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ミシシッピ川 ミシシッピがわMississippi River

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ミシシッピ川
ミシシッピがわ
Mississippi River

アメリカ合衆国中部を北から南へ流れる川。全長 3780km。ミネソタ州北西部のイタスカ湖に源を発し,メキシコ湾に注ぐ。アメリカ最大の河川。流域面積は約 310万km2を占め,アメリカの 31州,カナダの 2州から集水し,毎秒 2万t近い水をメキシコ湾に排水する。上流域は氷河作用を受けた湖沼地域で,支流にはウィスコンシン川,ブラック川,ミネソタ川などがある。中流域でミズーリ川オハイオ川などの支流が流入すると,それまでの清流が多量の土砂を含む濁流となる。さらにオハイオ川が合流する付近では,河床の幅は 2.5kmに達し,広大な氾濫原を蛇行する。旧河道や半月湖などが数多くみられる。河口には年間 5億tの土砂が堆積して,広大なデルタ(三角州)を形成。末端は分流水路に沿って鳥跡状に分岐。1717年五大湖方面から進出してきたフランス人は,ミシシッピ川を下り,河口にニューオーリンズを建設した。治水の歴史は当時にさかのぼる。1840年代にはミシシッピ川の水運は最盛期を迎えたが,南北戦争後,鉄道の敷設が進んだために衰退した。第2次世界大戦後,下流部の河道の改修,浚渫,船舶の改良などによって水運は重要性を取り戻した。メンフィスセントルイスミネアポリスなど河港から発達した都市があり,アメリカ中部の中心をなす。

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デジタル大辞泉の解説

ミシシッピ‐がわ〔‐がは〕【ミシシッピ川】

Mississippi》米国第一の大河。ミネソタ州のイタスカ湖に源を発して南流し、ミズーリ・オハイオ・テネシー・レッドなどの支流を合わせ、メキシコ湾に注ぐ。流域面積は国土の3分の1に及ぶ。全長3765キロ、ミズーリ川原流からは5969キロ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ミシシッピ川
みししっぴがわ
Mississippi

北アメリカ最大の川。アメリカ合衆国東部を南北に縦断してメキシコ湾に注ぐ。ミシシッピ本流の長さは3780キロメートルに達する。流域面積は324万8000平方キロメートルで、アメリカ合衆国の31州とカナダの一部が流域内に含まれる。上流は3川に分かれる。セントルイスの南東約190キロメートルから北東にオハイオ川、セントルイスの北から北西にミズーリ川が分かれ、ミシシッピ本流は北に延びる。ミシシッピ本流はミネソタ州北部のイタスカ湖(エルク湖付近との説もあり)に源を発するが、ミズーリ川、オハイオ川に比べ延長も流域面積も小さい。上流は急流や滝が多いが、セント・ポールのやや上流からは流れは緩やかとなり舟運が可能である。ミズーリ川は、モンタナ州の南西部州境付近のロッキー山脈に源を発するマディソン川、ジェファソン川、ギャラティン川の合流したもので、北東に流れたあとに南東流しセントルイスの北でミシシッピ川に合流する。全長3970キロメートルは上流3川のなかで最長である。年降水量500ミリメートル以下の地域を流れるので、合流点付近の平均流量毎秒2300トンに対し、高水期には毎秒2.2万トン、渇水期には毎秒360トンとその変化が大きい。さらに約320キロメートル下流で東からオハイオ川(全長2090キロメートル)が合流する。オハイオ川はアパラチア山脈に源を発するが、この流域の年降水量は約1000ミリメートルとミズーリ川上流の2倍以上なので、合流点付近で平均流量毎秒7400トンという豊富な水をミシシッピ川に注ぐ。オハイオ川より下流ではアーカンザス川(全長2330キロメートル)、レッド川が注ぐ。オハイオ川の合流点より下流は台地地域からミシシッピ川の沖積低地地域へと出て、約1800キロメートルの距離を蛇行しながらメキシコ湾に注ぎ、河口付近に鳥足状のデルタを形成する。デルタは過去150年に130平方キロメートルも広がった。ミシシッピ川の平均流量は毎秒約1万6000トンで、高水期はこの約3倍、渇水期には約10分の1となる。
 ミシシッピ川のアメリカ合衆国発展への影響は大きい。流域面積は国土の3分の1を占め、開拓の初期には重要な交通路となった。沿岸にニュー・オーリンズ、メンフィス、セントルイス、ミネアポリス、シンシナティなどの商工都市が発達した。可航水路は本・支流をあわせ約2.5万キロメートルに達する。また、肥沃(ひよく)なプレーリー、沖積低地域を南北に縦断して豊富な水をもたらし、流域は小麦、トウモロコシ、綿花、サトウキビなどを産する、合衆国の主要な農業地帯となっている。流域一帯では洪水の規模が大きいことが問題であった。連邦法で1879年にミシシッピ川委員会が設立され、農業用水・水力発電の開発、水路の整備改善とあわせて洪水防御計画が進められることになった。それにもかかわらず、1927年と1937年の洪水では大きな被害がでたが、その後は堤防工事が進み安全性が増している。[大竹一彦]

歴史

名称は、アメリカ・インディアンのアルゴンキン人のことば「川の父」に由来する。白人として初めてミシシッピ川に到達したのはスペイン人のデ・ソトの率いる探検隊で、1541年5月8日のことである。17世紀の後半には、五大湖からミシシッピ川下流にかけてフランス人による探検が何度か行われた。なかでも1682年4月9日に初めてミシシッピ河口に達したラサールは有名である。彼はその地一帯をルイジアナと命名し、フランス領とすることを宣言した。以後フランスが七年戦争に敗れる1763年まで、ミシシッピ川は同国の支配下に置かれた。その後、ミシシッピ川は順次、イギリスとスペイン、アメリカ合衆国とスペイン、アメリカ合衆国とフランスを分ける国境として複雑な歴史をたどるが、1803年、合衆国がフランスからルイジアナを購入するに及んで、完全にアメリカ合衆国に領有されることとなった。
 それ以後のミシシッピ川は、オハイオ川、ミズーリ川などおもだった支流とともに、アメリカ内陸部の交通運輸をつかさどる大動脈となった。初期のころの原始的な平底舟から、1825年以降は蒸気船が中西部と南部を結ぶ運送の主役となった。1860年には1000隻以上の蒸気船が走っていたといわれる。ミズーリ川の合流点を背後に控えたセントルイスはその河港によって西部第一の都会に成長した。1850年ごろからミシシッピ川の通運は、東部と西部の間に敷かれた鉄道と競合関係に入っていたが、南北戦争後は鉄道の河川運輸に対する優位は動かしがたいものとなった。ミシシッピ川の風物詩蒸気船は姿を消し、かわってタグボートが現れた。1879年ミシシッピ川委員会が連邦法により設立され、運輸水路としての同川の整備改善にあたることになった。以後ミシシッピ川の輸送量は回復に向かい、1970年には年間2億5000万トンに達した。[平野 孝]

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