キャパ(読み)きゃぱ(英語表記)Robert Capa

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キャパ」の意味・わかりやすい解説

キャパ
きゃぱ
Robert Capa
(1913―1954)

戦争写真で世界的に名が知られた報道写真家。ハンガリーブダペストにユダヤ人洋服屋の息子として生まれる。本名アンドレ・フリードマン。青年期にベルリン学業のかたわら写真を学んだ。1933年にナチ迫害を逃れてパリに移り、36年スペイン動乱勃発(ぼっぱつ)と同時に人民戦線側の報道写真家として従軍するが、そのときコルドバで撮った「敵弾に倒れる義勇兵」が『ライフ』に載り、世の注目を集めるようになる。第二次世界大戦では連合国側の雑誌特派員となり、イギリスを皮切りにヨーロッパ戦線、北アフリカ戦線に従軍し、最前線の様相を数多く撮影した。なかでも44年6月に連合軍が敢行したノルマンディー上陸作戦ドキュメントは、その迫真力により報道写真の古典的名作として今日も評価が高い。また47年にはカルチエ・ブレッソンやデビッド・シーモアDavid Seymour(1911―56)らとともに「マグナム・フォトス」をおこすが、54年メコン・デルタで取材中に地雷に触れて爆死した。

[平木 収]

『川添浩史・井上清一訳『ちょっとピンぼけ』(文春文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キャパ」の意味・わかりやすい解説

キャパ
Capa, Robert

[生]1913. ブダペスト
[没]1954.5.25. ベトナム,タイビン
報道写真家。本名はアンドレイ・フリードマン Andrei Friedmann。ホルティの独裁政権によるユダヤ人追放政策を逃れ,17歳で生地のハンガリーからベルリンに移住。そこで写真術を学ぶが,ヒトラー台頭によりさらにパリに逃れた。 1936年スペイン戦争が起こると人民戦線派のカメラマンとして従軍。戦争写真家として名を知られるようになる。 1940年にはアメリカに移住。第2次世界大戦でも,北アフリカ,フランス,ドイツへ従軍,特に連合軍のノルマンディー上陸作戦に取材した一連の報道写真は有名。戦後は 1947年に H.カルティエ=ブレッソン,D.シーモアらと,写真家集団マグナム・フォトス Magnum Photosを創立した。 1954年5月ディエンビエンフーの陥落が迫ったインドシナ戦線におもむき,地雷にふれて死んだ。写真集『戦争──そのイメージ』 Images of War (1964) のほか,自伝『ちょっとピンぼけ』 Slightly Out of Focusがあり,邦訳されている。

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