改訂新版 世界大百科事典 「フランソア1世」の意味・わかりやすい解説
フランソア[1世]
François Ⅰ
生没年:1494-1547
フランス国王。在位1515-47年。アングレーム伯シャルルとルイズ・ド・サボアの子。対外的にはハプスブルク家を主敵とするイタリア戦争を継続し,即位後ただちに北イタリアに出兵,マリニャーノの戦に大勝し,ミラノを奪回(1515),勇名を馳せた。だが,その後,神聖ローマ皇帝位をハプスブルク家のスペイン国王カルロス1世と争って敗れ,再度のイタリア遠征でもパビアの戦(1525)で大敗を喫し,一時マドリードに捕らわれの身となり,これ以後フランスは北イタリアにおける支配権を失った。しかし,この間,国内においては国王権力の強化に成功する。まず,1516年教皇レオ10世とボローニャの政教協約を結び,高位聖職者の指名権を獲得,フランス教会に対する教皇の支配権を制限。また,39年のビレル・コトレの王令では,裁判記録等公文書用語のフランス語への統一などを規定し,全国統一的な行政の条件を固めた。ブルターニュ公領(1532)とブルボン公領(1523)の王領への統合の成功も,王国の一体化を大きく前進させた。《エプタメロン》の作者マルグリット・ド・ナバールを姉に持つ彼は,自身も〈フランス・ルネサンスの父〉と呼ばれるように,ルネサンス文化を愛し,イタリアから多数の美術家を招くなどした。1530年には,G.ビュデの要請を入れ王立教授団(のちのコレージュ・ド・フランス)を設立するなどユマニストたちの保護にもつとめた。しかし,当初好意的であった宗教改革運動に対しては,34年の檄文事件以来,弾圧に転じた。
執筆者:林田 伸一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報