写真家自身による国際的な協同写真通信社。1936年,パリのある新聞社のカメラマン募集試験に落ちたR.キャパが近くのカフェで酒を飲んでいると,同様に落ちたH.カルティエ・ブレッソンとシーモアDavid Seymour(1911-56)がそこにやってきた。このときワインの大瓶(マグナム)を飲みながら,主義や流派を越えて写真家の自由な表現と立場を保証するような通信社をつくろうと話しあった。この3人の理想が,第2次大戦後の47年,イギリス人の写真家ロジャーGeorge Rodgerを加えパリで実現した。写真通信社〈マグナム・フォトス〉は,なによりも写真家の自由な取材と発表を擁護する協同組合的な組織であった。その後スイス人のビショッフWerner Bishof(1916-54),オーストリア人のハースErnst Haas(1921-86)など個性的な写真家がつぎつぎと参加し,《ライフ》《パリ・マッチ》など世界的な雑誌を舞台に大活躍した。またE.スミスも一時参加し,そのころに一大写真叙事詩ともいえる《ピッツバーグ》(1955-58)の写真を撮っている。その後ダビッドソンBruce Davidson(1933- ),ハーバットCharles Hurbuttなどが参加し,マグナムの写真もしだいに楽天的なヒューマニズムを表現するものから,よりパーソナルな視点をもつものに変化する。それは発表媒体であるジャーナリズムの中立と正義がけっして確かなものでないことが周知なことになる中でのことであった。この傾向は現代のマグナムの写真家たち,マークMary Ellen MarkやクーデルカJoseph Koudelkaらの写真にはいっそう顕著になってきている。
執筆者:金子 隆一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…しかし,スナップ・ショットにもとづく彼の写真は一部の熱心な支持を受けただけであった。36年パリの新聞社の入社試験を受け不合格になるが,この時キャパ,シーモアDavid Seymourと出会い,国際的写真通信社〈マグナム・フォトスMagnum Photos〉設立(1947)のきっかけとなる。この前後,スペイン(1932‐33),メキシコ(1934),インド,中国(1948‐50)などを撮影する一方,ヨーロッパ各地でも数多くの写真を撮った。…
…36年パリの新聞社の入社試験を受けるが落第し,近くのカフェで酒を飲んでいるときに,同様に落第したカルティエ・ブレッソン,D.シーモアと出会い,個性的で自由な写真活動ができる写真通信社をつくることを約束しあう。それがのちの〈マグナム・フォトスMagnum Photos〉(1947創設)である。キャパは〈戦争写真家〉といわれるが,文字どおり常に戦乱の第一線で写真を撮りつづけた。…
…おなじ名取の第2次日本工房では人物,社会,伝統文化へと対象をひろげつつ日本のリアリズム写真を代表することとなる土門拳が活動を開始した。世界の写真界においては,36年にアンリ・カルティエ・ブレッソン,ロバート・キャパ,ダビッド・シーモアがマグナム写真集団Magnum Photosをつくって,すぐれた写真家たちの職業的な自立を実現している。雑誌などメディア企業の営利目的にともすれば侵されやすい表現者の権利を守る点でも,この集団は現代芸術の他領域にはるかにさきがけた国際的なはたらきをつづけている。…
※「マグナム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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