マラッカ王国

山川 世界史小辞典 改訂新版 「マラッカ王国」の解説

マラッカ王国(マラッカおうこく)

1400頃~1511

スマトラパレンバン出身のマレー人王族がマレー半島に創始した王国。当初タイアユタヤ朝に従属していたが,明の鄭和(ていわ)の南海遠征の拠点となったことやイスラーム受容契機に独立し,15世紀中頃以降東南アジア随一の交易の中心地に発展した。マラッカは東南アジアのイスラーム化や東南アジア島嶼部におけるマレー語の普及に多大な影響を与えたが,16世紀初期にポルトガル進攻を受け崩壊した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マラッカ王国」の意味・わかりやすい解説

マラッカ王国
マラッカおうこく
Malacca

1400年頃から 1511年までマラッカ (ムラカ) を中心に栄えた王国。シュリービジャヤ王国の一王子により建国されたと伝えられる。王の後継者たちはまもなくイスラム教に改宗し,イスラム系商人を招いたので,マラッカ港は東南アジアの物産,特に香料西方に運ぶための東西貿易の中心地として発展した。 15世紀なかばにはマレー半島のかなりの部分を領有して,タイのアユタヤ朝南下を牽制し,また海峡を越えてスマトラの東岸一帯にも勢力を及ぼして富強を誇ったが,1511年ポルトガルに占領された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「マラッカ王国」の解説

マラッカ王国
マラッカおうこく
Malacca

14世紀末〜1511
マラッカを中心に海上貿易で繁栄した東南アジア初のイスラーム王国
初めタイのアユタヤ朝に服従していたが,鄭和の南海遠征隊が寄港するようになると国際貿易港となり,明の朝貢国になった。15世紀半ばのタイの攻撃に際して,国王はイスラームの聖戦を掲げて勝利し,イスラーム定着のきっかけをつくった。1511年ポルトガルの攻撃・占領により滅亡当地言語が島嶼部で広く使われるマレー語となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「マラッカ王国」の意味・わかりやすい解説

マラッカ王国 (マラッカおうこく)

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世界大百科事典(旧版)内のマラッカ王国の言及

【ムラカ王国】より

…1400年ころから1511年までマレー半島南端近くのムラカMelaka(マラッカMalacca)を中心に栄えたマレー人の王国。マラッカ王国ともいう。マレー半島には古くから中国とインドを結ぶ交通路があり,そのために数多くの王国が興亡した。…

※「マラッカ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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