パレンバン(読み)ぱれんばん(英語表記)Palembang

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パレンバン」の意味・わかりやすい解説

パレンバン
ぱれんばん
Palembang

インドネシア、スマトラ島南東部の都市。スマトラ島第二の都市で、南スマトラ州の州都。人口約143万9900(2001推計)、164万9298(2018推計)。ジャワ海西部に注ぐ大河ムシ川河口から約83キロメートル上流に位置する河港であるが、川幅は300メートル、水深も20メートルに達し、海洋船の入港も可能である。標高は2メートルほどにすぎないが付近で多くの支流が合流し、かつ背後に高燥な丘陵地帯も広がるなど地理的条件に恵まれ、古くから東南アジアにおける重要な貿易港として発展した。早くからインド文化が流入し、7世紀にはここを中心に仏教王国シュリービジャヤが栄え、近代にはスルタン王国が生まれた。19世紀に入りイギリス、オランダによる争奪が行われたが、1825年オランダ領となり、1942~1945年日本に占領された。市街はムシ川の両岸に広がる。左岸はかつてのスルタン王宮を中心に、官庁商社、住宅が建ち並び、下流の商業地区には中国系、ジャワ系住民の居住が多い。右岸にはアラブ系の集団居住地もある。ムシ川の一部には杭上(こうじょう)家屋や家船居住者もみられる。20世紀初頭以後、付近の油田開発の中心地となり、インドネシア最大の石油基地としておもに石油と後背地の農林産物の積出し港として繁栄し、近代的都市に変貌(へんぼう)してきた。太平洋戦争初頭の1942年(昭和17)、この地域石油資源を求める日本軍は落下傘部隊による奇襲降下を敢行した。地方空港、国立シュリービジャヤ大学がある。

[別技篤彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パレンバン」の意味・わかりやすい解説

パレンバン
Palembang

インドネシア,スマトラ島南東部の河港都市。スマトラスラタン州の州都。ムシ川にのぞみ,外航船が入港できる。7~11世紀に栄えたシュリービジャヤ王国の初期の中心地で,のちパレンバン王国の首都となったが,1617年オランダ東インド会社が進出し,1825年には完全に支配権を握った。周辺は油田地帯で,その輸出港,商業中心地。石油のほか,ゴム,茶,コーヒー,石炭,木材,香辛料を輸出する。大製油所があるほか,豊富な天然ガスを利用した尿素肥料工場や,ゴム,繊維,煉瓦などの工場が立地。旧スルタンの居城や大モスク (1740) ,国立シュリービジャヤ大学などがある。内陸部やタンジュンカランと鉄道で結ばれ,空港もある。人口 78万 7187 (1980) 。

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