コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

マケドニア王国 マケドニアおうこくKingdom of Macedonia

3件 の用語解説(マケドニア王国の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マケドニア王国
マケドニアおうこく
Kingdom of Macedonia

ギリシア北方に位置した古代の王国。その領域範囲はときにより変動があったが,常にギリシア北方の平原がその中心であった。この地は新石器時代初期から定着が始り,青銅器時代には統一的文化を形成した。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

マケドニア王国【マケドニアおうこく】

バルカン半島南部のマケドニアに興った古代王国。早くギリシア本土北部のテッサリアからマケドニアに侵入したドリス人の一派が建国したとされてきたが,異説も多い。ペルシア戦争後アテナイと争いつつ勢力を拡大し,前4世紀後半フィリッポス2世に至ってスパルタを除く全ギリシアに君臨。
→関連項目マケドニア

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マケドニア王国
まけどにあおうこく
Makedonia

ギリシア北部の古代王国。住民はドーリスギリシア人に近い。アレクサンドロス大王を出した古マケドニアの王統(アルゲアダイ、別称テーメノス家。前7世紀初め?~前310/309)およびヘレニズム時代のアンティゴノス朝(前306~前168)をいう。この王国が歴史に現れるのはペルシア戦争を介してペルシアに臣従した時からであるが、その後ペルシアと関係を絶ってギリシアへの接近を深めた。積極的なギリシア文化摂取も始まる。国力の強化と国土の拡大とに画期を示したのはフィリッポス2世(在位前359~前336)である。彼は、カイロネイアの一戦でギリシアの覇権を握った(前338)が暗殺され、遺策たるペルシア領小アジアへの進攻は息子アレクサンドロス大王(在位前336~前323)が継ぐ。彼はアケメネス朝ペルシア帝国全版図を征服したうえ西北インドまであわせたが、マケドニアはその遠征の間および以後の計10年以上、実質的には宿臣アンティパトロスの統御のもとにあった。大王の急逝により王族、近臣、諸将の間に激しい権力闘争が展開され、傀儡(かいらい)として擁立された大王異母弟フィリッポス3世(在位前323~前317)は紀元前317年太后オリンピアスに殺され、また翌年彼女が、さらに前310/309年には大王の妃(きさき)ロクサネーと幼い遺児アレクサンドロス4世とがともに、アンティパトロスの息子カッサンドロスに弑(しい)されて王統は断絶した。カッサンドロスのマケドニア王位は2代で終わった。その間ディアドコイ諸将は一斉にマケドニア王を呼号し、王位は転々定まらなかったが、アンティゴノス2世(在位前276~前239)に至ってようやく安定する。ここにヘレニズム時代のマケドニア王国としてアンティゴノス朝が確定した。地中海世界進出の雄図を抱くフィリッポス5世(在位前221~前179)に至ってローマと衝突し、最後の王ペルセウスがピドナで敗れて王国は滅亡した。[金澤良樹]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のマケドニア王国の言及

【マケドニア】より

…バルカン半島の中南部に位置し,周囲を山に囲まれた盆地の内陸国である。 マケドニアは,歴史的地域名としては古代ギリシア語でMakedoniaと呼ばれ,現在のマケドニア共和国からギリシア,ブルガリアにまたがる広い地域の呼称で,古代マケドニア王国の版図をなした。ビザンティン帝国,ブルガリア帝国などによる支配を経て,15世紀にはオスマン帝国の配下に置かれたが,その崩壊後,セルビア,ギリシア,ブルガリアに分割された。…

※「マケドニア王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

百条委員会

地方自治体が議決により設置する特別委員会の一つ。名称は「地方自治法第100条」に基づく。百条委員会は、地方公共団体の事務に関する調査を行い、関係者への聞き取りや記録の提出を請求、拒否した者には罰則が科...

続きを読む

コトバンク for iPhone

マケドニア王国の関連情報