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マルセイユ Marseille

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

マルセイユ
Marseille

古代名マッシリア Massilia (ラテン語) ,マッサリア Massalia (ギリシア語) 。フランス南東部プロバンス地方,ブーシュデュローヌ県県都地中海にのぞむ国内最大の商港で,パリに次ぐフランス第2の都市。ローヌ川河口三角州の東に位置し,周囲には石灰岩質の海岸山脈が迫る。前 600年頃ギリシアの植民都市として始り,前2世紀にローマ属州。貿易港,特に東方の贅沢品の通商港として繁栄した。 1481年にフランス王領。造船,アルミニウム,食品,繊維などの工業のほか,第1次世界大戦以後は石油工業港として発展,現在石油化学工業は国内需要の大半を供給する。フォス地区に新しい港湾,工業地帯が建設されマルセイユ,エクサンプロバンス,ベール,フォスは,パリ圏,リヨン圏に次ぐ人口 109万 (1990) の一大都市圏を構成,フランス南東部の発展の中心としての基礎を固めている。聖ビクトル教会,旧大聖堂 (13~14世紀) ,ビザンチン様式の新大聖堂 (19世紀) などがある。人口 85万1420(2008)。

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デジタル大辞泉の解説

マルセイユ(Marseille)

フランス南部、地中海に面する港湾都市。前6世紀にギリシャの植民地マッサリアとして建設され、17世紀に自由港となって発展。フランス第一の貿易港で、造船・化学工業なども盛ん。人口、行政区86万(2008)。マルセーユ。

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百科事典マイペディアの解説

マルセイユ

フランス南部,ブーシュ・デュ・ローヌ県の県都。地中海北西隅リオン湾に臨む港市。フランス第2の都市。フランス最大の貿易港で,インド洋航路の要地。造船,機械,化学,製油,建築資材,食品などの工業が行われる。
→関連項目フランスプロバンス

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世界大百科事典 第2版の解説

マルセイユ【Marseille】

フランス南部,ブーシュ・デュ・ローヌ県の県都,港湾都市。人口87万8689(1982)。石灰岩山地に囲まれ,西は地中海に臨み,沖合にはポメーグ島,ラトンノー島,シャトー・ディフ島がある。フランス第2の都市であるが,郊外人口を含めた都市圏人口は108万で,リヨンに第2の地位を譲る。1801年に約11万であった人口は19世紀を通じて増え続け,第1次世界大戦前に50万を超えた。両大戦間は人口停滞期であったが,1945年以降急激に増加し,今日では市域は飽和状態に達し,60年以降近郊都市の人口成長が著しい。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

マルセイユ
まるせいゆ
Marseille

フランス南部、ブーシュ・デュ・ローヌ県の県都で、港湾都市。ローヌ川河口デルタの東端、地中海に面して位置する。人口79万8430はパリに次いでフランス第2位(1999)。港は地中海のリオン湾東部、クローヌ岬とクロアゼット岬に挟まれた小湾に面する天然の良港で、フランス最大の貿易港である。[青木伸好]

港湾と産業の発展

港湾都市としての本格的発達は19世紀のことで、ブルボン王朝による北アフリカの植民地化政策(マグレブ政策)においてその進出拠点となった。また1869年にスエズ運河が開通し、地中海ルートの貿易が活発化するに及び、大貿易港としての地位を確立した。港湾の発展に伴って、海外原料による製油、小麦粉製造、製糖、せっけん製造、綿織物工業、染色工業などが発達したが、19世紀には造船およびその関連工場が設立され、さらに商取引関係の会社、銀行、運輸会社など、港湾活動を支える商業、サービス業が加わった。従来マルセイユは旧港Vieux Portとよばれる港地区のみに港湾機能を有していたが、19世紀に近代港湾都市として発達してくると、旧港だけでは狭くなり、1844年以降、港湾施設の拡張がなされた。施設は旧港の北側の外洋に向かって、南から漸次北へ延びていった。防波堤の延長距離は27キロメートルにも達する。現在、旧港は漁港とレジャー用ヨットの係留場、イフ城(シャトー・ディフ)への観光船の発着場として使われており、外航船は新しく築かれた港に入港する。新しい港ではコルシカ島への連絡船も発着する。[青木伸好]

市域の拡大

マルセイユの拡大は隣接海岸にとどまらず、ローヌ川の方向にも拡大していく。1926年にはマルセイユ港とローヌ川を結ぶマルセイユ‐ローヌ連絡運河が開通し、マルセイユとローヌ川が結ばれるとともに、途中のベール潟湖(せきこ)とも結ばれることになった。ベール潟湖岸には、石油精製や石油化学など石油関係の近代工業が発達した。今日さらに西のフォスFos-sur-Merに、港湾・工業地帯の造成が行われており、石油、製鉄を中心とした大規模開発が進められている。このようにマルセイユは工業地帯を市街地の外に発達させ、旧港から東に延びるカヌビエール大通りを中心に、取引関係、管理関係の機能を集中させている。[青木伸好]

市街と交通

旧港は海岸から東に向けて市街に食い込むように位置し、旧港の出入口北側にサン・ジャン要塞(ようさい)、南側にサン・ニコラ要塞(ともに17世紀)がある。カヌビエール大通りには、ホテル、レストラン、商店が軒を連ね、左右(南北)に延びるエクス通りやローム通りとともに繁華街となっている。大通りの東端近くのロンシャン宮殿(19世紀)は美術館となっており、マルセイユ生まれの画家・彫刻家の作品を集める。市街南部のボレリーの館(やかた)(18世紀)は地中海考古学博物館に使われている。旧港南側の標高162メートルの丘上にラ・ガルド大聖堂(19世紀)があり、丘からはイフ島や港周辺の眺望がよい。ほかに旧港北側に17世紀の市庁舎、その北西にラ・マジョール大聖堂(19世紀)、隣接する12世紀ロマネスク様式の旧大聖堂などがあるが、建築物は比較的新しいものが多い。旧港付近から海岸沿いに南東へ走る「ケネディ断崖(だんがい)道路」沿いは、高級住宅や別荘が建ち並び、地中海有数の風光明媚(めいび)の地とされ、観光の対象ともなっている。1977年に地下鉄が開通し、北の終点ラ・ローズにはニュータウンが建設され、新しい宅地開発も進んでいる。パリ、リヨン方面、および東隣のオーバーニュ、西隣のマルティークとは高速道路で結ばれ、コート・ダジュール方面との交通の便もよい。北西28キロメートルのマリニャーヌMarignaneにマルセイユ空港がある。[青木伸好]

歴史

地名は、紀元前6世紀に小アジア西岸イオニアのギリシア人が植民地として建てたマッサリアMassalia(ローマ時代に入ってマッシリアMassilia)に由来する。早くから西地中海に活躍し、ローマと結んでカルタゴに対抗したが、ポンペイウスを支持したためにカエサルに攻められてその繁栄を失った。その後、西ゴート、東ゴートの支配、カール・マルテルの劫掠(ごうりゃく)、イスラム教徒の侵入を経て、10世紀中ごろプロバンス伯の支配下に入った。12世紀には十字軍の遠征によって海上通商が復活し、文化的にも発展がみられ、サン・ビクトル修道院はグレゴリウス改革の一中心となっている。
 1481年、プロバンス伯領のフランス併合とともにフランス領となり、フランソア1世の対オスマン・トルコ同盟、スペインのレパントの海戦における勝利を利用して東方に特権的商圏を広げた。ルイ14世は市に対する監督を強化し、守備隊を設置して市の政治的無力化を図ったが、一方では経済活動に種々の特権的保護を与えた。1669年には自由港が開かれ、黒海、アンティル諸島、南米との貿易で栄えた。工業もおこされ、人口は1515年の1万5000から1720年には10万を算し、世界的商港となった。フランス革命下には、市は一大隊を徴募して1792年8月10日の革命(八月十日事件)に参加させた。しかし、翌年1月の国王処刑を機に反国民公会に転じ、6月暴動を起こしたが、8月に鎮圧された。[石原 司]

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