を食べさせることによって、一段と人間界への仲間入りを確認する儀礼でもあった。母の里方から生児の茶碗(ちゃわん)、箸(はし)、膳などをそろえて贈って生児の前に供えるので、ハシソロエ、ハシゾメ、百日のママクイなどともいう。膳には小豆飯(あずきめし)に尾頭付きの魚をつけ、小皿には川原から拾ってきた小石を皿にのせ、「石のおさい」といってなめさせるのは、歯がじょうぶになるためというが、小石は産神の依代(よりしろ)の意と思われる。自分を養う自分の箸、茶碗を与えるというのは、日本独特の習俗であり、食生活のしつけの始まりともいえる。[大藤ゆき]
初正月・初節供
第二次世界大戦前は正月で年をとったので、生児が初めて迎える初正月には特別の祝いの意味があった。男児には破魔弓(はまゆみ)、女児には羽子板を贈る風が現在も行われている例もある。節供は男女ともに「初子の初節供」といって、初生児だけが盛大に祝われている。里方や親戚、仮親などから人形や幟(のぼり)を贈る。返礼として菱餅(ひしもち)やちまき、柏餅(かしわもち)などを返す。生児の世間への仲間入りの機会でもあった。[大藤ゆき]
初誕生
満1年というのは立ち歩きができるという、人間としての飛躍的な成長のときなので、ムカイドキなどといって、餅を搗(つ)き親類知己を招いて祝う。満1年まで無事に育てば、ひとまず成長の見通しもたつので、初誕生は全国的に祝われている。誕生前に歩き出す子には、一升餅を背負わせてわざと倒す習俗が各地にある。このように生後1年間は、特別の心遣いのもとに儀礼を重ねて、その成長を確かめてきた。子供の成長に伴う儀礼は、それ自身教育的機能をもっているが、同時に一つの育児法でもあった。[大藤ゆき]
七五三祝い
子供の祝いは地方によってはかならずしも七五三とは限らず、三つと七つ、あるいは七つだけを祝う例が多い。しかし3歳、5歳、7歳は子供の成長にとってたいせつな節目である。とくに7歳は男女ともに幼年期の終わりとして重要な年齢とされている。氏神に参って改めて氏子入りをする習慣があった。[大藤ゆき]
仮親
日本には生みの親や養い親のほかに、多くの仮親をもつ風習がある。出生後一人前になるまでに、取上げ親、乳付け親、名付け親、子が育たぬときに拾ってもらう拾い親などがある。[大藤ゆき]
エジコと子守
生後3日目または七夜に、生児をエジコ、ツグラ、イズミという藁(わら)製の籠(かご)に入れる風習が各地にある。はい出すようになると子守をつける。[大藤ゆき]
その他の民俗
夜泣き、疳(かん)の虫、麻疹(ましん)(はしか)、疱瘡(ほうそう)など多くの病気には、各地に種々の呪法(じゅほう)や俗信がある。
 また四国から瀬戸内海周辺にかけて、子供を養育することを「児(こ)ヤライ」という。ヤライは追い立てることで、子供の臀(しり)を後ろから追いたたきながら一人前に育て上げることを意味している。[大藤ゆき]

諸民族にみられる育児様式

誕生直後の馬の赤ん坊がおそるおそる歩き出すシーンは感動的だが、人間の赤ん坊は歩くことはおろか、栄養摂取も排泄(はいせつ)処理もすべて養育者に全面的に頼らねば、その生存の維持さえ危うい。人間の嬰児(えいじ)の特徴はその未熟性にあり、そのために育児のもつ比重は非常に大きい。これまで世界各地で発見されてきた「野生児」、つまり人間的養育環境が得られずに育った子供に関する報告は、成長の各段階において適当な養育を経ることが、人間としての心身両面での成長にとっていかに大切かを示している。また、世界の諸民族における育児をみると、人類として共通している部分と、それぞれの文化に特徴的な部分のあることがわかる。[横山廣子]
授乳
母親の最初の授乳に際して伝統的に特別の処置がとられていたことが知られている。北米先住民のスー(ダコタ)の人々では、初乳は毒だとされ、新生児が最初に飲まされるのは野草などの汁であった。タイ人のかつての慣習は、生後3日間は母乳を与えず、蜂蜜(はちみつ)などを食べさせるというもので、母親が初めて授乳するときには、年配の婦人にまず乳を吸ってもらう儀式が行われた。ひとたび授乳が始まると、どの社会でも伝統的には授乳時間など気にせずに子供が欲しがるときに飲ませるのが一般的であった。そして、離乳についても特定の時期を意識することなく、次子の誕生まで授乳が続けられる場合が多かった。また、早くから乳以外の食物が並行して与えられることもあり、そのような社会では離乳は比較的問題なく果たされた。また、乳首に異物を塗るなどのくふうもよくみられた。人工乳の導入に伴って計画的授乳が普及したが、最近では古来からの融通性のある母乳による授乳が、母子の心身衛生上、優れていると見直されている。[横山廣子]
排便
北インドのラージプートの人々は、赤ん坊におしめをせず、布にくるんで寝かせておいた。シーツがおしめがわりになっていた。とくに厳しい排便のしつけはなく、子供は成長するにつれて排泄を親に教えるようになった。それに対し、マダガスカルのタナラの人々は、生後半年ほどの子供のそそうに対してさえ厳罰を与え、早くしつけようとした。一般に緩やかなしつけにおいては、子供が他人から笑われないようにふるまおうとするのをしつけの原動力としている。[横山廣子]
育児担当者
伝統的社会では、乳児にとって第一の養育者が母親であることは、例外的な場合を除いてほとんどの社会に共通していた。しかし、日本でも江戸時代に武家を中心にみられたが、実母にかわって乳母(うば)が養育することが、社会の一部の上層においてみられる場合があった。現代社会では、仕事をもつ母親のために集団保育施設が発達し、乳児を含めた保育が行われている。伝統的社会では、離乳後も母親が主たる育児担当者であることが一般に多いが、サモアでは6、7歳の同じ家に住む少女たちが中心となってその役目を引き受けた。またサモアでは大家族が普通で、家に大人の女性が何人もいるため、母子の密着した関係は存在しなかった。母親が戸外に出て働かねばならないときの乳幼児の世話の問題には、世界各地で伝統的にいろいろな解決法がとられてきた。手のあいている者に子守を頼む場合、多くの社会が年配者に限らず、乳幼児の兄や姉にあたる子供たちにそれを任せてきた。子供を動けないように籠(かご)や板に縛り付けておくこともあった。あるいは母親が子供を背負うなど、自分の体につけて働くこともあった。[横山廣子]
育児様式の違いと文化
どのような育児が行われるかは、その社会の人々が子供をどう考えているかによって左右される。また育児様式は各文化に適合した人格を形成するように仕組まれているともいえる。M・ミードのニューギニアにおける研究から対照的な2事例が取り出せる。ムンドゥグモルの人々は子供の誕生を喜ばなかった。彼らの社会では、息子は母の、娘は父の集団に属し、それぞれから財産を相続した。一夫多妻婚が理想で、結婚は、男性間でその近親の女性を交換するのが原則であった。したがって、女性を自分の結婚の交換要員にすることをめぐって、父と息子はライバルとなった。またすべての男たちが敵対しあう社会であった。夫は男児を嫌い、妻は女児を嫌い、嬰児殺しも珍しくなかったという。育児態度はそっけなく、優しさがなかった。子供は夫婦間に亀裂(きれつ)をつくり、また夫婦の対立に利用された。このように育てられることで、子供は荒々しさや攻撃性を身につけた。一方、アラペシュの人々は父系制で、各部落は一つの父系親族で構成され、親族間の協力によって農耕などの生計活動が営まれていた。子供はだいじに育てられ、夫も育児に協力した。泣けば乳がすぐ与えられ、つねにだれかがそばで見守っていた。乱暴なふるまいは禁じられていた。こうして彼らの社会にあった穏和で協調性のある人格が形づくられていくとミードは分析した。しかし、育児様式と性格的特徴とを結び付けることには慎重な態度をとるべきだとする議論もある。[横山廣子]
通過儀礼
子供の成長に対して各社会は節目をつくり、それまでの成長をみんなで確認し、喜び合い、以後の順調な生育を祈るための通過儀礼を行う。中国の漢民族の伝統的慣習では、まず3日目に「三朝」があり、新生児を洗ったのち、家の神仏や祖先に拝礼した。1か月目の「満月」では子供の剃髪(ていはつ)があり、やはり拝礼が行われた。1歳の誕生日は「周歳」とよばれ、拝礼後、いくつかの品物を並べて子供にとらせ、それで将来を占った。いずれの祝いにも親族・友人が贈り物持参で集まり、祝宴が催された。
 移動生活をする南米の採集狩猟民シリオノの人々は、生後3日間は子供が危険な状態にあり、両親との親密なつながりが維持されると考え、父母と新生児に特別の措置を施した。たとえば、親はその間、食物のタブーを守り、最初の日には足を傷つけて血を流さねばならなかった。子供を病気にするかもしれない古い血を出すためだといわれた。2日間のさまざまな行為ののち、3日目には終了の儀式が行われた。家族が列をなして森に入り、そこで薪(たきぎ)を集めた。先頭の父親は子供を守るために弓と矢を携え、続く母親は子供を肩から吊(つ)り下げ、水の入ったひょうたんをもった。他の家族がその後に続いた。森から帰ると、とってきた薪に火をつけ、ひょうたんの水で子供に水浴させ、そこで初めて人々は日常生活に復帰した。[横山廣子]
病気
病気や事故で命を落としやすい子供を守るため、近代医療の発達前から伝統的にいろいろな方法がとられてきた。動物名や奇妙な意味の名を幼名とする慣習は世界に広く分布したが、これは邪悪なものの注目や嫉妬(しっと)を避けるためであった。また護符となるものを身につけさせることもよくみられる。子供をとくに守護する神々の信仰も知られている。[横山廣子]
『●一般 ▽畠瀬直子著『こころの育児』(1977・黎明書房) ▽高橋悦二郎他監修『赤ちゃん百科』(1978・小学館) ▽平井信義著『育児学』改訂(1979・光生館) ▽松田道雄著『日本式育児法』(講談社現代新書)』
『●民俗 ▽母子愛育会編『日本産育習俗資料集成』(1975・第一法規出版) ▽E・H・エリクソン著、仁科弥生訳『幼児期と社会』(1977・みすず書房) ▽原ひろ子著『子どもの文化人類学』(1979・晶文社) ▽H・ギアーツ著、戸谷修・大鐘武訳『ジャワの家族』(1980・みすず書房) ▽大藤ゆき著『子どもの民俗学――一人前に育てる』(1982・草土文化) ▽柳田国男著『産育習俗語彙』(1984・国書刊行会) ▽大藤ゆき著『児やらい』(1985・岩崎美術社) ▽吉田禎吾著『未開民族を探る――失われゆく世界』(社会思想社・現代教養文庫)』

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世界大百科事典内の育児の言及

【教育】より

…そして人間は,〈弱い子ども〉を育てていくために,家族はもとより,村落共同体をあげて子どもを育てるための手だてをつくしてきた。こうして教育の原型は育児にあり,人類と民族の育児の習俗のなかに,子どもの発達と教育についての知恵と技術は蓄積され,受けつがれてきている。その意味で育児の習俗は,人間の文化伝達の形態であると同時に,これ自体が人間の文化の重要なジャンルを構成しているといってよい。…

【孫】より

… ラドクリフ・ブラウンの主張からも明らかなように祖父母と孫の親和的関係はどの民族の人間関係にも共通した傾向であり,日本の場合にも例外ではない。日本における祖父母と孫の関係としてとくに注目されるのは,育児がしばしば父母ではなくて祖父母によって担われることである。親夫婦と子ども夫婦が同一家族であっても別々の生活単位を形成する隠居型家族においてとくにこの傾向が強く見られる。…

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出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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