ハンガリー生れの写真家。ブダペスト出身。本名Friedmann André。初めジャーナリストを志すが,言葉を越えて自分の主張を伝えられるのは写真だと考えるようになる。ベルリンで写真を勉強したのち,1933年同国人の写真家ケルテスAndré Kertészをたよってパリに出る。36年パリの新聞社の入社試験を受けるが落第し,近くのカフェで酒を飲んでいるときに,同様に落第したカルティエ・ブレッソン,D.シーモアと出会い,個性的で自由な写真活動ができる写真通信社をつくることを約束しあう。それがのちの〈マグナム・フォトスMagnum Photos〉(1947創設)である。キャパは〈戦争写真家〉といわれるが,文字どおり常に戦乱の第一線で写真を撮りつづけた。1936年人民戦線兵士が狙撃された瞬間を撮ったスペイン内乱,41-45年の第2次世界大戦中はノルマンディー上陸作戦をはじめヨーロッパ各戦線,そして54年地雷でみずからの命を落とすことになったインドシナ戦争などで活躍した。彼の写真は《ライフ》《コリアーズ》などの雑誌に数多く発表されている。戦争の悲惨さをなによりも伝えようとするキャパの態度は,写真を非常に人間的で魅力的なものにしている。これらの時代においては,キャパの楽天的なヒューマニズムは,戦争の真の意味を問いかけ告発することに成功した。自伝的な《ちょっとピンボケ》(1947),写真集《戦争--そのイメージImages of War》(1964)などがある。
執筆者:金子 隆一
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戦争写真で世界的に名が知られた報道写真家。ハンガリーのブダペストにユダヤ人洋服屋の息子として生まれる。本名アンドレ・フリードマン。青年期にベルリンで学業のかたわら写真を学んだ。1933年にナチの迫害を逃れてパリに移り、36年スペイン動乱勃発(ぼっぱつ)と同時に人民戦線側の報道写真家として従軍するが、そのときコルドバで撮った「敵弾に倒れる義勇兵」が『ライフ』に載り、世の注目を集めるようになる。第二次世界大戦では連合国側の雑誌特派員となり、イギリスを皮切りにヨーロッパ戦線、北アフリカ戦線に従軍し、最前線の様相を数多く撮影した。なかでも44年6月に連合軍が敢行したノルマンディー上陸作戦のドキュメントは、その迫真力により報道写真の古典的名作として今日も評価が高い。また47年にはカルチエ・ブレッソンやデビッド・シーモアDavid Seymour(1911―56)らとともに「マグナム・フォトス」をおこすが、54年メコン・デルタで取材中に地雷に触れて爆死した。
[平木 収]
『川添浩史・井上清一訳『ちょっとピンぼけ』(文春文庫)』
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…写真家自身による国際的な協同写真通信社。1936年,パリのある新聞社のカメラマン募集試験に落ちたR.キャパが近くのカフェで酒を飲んでいると,同様に落ちたH.カルティエ・ブレッソンとシーモアDavid Seymour(1911‐56)がそこにやってきた。このときワインの大瓶(マグナム)を飲みながら,主義や流派を越えて写真家の自由な表現と立場を保証するような通信社をつくろうと話しあった。…
※「キャパ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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