マリ・ド・メディシス(読み)まりどめでぃしす(英語表記)Marie de Médicis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「マリ・ド・メディシス」の意味・わかりやすい解説

マリ・ド・メディシス
Marie de Médicis

[生]1573.4.26. フィレンツェ
[没]1642.7.3. ケルン
フランス王アンリ4世の妃。メディチ家のトスカナ大公フランチェスコの娘で,1600年 12月アンリ4世と結婚し,のちのルイ 13世を含めて6人の子をもうけた。 10年アンリ4世の暗殺死によってルイ 13世が9歳で即位すると摂政となり,寵臣 C.コンチーニとその妻レオノーラ・ガリガイの手をかりて国王旧臣を遠ざけ,アンリ4世が積上げた対ハプスブルク政策を放棄した。 14年ルイ 13世が成人してもマリは依然摂政をつとめていたが,17年ルイ 13世はコンチーニを暗殺し,マリをブロアに追放した。 19年マリはルイ 13世に対する反乱を企てたが敗れた。 22年リシュリューの仲介で王国評議会に参加することになったが,リシュリューの権力拡大を恐れて失脚をはかり失敗,投獄され,31年7月逃亡,ブリュッセル,ロンドン,ケルンで余生をおくった。なお,リュクサンブール宮殿は彼女の建設によるものである。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マリ・ド・メディシス」の意味・わかりやすい解説

マリ・ド・メディシス
まりどめでぃしす
Marie de Médicis
(1573―1642)

フランス王アンリ4世の妃。トスカナ大公の娘。1600年アンリ4世と結婚。翌年王太子(後のルイ13世)を出産。美貌(びぼう)の誉れが高かったが、尊大で、復讐(ふくしゅう)心の強い女性としても有名。1610年に王が暗殺されると摂政(せっしょう)となり、寵臣(ちょうしん)のレオノーラ・ガリガイやコンチニの影響を受けて王の旧臣たちを排除し、王が企図していたハプスブルク家攻略策を放棄した。1614年の全国三部会では、第三身分と貴族との対立が激しく、新しい財源を獲得する所期の目的を達成できなかった。1617年コンチニが暗殺されると、ブロアに逃れ、ルイ13世に対する骨肉の戦いを継続した。王に対する宰相リシュリューの募りゆく影響を除去するため、宰相の罷免を画策したが失敗して捕らえられ(1630年11月11日。「欺かれた者たちの日」といわれる)、その後逃亡して亡命生活に入り、最後はケルンで死んだ。画家フィリップ・ド・シャンペーニュを保護し、リュクサンブール宮殿を造営した。

[志垣嘉夫]


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